高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。
昨日は智恵子の故郷・福島二本松で、「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」を拝聴して参りました。

会場は二本松コンサートホールさん。これまでもたびたび智恵子がらみの公演等で使われています。昭和63年(1988)開館ですが、ネオバロック風の味のある建物です。どうも、建築家の藤森照信氏による先月の碌山美術館さん開館60周年記念講演「碌山美術館の建築と建築家について」を聴いて以来、この手の建築を見ると「古典主義」だの「ロマネスク」だの「バロック」だの「ゴシック」だのと、気になってしかたがありません(笑)。

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午後1時、開演。

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最初に、過日、同じく「高村智恵子没後80年記念事業」の一環として行われました、「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」の表彰式。当方、プレゼンテーターを務めさせていただきました。

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その後、本編に。

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主催の智恵子のまち夢くらぶ・熊谷代表、来賓を代表して三保恵一二本松市長のご挨拶。

審査員の皆さん。

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閉会式でのショットですが、中央が審査委員長・福島大学名誉教授・澤正宏氏。左端は先述の熊谷氏、そのお隣が太平洋美術会の坂本富江さん、右から二人目で地元二本松にお住まいの詩人・木戸多美子さん、右端がやはり智恵子顕彰の団体で、智恵子を偲ぶレモン忌主催の智恵子の里レモン会会長・渡辺秀雄氏。

さて、いよいよ朗読。今回、24名の予定で募集したところ、26名応募があり、しかし1名の方はご欠席とのことで、25名となりました。当日開演前にくじ引きで順番を決め、前後半に分けて、まずは前半13名。

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休憩をはさんで後半12名。

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圧倒的に女性が多く、男性は3名でした。それから、その点がちょっと寂しかったのですが、県外からのご出場は2名のみ。ただ、県内の方々は、浜通りのいわき、相馬、南相馬、中通りでも郡山、福島、伊達など、地元二本松以外からのご参加の方が多く、その点はよかったと思いました。

皆さん、それぞれに工夫を凝らした朗読をされたり、朗読以外でご自分の思いを語られたり、いろいろでした。原発事故にからめて熱く想いを語られた方もいらっしゃいました。事前には25名という多人数ですので、途中でダレてしまうのでは? と危惧しておりましたが、そういうこともなく、終わってみればけっこうあっという間でした。

審査集計の間に、アトラクション。地元の箏曲サークル・福箏会さん。一昨年には智恵子生家で演奏をご披露なさいました。今回は定番の「六段」と、これも二本松市民のソウルソング「智恵子抄」。ちなみに作詞の故・丘灯至夫氏は二本松に近い小野町のご出身で、一昨日には品川プリンスホテルで「故丘灯至夫さんの作品を歌う会」があったとのこと。ほぼ毎年開催されていて、今年で15回目だそうです。

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ダンスサークル・スタジオGENさん。モンデンモモさんのCDをバックにソシアルダンス。

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このあとすぐに審査発表……のはずでしたが、審査が大もめだそうで、なかなか結果が出ません。それもそうでしょう。25名の方、本当に甲乙つけがたいところがありました。しかし、甲乙つけなければならないのが審査員のつらいところ(当方、審査員を仰せつからなくて本当によかったと思いました(笑))。

そして、いよいよ発表です。以下の通りとなりました。

 大賞   宮尾壽里子さん 埼玉県越谷市 「山麓の二人」
 優秀賞 緑川明日香さん いわき市     「樹下の二人」
   〃  吉岡玲子さん   いわき市     「人類の泉」
   〃  斎藤イネさん   南相馬市     「樹下の二人」
 特別賞 七海貴子さん   郡山市      「あどけない話」
   〃  宗像りか子さん  郡山市      「人に」
 奨励賞 丹治美桜さん   福島市      「レモン哀歌」
   〃  菅野久子さん   二本松市    「智恵子の切抜絵」

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大賞の宮尾さんは、詩人でもあり、都内で何度も「智恵子抄」系の朗読講演をなさっている方で、さすがにさすがでした(笑)。

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奨励賞のお二人のうち、丹治美桜さんは、最年少の小学4年生(右上画像)。先述の智恵子検定にも参加してくださいました。将来が楽しみです(笑)。もうお一方は、おそらく逆に最高齢、90歳になられたという菅野久子さん。詩ではなく散文の「智恵子の切抜絵」を読まれましたが、民話のような語り口で、味がありました。

その他の受賞者の皆さんも、それぞれにすばらしい朗読でしたので、納得です。ただ、「あの人が入らなかったのか」というのもあったのですが、受賞者数に制限がありますので、しかたありますまい。審査員の皆さんも泣く泣く枠に収めざるをえず、ご苦労なさったと思われます。

終了後、二本松駅前のアーバンホテルさんで懇親会。

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会場には、地元の書家の方の作品でしょうか、光太郎詩「あどけない話」を書いた軸。

