|
○ 金剛三昧院
貞応2年(1232年)に源頼朝の妻政子が、夫と三代将軍実朝の菩提の為に建立して、寄進した
お寺です。
鎌倉幕府直轄のお寺で、禅宗のお坊さんが長い間長者を勤められてきました。たまたま途中で禅宗のお坊さんの評判が悪くなり、高野山が真言のお坊さんを住職として勤めさせました。
多宝塔は貞応2年(1232年)に造られて、繊細で優美な建物で国宝です。石山寺の多宝塔に次いで二番目に古い建物です。庫裏を始め経蔵まで一括して、重要文化財です。
多宝塔には、五仏が祭られています。仏様は女性的なお姿です。全て重要文化財です。
○ 奥の院
弘法大師空海廟のある場所で、伽藍と共に両壇と称される高野山の聖域です。
上杉謙信の霊奥が在ります。奥の院は、入り口の「一の橋」から弘法大師の御廟まで約2kmの距離が在ります。江戸時代初期の建物で、重要文化財です。
途中には、島津家の墓や、秀吉の挑戦征伐の時の亡くなった、朝鮮半島での敵味方を祭る、『高麗陣敵味方戦死者供養碑』も在ります。
又浄土宗の法然上人の五輪塔が、弟子が造った鎌倉時代中期の物も在ります。
墓碑の作製は、鎌倉時代より始められて、江戸時代の徳川幕府の平和政策で、各地の大名が
競って墓碑を建ててきました。宗派を超えて造られています。
松尾芭蕉の句碑には『父母のしきりにこひし雉子の声』が在り、碑面の文字は、画家大雅堂の
筆跡です。自然石に刻まれています。
いろんな要素が墓石群に含まれて居ます。30万基の墓石は、鎌倉時代より現在に至るまで造られていて、歴史的な規模として、世界遺産に登録されて残されています。ここは世界遺産のコアゾーンとして残されています。
○ 聾瞽指帰(ろうこしいき)
弘法大師が入唐前の若干24歳の時書かれた書で、国宝「聾瞽指帰」があります。
これは真に物が聞こえない、見えていない人に対して指し示した物です。
仏教・道教・儒教を比較して、その思想を展開して、仏教の優秀性を説き、仏法に無知な人間に
対する指導書であると共に、仏門に生きる宣言書です。
弘法大師は平安初期の三筆としても有名です。
嵯峨天皇・橘逸勢で、その能筆は広く知られていました。
現在24歳の時の書を見ていただいています。楷書に近い物で、中国の王羲之(おうぎし)の書体に近いものです。
用紙は平安時代の初めに輸入された物が使用されています。ここで若い頃の空海の書を知ることが出来ます。
難波の津から船出した遣唐使の船は、鎌倉時代に造られたもので、弘法大師絵巻物に残されて
います。昭和58年にNHKで放映された空海の物語に登場した船の原型でした。
中国では密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を尋ねています。その時の様子が鎌倉
時代に描かれた物が残されています。絵には恵果和尚と小さな童子が書かれていますが、その
左側には空海が居られた構成です。
唐から帰られて、持参した様々な目録が記載されて、朝廷へ提出されています。
その中には真言密教の曼荼羅が在ります。
|