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古市古墳群・百舌鳥古墳群の中で、誉田御廟山(応神天皇稜)・大仙稜(仁徳天皇稜)は何に基づいて決められたのか。江戸時代以降、多くの学者が決めてきた資料として資料四「記述及び延喜式に見られる陵墓の記載」を付けています。
古事記・日本書紀・延喜諸稜式で示しています。
仁徳・履中・反正の三大の天皇陵は、日本書紀に百舌鳥に葬ると書かれています。
特に古事記には「耳原」に在ると書かれています。その結果、百舌鳥耳原に在る事が判りますが、どの古墳が相当するかが判りませんでしたが、延喜式に詳しく書かれて居ます。
その結果真ん中が仁徳稜で、南稜が履中稜で、北稜が反正稜と決められています。
百舌鳥古墳群の中で、三つの大きな古墳を、日本書紀・古事記の記述に合致しました。
宮内庁は中央の一番大きな大仙稜を仁徳稜、南の履中稜、北を反正稜と決めました。
最近では円筒埴輪による分類がわかってきました。その結果、古墳の古い順は、反正稜→大仙稜→履中稜の順番です。現在の指定が間違っていると思います。
年代の研修では、上石津ミサンダイ・御廟山・大仙稜・土師ニサンダイの順序です。
百舌鳥古墳群などの編年表より考えると、5世紀始めの大王の墓は、百舌鳥古墳群・中津山・上石津ミサンダイ・古市古墳群・仁徳稜と成り、百舌鳥→古市→百舌鳥の順番です。その様に移動していると思います。
古市→百舌鳥→古市→百舌鳥と続くので、三代が同一場所に造られていることは考えられないです。考古学研究と合わせて研究するのは難しい物です。
又誉田御廟山(応神天皇稜)は一方が仁徳天皇陵ではないかと考えます。誉田神社の八幡宮は平安時代に造られており、百舌鳥の古墳は考えられません。検討する物量が少なすぎます。
以 上
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