高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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羽曳野・藤井寺にかけての古市古墳群の話をしたいと思います。日本で有数の古墳の話に成ると考えます。お手元に配布した資料1の図1を見てください。大阪府古市古墳群を示しています。古市古墳群は、奈良盆地から流れ出した大和川と、南河内から流れ出した石川の合流点の、西南に位置しています。

近鉄古市・道明寺・土師里に囲まれた、中央部に宮内庁の管轄の誉田御廟山(現応神稜)が在り、墳丘の長さは420mも在る、日本で二番目に大きな前方後円墳の古墳です。
規模は仁徳天皇陵の480mです。日本を代表する巨大古墳が在ります、大きな前方後円墳や
小さな円墳などが在ります。

誉田御廟山古墳は、200mを越える大きな前方後円墳が6基も在ります。後に天皇の墓と
いわれる、倭国の大王の墓です。
本日は古市古墳群の話を中心に行ないますが、本題に入る前に、後に大王から天皇の墓と
いわれる墓に付いて整理します。

倭国と言うのは、8世紀後半以降、天皇を中心とする、中央集権国家の成立の前に、存在した
国です。3世紀から6世紀に掛けて古墳が造られてきました。7世紀に入ると少なくなって
います。
この時期は、畿内では個々に勢力が在る地方の豪族がいました。後の8世紀の様な、天皇が
日本全国を治めていた、状態では在りませんでした。

この時代は、各地に有力な首長達が、大首長を中心に政治連合(大和政権)を形成していました。
首長達が共通の基盤で造った物です。古墳の大きさは、大和政権といわれる、首長の位置を
表しています。畿内には大王の墓が多く在りました。

5世紀の吉備地方の大首長は、此処に次ぐ様な大きな古墳を造っています。
大王の墓は、夫々の地域で、飛びぬけて大きな古墳が在ると言えます。
近畿中央部に存在しています。

資料1図下には「畿内における大型古墳の編年表」を造りました。
3〜6世紀に掛けての墳丘の中で、100mを越える古墳を、地域別に編年図を作成しています。
時代と造られた大きさを図示しています。
上段が古く、下段が新しい物です。特に地域別に分類して表示しています。

古市古墳群は、300年代以前でも前半より中頃に掛けて、大和には大きな古墳が存在して
いました。特に柳本古墳群・大和古墳群は、300年〜400年に近づくと、大和でも左紀古墳群には、平安京が営まれる前に、直ぐ近くに大王級の古墳が造られていました。


高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。

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