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安城出身 家康公の名参謀  本多正信



  三河一向一揆というのは 1563年の秋ごろ上宮寺で松平元康方と、真宗門徒の間で年貢米をとりたてたことなどを契機として勃発した 宗教戦争です。しかし、松平方にも真宗門徒はいるので、なかなか複雑な戦になりました。
  この本多正信も、元康の家来として鷹匠を務めていたのですが、真宗門徒として一揆軍に加わった一人でした。
  もともと彼は安城の小川町の出身でしたが、一向一揆では近くの野寺の本證寺ではなく、豊田の上野城に立てこもり、参戦していたようです。
  この上野城は徳川四天王の榊原康政が生まれた城でもあります。
  この上野城で一向一揆の旗揚げした酒井忠尚は隣松寺に本陣を敷いた松平元康に敗れてしまいます。忠尚は駿河に落ち延びるのですが、本多正信は元康に頭を下げて戻るのではなく、流浪の道を進むことになり、遠く加賀前田藩に仕えることになりました。
  本能寺の変が起きた1582年ごろに、ほぼ20年ぶりくらいに 家康の基に復帰したようです。
  もともと鷹匠をしていたので、身分は低いが家康とはかなり親しく仕えていたようで、元信の才能を知り尽くしていた家康は、即刻仕官を許し しかも加賀藩での成長を十分認め 重く取り立て、文官としての才能をさらに磨きをかけさせ、名参謀に抜擢したのはご存じのとおりです。
  今年のNHK大河ドラマでは独特の性格俳優の六角 精児さんが、本多正信役を好演しています。
以上のように本多正信は主役というより陰で主役を補佐する名参謀というのがはまり役で、歩んだ人生も一筋縄でいかなく、神出鬼没と云った複雑怪奇な人物であったのだろうと推察されます。
  たまたま覗いた安城歴史博物館で、当館が発行した“本多正信”を手に入れ、彼が安城出身であることを初めて知りました。私が愛読していた山岡壮八の徳川家康の中には確か詳しく取り上げられてはいなかったので、まさか三河武士だと思っていなかったので、何となく新しい発見をした気分でした。
あらためて再度安城歴史博物館を訪れて この本の作成に携わった館員の方に、生誕地などについて質問したのですが、“小川町らしい”としかわからず、発祥の地の史跡もないというのが実態のようです。
行方しれずの人生を歩んだ 本多正信公 の本領発揮と云ったところでしょうか。

安城歴史博物館発行の“ 家康の名参謀 本多正信 ”
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安城歴史博物館発行の本多正信によると、正信公は安城市小川町の出身のようです。

安城市 小川町の地名を証明します
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安城市小川町 小川神社
 
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小川町から1,2キロのところにある、三河一向一揆の拠点のひとつ
   野寺の本證寺
 
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上野城址に立てこもって三河一向一揆に参加
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上野城址の説明板
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上野城址の絵図 広島藩浅野家の所蔵
 
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榊原康政の生誕地碑
 
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上野城祉
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上野城址の遠景
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