書といえば、朗読大会の賞状は、手漉きの紙に、地元の方が手書きで書かれたそうで、そうしたお話も披露されました。

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先述の智恵子検定、当日、智恵子生家での個展のため受検できなかった、朗読審査員の坂本富江さん、問題を貰ってご自宅でやってみたそうで、すると、50点満点中の49点だったとのこと。非公式ですが特別に「ゴールドマイスター」の認定証授与。

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夢くらぶ熊谷代表がおっしゃっていましたが、智恵子顕彰にかかわっているおかげで、そうでなければ知り合うはずもなかったいろいろな人と輪を広げられるし、一番喜んでいるのは天国の智恵子ではなかろうか、とのこと。そのとおりですね。

朗読大会、これが初の試みでしたが、2回、3回と続いて欲しいものです。審査員はやりたくありませんが(笑)。


【折々のことば・光太郎】

美を追はずしておのづから美を樹てる。已むを得ざるところに発足するものは強い。   

散文「田村昌由詩集「蘭の国にて」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

田村昌由は大正2年(1913)北海道生まれの詩人です。

この手の光太郎の文章の特徴でもありますが、他者への評でありつつ、自らの求める詩の在り方をも色濃く示しています。

朗読大会、出場者の方々それぞれに、光太郎の「已むを得ざるところ」の心の叫びを表現して下さいました。泉下の光太郎も喜んでいることでしょう。

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明治33年(1900)、光太郎の本格的な文学活動の出発点となった、与謝野寛・晶子夫妻の『明星』の研究会です。

第12回明星研究会 シンポジウム与謝野晶子の天皇観〜明治・大正・昭和を貫いたもの

期    日  : 2018年11月24日(土)
会    場  : 日比谷コンベンションホール 千代田区日比谷公園1番4号 千代田区立日比谷図書館B1
時    間  : 13時40分〜16時40分
参 加 費  : 2,000円(資料代含む) 学生1,000円(学生証提示)
主    催  : 明星研究会

 Ⅰ 13:40  開会挨拶
 Ⅱ 13:45 〜14:45  
第1部 講演 「天皇・戦争・文学」  片山杜秀(慶應義塾大学教授)
 Ⅲ 14:45 〜15:00 ―休憩―
 Ⅳ 15:00 〜16:40  
第2部 対談 「明治の子・晶子〜明治憲法が公布されたとき、彼女は満10歳だった」
      小嶋 翔 (吉野作造記念館研究員)  松平盟子(歌人):高村光太郎
 Ⅴ 16:40 閉会挨拶 前田宏(歌人)

申し込み●「明星研究会」事務局あて。
 ネット上での受付は11月23日(金)まで(先着順)。 宛先メールアドレスはapply(at)myojo-k.net です。
 申し込みの送信をされる際には、
  (イ)上記アドレスの(at)を半角の @ に変えてください。
  (ロ)メールの件名は、「明星研究会申し込み」とご記入いただき、
  (ハ)メールの本文に、お名前と連絡先住所、電話番号をご記入ください。
  (二)ご家族ご友人同伴の場合はご本人を含めた全体の人数も添えてください。
 なお、当日は空席次第で会場でも直接受け付けます。
終了後懇親会 4,000円程度(場所は当日お知らせいたします)

 今年は、与謝野晶子の生誕140年目に当たります。明治11年12月7日、大阪・堺に生まれた晶子は、維新後という新時代に少女期を過ごしました。長じて「明星」主宰者・与謝野鉄幹と出逢い、恋愛・結婚を経て、歌人・詩人・評論家・古典評釈者として大成したのは周知の通りです。
 日露戦争中に出征した弟を思って詠んだ詩「君死にたまふこと勿れ」は、太平洋戦争後、晶子像を「反戦詩人」として印象付けました。戦争の惨禍に疲弊した多くの日本人は、戦後の平和思想の理想をこの詩に託したのです。しかし晶子は、生涯をとおして明治天皇を深く崇敬し、「五箇条の御誓文」「大日本帝国憲法」「教育勅語」を精神の根本に置いた女性でした。一方で、社会における男女の対等、教育の機会均等、女性の普通選挙権の確立など先進的な発言を続けたのです。今あらためて晶子の天皇観を検証したいと思います。

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当方、昨年の第11回研究会に、初めて出席させていただき、今年は8月に、今回のシンポジウムの「事前勉強会」なるものにも参加、光太郎の天皇観について簡単に発表させていただきました。

第二部の対談の中で、非常にお世話になっております歌人の松平盟子氏が、光太郎にからめたお話をして下さるそうで、多少は当方の発表もご参考にされるのかな、と思われます。


『明星』、与謝野晶子、松平盟子氏、といいますと、短歌研究社さんから発行されている月刊誌『短歌研究』の11月号が、「生誕百四十年「与謝野晶子」大研究」という特集を組まれています。

