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寺内町の始まり
皆さんが起こし願える様に案内をして行きたいと考えています。今見て頂くのは、フイルムにも出ていましたが、古図を元に描かれた地図です。
私は話が下手ですので、黒板に書きながらの話で、「字」を見て頂いて、理解を深める事を心がけています。
高野街道が寺内町を通って居ます。北東の方角の京都からの、東高野街道が入り、南西の向田坂より抜けて、高野山へ向かっていました。当時は四箇所の出入口が在りました。
東高野街道も河内長野市で、西・中高野街道と合流して、高野山へ登っています。
寺内町の中は、400mしか在りませんが、その後の信仰の道として繁栄して、各地からのお客様で
賑わいました。
街道沿いの宿場として通行人からの情報はいろんな話が集まってきました。
その結果交通の要所であると共に、物資の流通・蓄積の場として繁栄してきました。
山中田坂は、千早街道の入り口で、石川を越えて千早赤阪村へ続いています。そこからは米・菜種が入ってきました。綿花・河内木綿は堺街道から入りました。
真宗寺院の領主地で、土地は碁盤目状に町並みが造られてきました。
但し道路は、交差点では、若干のずれが見られます。
そこには城下町としての造り方に共通点が見られます。ここでは門前町と城下町の特徴が共通しています。
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