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平成11年よりガイドの勉強を始めました。ガイド担当者としての話では、寺内町を楽しんで頂き、面白かったと言われるのが、私の楽しみの最大の物です。寺内町の内容が判っていただければ、充分だと考えています。
このような会場での話は初めてですので、充分理解していただけるか判りませんが、一生懸命勤めさせていただきます。
先日民生委員会の講演会に出席して、教えていただいた事は、「人は家の中に引っ込まず、極力
外に出て、大きな声で話して、笑っているのが大切である」と言う事でした。
女性は外出する時、お化粧をされます。化粧と言うのは、化けるのではなく、「華」と言うことです。
化粧品を「塗りたくるな」と言うことです。
もうひとつは、「昨日」「今日」「明日」と言う言葉があります。
「昨日」は絶対に来ません。「今日」は現在の皆さんです。「明日」は絶対に皆さんへは来ません。
「明日」は「今日」と成ってしか実現しません。
今日をその為に充分に充実させて過ごして欲しいと言う事です。
これは老人福祉の話の中で聞いた事です。
初めに
450年前、興正寺別院として、町割が造られて居ます。江戸時代の伝統が残されているという事で、平成9年10月31日に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
大阪の東南部に位置して人口12万人の都市で、中心に黒く光る屋根を中心に、江戸時代から昭和に掛けて180軒の町屋が残されていて、町屋の博物館です。
石山本願寺の一向宗のお寺を中心に寺内町が形成されています。興正寺別院を中心に石川の川岸の東西400m、南北350mの範囲で、土居が町の周囲を廻らされています。防災を防ぐために用水掘りが掘られています。
町の中には「あて曲げ」の辻が各所で設けられて、織田信長の一向宗との戦いの中で、ここだけは
融和策が採られて戦火を免れてきました。
中心部には東高野街道が通り、石川の水運が利用されて、米・木綿・菜種油が集められて、商人の大店の店が軒を連ねていました。
越井家は材木商、奥谷家は材木商、佐藤家は醸造商、田守家は木綿商、木口家は木綿商を営んでいます。玄関には駒繋ぎの鉄製の輪や石の繋ぎが残されて、馬や牛での商売がされていました。
醸造業は7軒を数えます。近鉄長野線の開通で、中心部が駅前に移動して行き、衰退していきました。
昭和33年の学術研究で、町並みが碁盤目に残されている事が注目されて、江戸・明治・大正時代に掛けての建物が現存している事が判りました。その結果、昭和58年の旧杉山邸の重要文化財の指定から平成9年10月31日の重要伝統的建造物群保存地区の指定へと進みました。
興正寺門前の城之門筋が、もっとも良く古い時代の建物が残されている所です。西林町に在る旧杉山家の家屋には、江戸時代初期の造り酒屋で在るが、当時としては最先端の螺旋階段が造られていました。
これらの建物を見学すると、何か故郷へ帰ったような気がします。
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