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そちらの「座談会 「全身・与謝野晶子」という生き方」が、松平氏、やはり歌人の松村由利子氏、早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授であらせられる内藤明氏のお三方によるものです。


明星研究会さんにはぜひ足をお運びいただき、『短歌研究』さんはぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

その一生に物された短歌の数は恐らく数万首の多きに上るであらうが、その表現の本質は、よく芸術精神本来の深い、幅びろな地下泉から出てゐて、決してただ地上水の濾過滲透による一区域的湧水のやうなものではない。

散文「与謝野晶子歌集「白櫻集」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

『白櫻集』は、この年亡くなった晶子の遺詠集。光太郎は同じ文章で、「女史の歌といへば初期青春時代のものばかりを思出す如きは鑑賞者の怠慢である。未結集の晩年の短歌をのみ収めたといふ此の「白櫻集」こそ心をひそめて読み味ふ者にその稀有の美をおもむろに示すであらう。」と記しています。

確かに最晩年、その人生の到達点において書かれたものこそ、その人物の歩んできた道のりを色濃く反映しているといえるでしょう。

初期青春時代のものばかり」というのは、光太郎詩にしても同様で、『道程』所収のものなどがよく取り上げられ、戦後の詩は殆ど顧みられません。出発点、そして軌道に乗るまでのものとして論じるのなら良いのですが、どうもエラいセンセイ方、それが光太郎のすべて的な論調にもなり、首をかしげざるを得ません。もっとも、光太郎自身が後に「変な方角の詩」と表現した、戦時中の翼賛詩を「これぞ大東亜の魂!」と涙を流してありがたがる愚か者も居るくらいですが……。

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新聞雑誌各紙誌から。

今日は別の件をご紹介する予定だったのですが、昨日、埼玉県東松山市で明日まで開催の「高田博厚展2018」に関し、『朝日新聞』さんと『東京新聞』さんが、光太郎にからめて取り上げて下さいまして、その他、最近の新聞雑誌各紙誌に載った記事と併せてご紹介します。

まず、「高田博厚展2018」、『朝日新聞』さん。 

高田博厚の彫刻展 東松山で18日まで

 埼玉県東松山市は、日本を代表する彫刻家高田博厚(イメージ 11900〜87)の遺族から寄贈を受けた作品と功績を紹介する「高田博厚展2018」を、市総合会館で開いている。文豪ロマン・ロランらとの交遊がわかる日記の翻訳文や鎌倉のアトリエが再現されている。18日まで。
 高田は福井県から上京し、彫刻家高村光太郎らと出会い彫刻を始めた。渡仏してロマン・ロランやジャン・コクトー、画家ルオー、哲学者アランらと交流。知的で詩情ある作風で、ルオー、ロマン・ロランらの肖像作品がある。
 高田の没後30年を迎えた昨年、神奈川県鎌倉市のアイメージ 2トリエが12月に閉鎖され、東松山市に作品群の一部が寄贈された。同年2月に亡くなった元市教育長で詩人の田口弘さん(享年94)が高村光太郎に心酔し、高村や高田とも親交があった関係で寄贈された。
 東松山市は86〜94年に高田の彫刻作品32体を購入し、東武線高坂駅前約1キロの通りに設置。「高坂彫刻プロムナード」を整備するなどしてきた。展覧会では、鎌倉に残されていたマハトマ・ガンジーの彫刻とデッサンなど高田が制作した彫像作品や絵画、ロマン・ロランの署名入り著書、彫刻台やヘラ、イーゼルなどの道具を並べて鎌倉のアトリエの一部を再現した展示がある。(大脇和明)


続いて『東京新聞』さん。埼玉版です。 

日仏で活躍した彫刻家・高田博厚の足跡たどる 東松山市総合会館で18日までイメージ 7

 国内外の著名人との幅広い交流で知られる彫刻家高田博厚(一九〇〇〜一九八七年)の足跡をたどる企画展「高田博厚展2018」が、東松山市総合会館(同市松葉町)で開かれている。彫刻やデッサン、絵画計三十点のほか、書簡などが並ぶ。十八日まで。入場無料。
 高田は、一九三一年から第二次大戦をまたいで五七年までフランスに滞在。ノーベル賞作家のロマン・ロランや哲学者アラン、画家ジョルジュ・ルオー、芸術家ジャン・コクトーら名だたる文化人と交流した。
 七四年、彫刻家で詩人の高村光太郎を共通の知人として東松山市の故田口弘教育長(当時)と出会い、八〇年に同市で彫刻展と講演会を開催。田口さんの提言で市は、東武東上線高坂駅西口に高田の作品三十二体を一キロにわたって並べた「高坂彫刻プロムナード」を整備した。市には昨年十二月、神奈川県鎌倉市の高田のアトリエ閉鎖に伴い、遺族から遺品が寄贈された。
 企画展では、高田が「人格的師」と仰いだロマン・ロランをはじめ、アランや詩人中原中也ら交流のあった文化人をモデルにした彫刻作品のほか、書簡などを展示。アトリエを再現した机やパネル展示、ビデオ上映もある。
 同会館では、高田のフランスのアトリエを受け継いだ洋画家で文化勲章受章者の野見山暁治さん(97)と、芥川賞作家で仏文学者の堀江敏幸さん(54)が高田について対談。野見山さんは、パリでの高田との偶然の出会いから、頼み込んでアトリエを継いだエピソード、帰国後の交流まで、ユーモアを交えて語った。
 野見山さんは、高田が帰国する際にアトリエの作品を「例外なく一枚残らず完璧に焼いてくれ。固い約束をしてくれ」と託され、何日もかけて焼却したという。帰国後、銀座のギャラリーで高田の絵を見て「僕が焼いた作品の方が良かった」と思ったことを述懐した。(中里宏)

