|
議題を「河内長野観光事始め」としました。「観光」と言う言葉の理解が難しいと考えます。
観光と言う概念が、市史の中に記入されているのは、河内長野市史だけです。
少人数で市史を造るので手薄であると考えます。
観光と言うことを考える中で、市史編纂の上では、当初考えていませんでした。
今回の講演会の話の引き合いが在った時に、反省しています。
昭和4年の生まれであり、改めて「観光」を聞いたのは何時であったかを思い出しました。
昭和20年以前には、生活の中で、観光と言う言葉があったか思い返すと、耳にしなかった様に思います。今日改めて反省しています。
「観光」と言う言葉は、意味の変化が在ると思い、少し詰めていく必要が在ります。
元々の言葉の意味は、中国の儒教の経典の四書五経の一つである、「易経」の「国の光を観る、
もって王に賓たるによろし」と言う言葉によります。
理解の仕方に自信は在りませんが、元々中国の言葉で、王が「国の優れた事を示す」と言う事で
した。
自分の事象を調べましたが、中学校を5年間の中で、戦争の最中で、2年半で卒業させられて、勉強していません。私たちの世代の人たちの学力は落ちています。漢文もかじっただけで、学力が低い時代でした。
そこで日本最古の辞書「言海」を見ましたが出ていませんでした。古い漢字で、中国の古典に出て
いる言葉は、出ていませんでした。その後昭和29年代に発行された物には出てきます。
反対に大正時代の「大言海」には出ていました。昭和初に掛けてと、戦後の辞書には出てきます。
言葉の意味が変化しています。
大正期の初期には、他国の土地・制度・風俗を観察する。と成っています。
ある時期から、他国が消えてて居ます。戦後の事象では、他国のほかに自国も対象に入ってきました。
そこには理解の変化が在ります。当初は国の光の優れた物は他国が対象でしたが、戦後は他国・
自国の変化が無くなりました。
外国の場合のみならず、日本の他の地域を見ることに対象が変わってきています。途中から変化した事に気が付きました。
私は調査する時、新聞のマイクロフイルムを見ています。今回同志社大学に保管されている、東京
読売新聞の明治4年4月からの物が保管されていました。助手の方にお願いして、印刷してもらったら目録50枚にも成りました。外国人がらみの話の中に、観光と言う言葉がありました。
当時は日本人は「遊覧」と言う言葉でしたが、途中で変わったと思われます。
明治時代には余り観光と言う言葉は出てきませんでした。
これは調べていく中での発見でした。
観光と言う言葉と、今日の講演会の理解のため、使用する「国の内外を観る」と言う理解をしてください。河内長野市では、今日的概念の最も進んで居る所であると考えます。
|