|
○ 丹生官省符神社
高野明神が祭られている地元の神様です。神仏が集合した、古い信仰形態を表した物です。
慈尊院から急な階段を登ると、重要文化財の社が在ります。室町時代の作です。
階段の途中で、トイレの傍に、町石の卒塔婆は建っています。
鎌倉幕府が、壇上伽藍までの20kmの距離に、180本石碑を1里毎に建てています。重要文化財の史跡です。
町石の36町1里(1町約108m)を表した史跡は、他には在りません。日本人の距離感覚として、
道程を表しています。胎蔵界曼荼羅の仏様の一人一人を、石碑にサンスクリット語で刻んでいます。
仏様に導かれて、浄土高野山へ参詣していました。
その為に徒歩で登り、1石毎に手を合わせて導かれました。
この道は鎌倉時代に、皇室や貴人が、徒歩で登る約束事が出来ました。上皇が登られる途中で
雨に会って、失神されたが、一昼夜掛けて山頂へ登られた記録が在ります。
上皇も一つ一つの仏を感じながらの参詣であったと思います。
○ 御社(明神社)
弘法大師が伽藍開創に当り、鎮守として地主神を祭られています。丹生・高野神社です。後に気比・厳島の二神をお祭りしています。
北条政子が熊野三山に参詣の途中二神を合祀しました。
その上銅製の琵琶を奉納しています。
又室町時代に丹生都比売神社で、一切経舞楽が行われたとき、西陣で永享7年(1435年)に作られた着物です。衣装として現存する最古の物で、重要文化財です。
明治初めに神仏分離令が発令されて、仏教にまつわる道具類が壊されましたが、高野山では、
すべてのお寺の道具類が持ち込まれました。
神仏分離令で、お寺が食べれなくなり、文化財が手放された中で、高野山だけがそれらを集めて
保管していきました。
○ 天神社から高野山への道
世界遺産に登録されて、道はブルドーザーでの修理が禁止されています。現在では人力での修理を行っています。
大名たちが山中へ運び込んだ五重塔は、参詣道を参詣者と共に運び上げられた、重要な経済活動のルートでも在りました。
20kmを早い人では、2時間半で登られますが、普通では4時間掛かります。
|