こちらは過日の関連行事としての野見山暁治氏と堀江敏幸氏の対談についても触れられています。


さて、他の件で。

やはり『朝日新聞』さんで、先月28日、鹿児島版に載った記事。平成30年度(第71回)全日本合唱コンクール中学校・高等学校部門についてです。 

鹿児島)松陽と鹿児島が熱唱 全日本合唱コンクール

 第71回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門が27日、長野市のホクト文化ホールであり、九州支部代表として県内からは2校が出場した。Aグループ(8〜32人)の松陽は銀賞を、Bグループ(33人以上)の鹿児島は銅賞を受けた。
 松陽は自由曲で「牡丹一華(ぼたんいちげ)」を歌い上げた。古今和歌集の恋の歌6首を織り込み、ため息やひそひそ声でうわさ話を交わすような場面もある複雑な旋律だったが、「練習の成果を出せた」と宮原真紀教諭(46)。和楽器の笙(しょう)やピアノの旋律も加わって、豊かな世界を作り上げた。
 出演順が朝一番とあって、出演した23人は「午前5時起床」と話し合った。電話で起こし合う約束をする部員も。花月真悠子(かげつまゆこ)部長(3年)は何人かに電話したが、「しっかり起きていました。おかげで集大成の舞台をやり遂げることができました」。
 鹿児島は自由曲に、高村光太郎の詩に西村朗が曲をつけた「レモン哀歌」を選んだ。最愛の妻を夫がみとる場面を描いた曲だが、単なる悲哀ではなく、妻への深い愛や生きる力が込められていると解釈し、表情豊かに歌った。学校の定期演奏会などで披露する1時間ほどの合唱劇で、表現力を磨いてきたという。
 部長の高岡未侑さん(3年)は「緊張したけど、歌い始めたら最高に楽しかった」と笑顔。顧問の片倉淳教諭は「心のこもったすてきな音楽にあふれていた。今日の演奏を人生の宝物にしてほしい」と部員たちにエールを送った。

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西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」の終曲「レモン哀歌」を自由曲に選んだ鹿児島高校さん、参加賞に当たる銅賞でしたが、全国コンクールの舞台に立ったというのがすでにすばらしいことですので、胸を張っていただきたいものです。

ちなみに、大学・一般部門は11月24日(土)、札幌コンサートホールKitara  大ホールで開催されますが、こちらでは光太郎詩に曲を付けたものの演奏は、残念ながらありません。


お次は『読売新聞』さん。11月12日(月)の書評欄に高橋秀太郎氏、森岡卓司氏共編の『一九四〇年代の〈東北〉表象 文学・文化運動・地方雑誌』が取り上げられ、光太郎の名も。 

新たな自画像を描く 『一九四〇年代の〈イメージ 4東北〉表象』 高橋秀太郎、森岡卓司編 

 副題に「文学・文化運動・地方雑誌」とある。戦中から戦後にかけての文学作品や雑誌、そしてそれをめぐる動きから、東北と、さらに北海道や新潟の地がどのように捉えられてきたのか、自らはなにを発信してきたのかをテーマに検証、スリリングな論集となった。東北文学に関心ある読者には読み逃せない一冊である。
 作家・詩人なら島木健作、太宰治、吉本隆明、宮沢賢治、高村光太郎、更科源蔵、石井桃子らが論じられ、雑誌でいえば『意匠』が『文学報国』が『月刊東北』が『至上律』が『北日本文化』が俎上そじょうに載る。敗戦前後のカタストロフに、戦争にいかに処したかを問い問われた者が、モダニズムの灯を守ろうと試みた者が、疎開によって「東北」を新たに発見した者がいる。人間の疎開だけでなく、雑誌や出版社そのものの疎開もあれば、戦時下や戦後復興への東北の役割や使命も誌上で模索された。
 なつかしき原風景でありながら近代に乗り遅れた貧しい地域といった正と負のイメージの交錯はもちろん、危機の時代にあってさまざまに東北に寄せられるイメージと東北が発するイメージの錯綜さくそうに、東日本大震災後の東北で出版を生業とする私はいまさらながら深く頷うなずかされた。震災のカタストロフを経て、いま、東北はどのようにイメージされるのか。例えば半世紀を経て、東北をめぐる現在の文学はどのように読まれるか。それはこの国のなにを象徴するか。東北を中心に東日本の大学に所属する論者たちによる収録八編の論考を読みながら、さまざまに連想が跳ねた。
 さらに、東北のみならずこのような視点で全国各地が読み解かれてもいい。文学や雑誌、あるいはそれに関わる動きにしろ、なにも東京だけが発信源ではない。本書の視点でそれぞれの地域を読み直せば、その地の新しい自画像が描ければ、日本の文学史はもっと豊かに深まる。
 ◇たかはし・しゅうたろう=東北工業大准教授◇もりおか・たかし=山形大准教授。いずれも専門は日本近代文学。
 東北大学出版会 5000円
 評・土方正志(出版社「荒蝦夷」代表)

