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お寺の行事と宗旨
長い冬も過ぎて春先になると涅槃法要を観音寺で行い粳団子を造って釈迦を祀り是を撒く。団子は一年中保存して置いても黴ははえない。頭痛の薬になると云って重宝がられた。
お盆は施餓鬼法要をして経木流しをし、十六日の晩に繰上げ、観音の盆踊をした。日野一般の宗派は最初真言宗であったが、その後天台宗に変わり、融通大念仏宗になった時もあるが延命寺の檀家となって元の真言宗に戻ったのである。その時の国司・郡司域は領主の都合に依ったものであるらしい。
明治五年に廃寺となったのが延命寺の末寺と扱われた日野の寺は延命寺より寺歴が古いのであるが村の共有物のようになった為衰微の一路をたどったのであろう。近江の膳所藩より分家した伊勢の神戸藩主本多氏が延命寺に従属させたのである。
日野には五百余石の殿様年貢が高過ぎたのである。近郷の他領より見れば高過ぎる年貢は村民を貧しくさせ、お寺にまで手が届かなかったのも無理ではなく信仰心厚かったからこそ今日迄よく保存出来たと云わなければならない。
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