今後、他紙でも取り上げていただきたいものです。


最後に、隔月刊雑誌で『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』 さん。先月末に第10号が出ました。花巻高村光太郎記念館さんの協力で為されている連載、今号は「光太郎レシピ」。「馬喰茸の煮付けとハモ入りセリフォン炒め」です。

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バックに、高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎と花巻電鉄」に出品されている、ジオラマ作家・石井彰英氏制作の昭和20年代、光太郎が暮らした頃の花巻町とその周辺のジオラマが使われています。

同展、11月19日(月)までの開催です。一人でも多くの方のご来場をお待ちしておりますのでよろしくお願い申し上げます。


他にも紹介すべき記事等があるのですが、後日、また改めまして書きます。


【折々のことば・光太郎】

此の詩集に序を書くにしては私は少々野暮すぎる。さう思はれるほと此の詩集には隠微な人情の、見えかくれするしんじつ心の意気が飄々嫋々とうたはれてゐる。
散文「川野辺精詩集「新しき朝」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

川野辺精(かわのべくわし)は、茨城県出身の詩人です。『新しき朝』はおそらく川野辺唯一の詩集。玉川学園出版部から刊行されました。

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年に一度開催されている高村光太郎研究会が、今年も行われます。 

第63回高村光太郎研究会

期     日 : 2018年11月23日(金・祝)
時     間 : 午後2時から5時
会     場 : アカデミー音羽 3階学習室A 東京都文京区大塚5‐40‐15
参   加   費 : 500円
問い合わせ  : 03-5966-8383 (野末)

研究発表 :
  「五篇の詩とその周辺」     間島康子氏
  「「夏の夜の食慾」解釈」     田所弘基氏

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ご発表の間島康子氏は、文芸同人誌『群系』同人。同誌に光太郎がらみの論考等を何度か寄稿されていて、いつもお送り下さっています。

同じく田所弘基氏は、肩書きが変わっていなければ佛教大学総合研究所特別研究員。一昨年の高村光太郎研究会でもご発表なさいました。


当会顧問にして、晩年の光太郎をご存じである斯界の権威、北川太一先生も、ご体調がよろしければご参加下さいます。また、終了後には懇親会(別料金)も予定されております。

会には入会せずとも、聴講、懇親会参加のみも可能(事前の参加申し込み等は必要ありません)ですし、年会費3,000円で、研究会の案内、年刊機関誌『高村光太郎研究』が送られ、寄稿も可能です。


ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩人を忘れがたく思ふのにもふたいろある。所謂文化史的な意味から詩の進化のかどかどに忘れがたい功績をのこした詩人も心に残る。これがひとつ。又その詩が詩史上の相対関係の如何に拘らず直接に心をうつが故に忘れがたい詩人もある。これがひとつである。

散文「清水房之丞詩集「炎天下」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

清水房之丞は群馬県出身の詩人。清水は後者だというのですが、光太郎は後者に属する多くの若い無名詩人の詩集などに、喜んで序跋文を寄せたり、装幀や題字揮毫を引き受けたりしました。ただ、本当にその作品なり人物なりに認めるべきものが無ければそうしませんでしたが。

この序文の原稿はご遺族の元に現存しており、平成16年(2004)、群馬県立土屋文明記念文学館さんで開催された企画展「群馬の詩人―近現代詩の革新地から―」に出展され、拝見して参りました。

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近々開催の市民講座系、2件ご紹介します。

まずは北海道帯広から、文学系。  
期  日  : 2018年11月17日(土) 
会  場 : とかちプラザ 講習室402  帯広市西4条南13丁目1
時  間 : 13:00〜15:00
料  金 : 無料
定  員 : 70人
講  師 : 小田島本有氏(釧路工業高等専門学校 創造工学科 一般教育部門教授)

父光雲や、後に妻となる智恵子の存在に注目しつつ、『智恵子抄』や戦争に対する姿勢を通して高村光太郎の文学を浮き彫りにします。

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続いて、光太郎第二の故郷とも言うべき、岩手花巻から美術系。  
期  日  : 2018年11月20日(火) 
会  場 : 花巻市生涯学園都市会館(まなび学園)3階2・3中ホール 岩手県花巻市花城町1-47
時  間 : 午後1時30分から午後3時30分まで
料  金 : 無料
定  員 : 50人 花巻市内在住または勤務者
講  師 : 藁谷収氏(岩手大学教育学部教授)

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それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

一地方に徹底したものは即ち普遍に徹底したものである。

散文「鈴木白羊子詩集「太陽花」序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

鈴木白羊子は、伊豆下田に住んでいた詩人。光太郎も寄稿した雑誌『太陽花』、『向日葵』などを刊行していました。「太陽花」、「向日葵」共にヒマワリの別名です。よほど好きだったのか、雑誌名にも、詩集名にも使っています。

引用文は、宮澤賢治を評した散文「コスモスの所持者宮澤賢治」(昭和8年=1933)中の「内にコスモスを持つものは世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても常に一地方的の存在として存在する。」に通じます。

また、愛妻智恵子の追悼文的な「智恵子の半生」中の「一人に極まれば万人に通ずる」も同じ趣旨と言えましょうか。

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昨年から始まり、三井記念美術館さん、岐阜県現代陶芸美術館さん、山口県立美術館さんと巡回した展覧会です。 
期    日  : 2018年11月16日(金)〜12月24日(月・振休) 
会    場 : 富山県水墨美術館  富山市五福777番地
時    間 : 午前9時30分から午後6時まで
料    金 : [前売り] 一般のみ900円   [当日]一般1200(900)円 大学生900(650)円
         ※( )内は20名以上の団体 高校生以下無料
休 館 日  : 月曜日 ただし12月24日は開館

近年、明治工芸に対する注目度が飛躍的に高まってきました。七宝、金工、牙彫、木彫、漆工、刺繍絵画など、おもに輸出用としてつくられた工芸作品が海外から里帰りし、多くの人が瞠目するようになったのです。2014年から翌年にかけて、当館など全国6会場を巡回した「超絶技巧!明治工芸の粋」展は、そんな明治工芸再評価の機運を盛り上げるための画期的な展覧会でした。
大好評を博したその企画の第2弾として、明治工芸と現代アートの超絶技巧が対決する展覧会を開催します。明治工芸を産み出した工人たちのDNAを受け継ぎ、超絶技巧プラスαの機知に富んだ現代作家の作品も多数展示します。

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おそらく、これまでの巡回会場同様、光太郎の父・光雲作の木彫「布袋像」が展示されるものと思われます。

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その他、様々なジャンルの超絶技巧系。七宝、金工、牙彫、漆工、刺繍絵画などですが、明治期のそればかりでなく、現代作家による超絶技巧の復元や、さらに明治の技巧を凌ぐ作も。大竹亮峯氏の自在置物「鹿子海老」、盒狂悟うじによるアルミニウムを使った金工「flower funeral(花葬)」は、少し前にテレビ東京さん系の美術番組「美の巨人たち」で取り上げられました。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

民族の大いに動くとき、人は必ず詩を渇望する。澎湃たる民族の動きそのものが已に詩を意味するのである。

散文「田村昌由編「日本青年詩集」序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

太平洋戦争開戦直前ということもあり、若干(というかかなり)、きな臭い表現ではありますが……。

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以前からこの件に関し、ちょこちょこ記述しておりましたが、いよいよ日にちが迫って参りました。 

高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会

期   日  : 平成30年11月18日(日)
場   所  : 
二本松市コンサートホール 福島県二本松市亀谷1-5-1
時   間  : 午後1時から
観覧料金  : 1,000円

発表時間  : 『智恵子抄』、『智恵子抄その後』他、高村光太郎詩1作品の朗読と自分の想いを5分以内で
発  表  順  : 前半12名、後半12名を当日抽選で決定 追記 昨日電話があり1人多い25名となったそうです。
朗読者参加費 : 2,000円(小中学生1,000円)
表   彰  : 大賞1名  優秀賞3名  特別賞 奨励賞若干名

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初の試みということで、参加者が集まるかどうか不安視されており、そこで、これまで各地で「智恵子抄」系などの朗読をなさった下さった方々をご紹介したところ、けっこう釣れました(笑)。

仙台ご在住で連翹忌でも朗読をしていただいた荒井真澄さん、いわき市に住まわれ、同市の草野心平記念文学館さんなどのイベントに出演されている緑川明日香さん、埼玉にお住まいで、都内で朗読イベント等を主催されている詩人の宮尾壽里子さん。それから、郡山で活動されている宗方和子さんにも案内を送っていただいたところ、宗方さんが講師を務められているカルチャースクールでの生徒さんが数名。

先月中頃の時点で既に23名の応募があり、あと1名、というお話でした。

審査委員長は、福島大学名誉教授・澤正宏氏。その他の審査員には、太平洋美術会の坂本富江さん、地元二本松にお住まいの詩人・木戸多美子さんなど。

当方は入っていません。山吹色の饅頭を貰って「お主もワルよのう」とやりたかったのですが(笑)。ただ、過日行われた「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」の表彰式を兼ねるそうで、表彰状授与をせよと命ぜられておりますので行って参ります。

その他、アトラクション的に地元の琴の団体さんの演奏なども予定されているそうです。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩人は機微を見る。寸言片語の間に底辺の全生活をも把握する。

散文「海野秋芳詩集「北の村落」序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

海野秋芳は、大正6年(1917)、山形県出身の詩人です。結核のため昭和18年(1943)、27歳で早世しています。

海野の故郷・山形県西村山郡朝日町の朝日町エコミュージアムルームさんに、この文章の光太郎自筆原稿
収蔵、一般公開されています。

「全国『智恵子抄』朗読大会」に出場される皆さんには、光太郎の見た「機微」をぜひ表現していただきたいものです。

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昨日は埼玉県東松山市に行っておりました。現在、市立総合会館において「高田博厚展2018」が開催中です。

光太郎を深く敬愛し、光太郎もその才を認めた高田。光太郎に関わる展示も為されていました。

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昨年、鎌倉にあった高田のアトリエが閉鎖されることとなり、そこにあった品々が、高田と縁の深い東松山市に寄贈され、その寄贈品が展示の中心でした。昨年2月に亡くなった、同市の元教育長・田口弘氏のご遺徳です。

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メインは高田の彫刻群。

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左は光太郎、高田、ともに敬愛し、高田は滞仏中に本人にも会ったロマン・ロラン。右はやはり光太郎、高田共に交流のあった武者小路実篤。

光太郎関連では、前述の田口弘氏所蔵だった「大倉喜八郎の首」。光太郎令甥の故・高村規氏撮影の光太郎遺影。光太郎から高田宛の献呈署名入り『ロダン』(昭和2年=1927)。

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『ロダン』は、鎌倉の笛ギャラリーさんで先月から今月初めに開催された「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その七」に並んだもの。ギャラリーオーナーで、光太郎の妹・しずの令孫に当たる山端夫妻がたまたま入手されたそうです。東松山市の担当者に、こんなものが並んでいましたよ、とお伝えしたところ、早速拝借したそうで。

鎌倉の高田アトリエの様子的な展示。

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市内の中学生による、高田の彫刻に関しての学習の成果や、高田から諸家宛の書簡なども並んでいました。

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それから、昭和32年(1957)、高田からパリ郊外のアトリエを引き継いだ、画家の野見山暁治氏の作品。

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その野見山氏と、作家の堀江敏幸氏による対談が、午後1時半から開催されました。

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堀江氏は高田の『フランスから』の講談社文芸文庫版の解説を執筆なさっています。主にその堀江氏がインタビュアー的な役割で、野見山氏から高田の思い出を引き出す感じで進みました。

野見山氏、大正9年(1920)12月のお生まれで、もうすぐ満98歳です。まったくそれを感じさせない程、しっかりした口調で(矍鑠、というわけでもなく)、記憶もはっきりされていましたし、何より「人間」高田博厚の様々な側面を、ユーモラスに語って下さいました。

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スクリーンには古写真などもふんだんに映し出され、興味深く拝見。下の画像は野見山氏も加盟されていた「在仏日本美術家協会」のメンバーですが、中央には、明治末の東京美術学校で光太郎の同級生でもあった藤田嗣治も写っています。

当方、来年1月に、今年に引き続き、同市の図書館さんで講演をさせていただくことになっております。今年は前述の故・田口弘氏と光太郎の交流についてでしたが、来年は高田と光太郎について、さらに田口氏もからめてお話しするつもりで居ります。それに向けて、貴重なお話を伺うことができ、非常に有意義でした。

昨日の対談の模様、おそらく追って東松山市さんのHPに動画等がアップされることと思われます。

講演会終了後、別室で、名刺交換会。

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この時になって初めて気づきましたが、野見山氏、何とジーンズ姿でした。失礼ながら、もうじき98歳というお年でジーンズを履きこなされている点に驚きました。

お世話になっている小平市平櫛田中彫刻美術館さんの学芸員・藤井明氏もいらしていました。最近、行った先々でお世話になっている方々に思いがけずお会いするケースが多く、不思議な感覚です。

さて、「高田博厚展2018」、来週末18日(日)までの開催です。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】イメージ 20

竹内勝太郎はおそらく日本で詩を構成したと言ひ得る最も大きな詩人であらう。言葉の機能を素材として、ヴアレリの謂ふ意味に於ける詩の能力量の極限にまでこれを発力せしめるための構成を組織しようとして歩々透脱、つひに晩年の生成的渾沌を含む超数学的詩法を創造するに至つたものと思はれる。

散文「竹内勝太郎遺稿詩集「春の犠牲」後記」より 
昭和16年(1941) 光太郎59歳

竹内勝太郎は、明治27年(1894)生まれの詩人。滞仏経験があり、彼の地でポール・ヴァレリーに傾倒、その影響を受けて日本に於ける象徴詩を確立したと評されています。

昭和10年(1935)、転落事故で死亡。弟子筋に当たる富士正晴の尽力で、『春の犠牲』が刊行されました。光太郎はその題字2種(表紙、扉)と後記に筆を振るいました。

光太郎にしても、高田博厚にしても、野見山暁治氏にしてもそうですが、かつてはフランスの影響というのが実に多大でした。

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テレビ東京さん系列で、昨日放映された「土曜スペシャル いい旅・夢気分 紅葉めざして乗り継ぎ旅スペシャル」。光太郎最後の大作「乙女の像」ががっつり取り上げられました。取り上げられるかどうか微妙だなと思って、このブログでは事前にご紹介しなかったのですが……。

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3本立ての1本目で、太川陽介さん、蛭子能収さんの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」コンビに、マドンナ釈由美子さんの3人で、奥入瀬渓流、十和田湖、弘前などを巡るコース。

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「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では、平成25年(2013)に、太川さん、蛭子さんに、さとう珠緒さんを加えた3人で、山形は米沢市から本州最北端・青森県大間崎を目指す途中に十和田湖、奥入瀬を通られました。平成28年(2016)にはDVDが発売されています。

今回は、八戸からスタート。

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蛭子さん、平成25年の記憶がありません(笑)。

路線バスで紅葉の奥入瀬渓流に向かい、途中下車。

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撮影日が10月30日(火)だったそうで、何とまあ、当方が彼地に行っていた2日後でした。

再びバスで、十和田湖畔休屋へ。

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真っ先にお二人が向かったのは……。

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「おお!」という思いと、「くっ、ブログで紹介しておくんだった」という思いでした(笑)。

光太郎の名もしっかり出して下さいました。

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また、いろいろなアングルから像を撮影して下さってもいました。

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ここで、マドンナ・釈由美子さんと合流。

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十和田湖畔で昼食。釈さんは十和田バラ焼きを召し上がっていました。

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さらに、宇樽部地区からボートで湖上散策。

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この日の宿は、昭和27年(1952)、光太郎も泊まった蔦温泉さん。

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翌日、八甲田山麓を越えて青森市へ。何と、酸ヶ湯温泉では雪。そういえば、当方が行ったとき、市役所の方が「そろそろ八甲田では降るでしょう」とおっしゃっていました。

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その後、黒石を経由して弘前へ、という行程でした。

3本立ての残り2本は、競馬の武豊騎手と、小泉孝太郎さんが、やはり光太郎も泊まった宝川温泉を含む群馬の名湯の数々、フィギュアスケートの村上佳菜子さんで、光太郎智恵子婚約の地・信州上高地。

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偶然でしょうが、光太郎ゆかりの地のオンパレードでした。

テレビ東京さん自体、または系列のBSテレ東さんなどで再放送があるといいのですが……。また、テレ東系でない地方テレビ局でも、いわゆる「番販」の形で、休日の昼間などに放映される場合があり、そうなってほしいものです。

情報が入りましたら、ご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

書く事以外に何の求めるところもない竹林の清さが其処にある。それは又竹林のやうな根の強さを思はせる。

散文「永瀬清子詩集「諸国の天女」序」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

永瀬清子は現在の岡山県赤磐市(当方も一度足を運びましたが、実にいいところです。)出身の女流詩人です。

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東京千代田区、超絶技巧系の企画展示です。 
期   日  : 平成30年11月3日(木)〜12月24日(月・振休) 前期 11/3〜25(日) 後期 12/1(土)〜12/24
場   所  : 三の丸尚蔵館 東京都千代田区千代田1-1
時   間  : 午前9時から午後3時45分
料   金  : 無料
休 館 日  : 毎週月曜日・金曜日 展示替えの期間(11月26日から11月30日)及び12月23日(天皇誕生日)
            ただし11月23日(金・祝)及び12月24日(月・振休)は開館

 明治時代の美術は,開国後間もない社会的な混沌と激動の時代であったその初期を経て,様々な制度を整えつつあった前半期に大きな変貌を遂げました。日本美術の長い歴史の中にあって,それはわずかな期間に起こった急激な変化であったと言えるでしょう。本展では,明治10年代から20年代に制作された絵画,彫刻,工芸,写真を中心に取り上げることで,この時期の造形表現に見られる特質を浮かび上がらせます。
 この時代の美術の特質として,まず注目されるのは主に工芸や彫刻の分野に顕著に見られる卓越した技巧主義です。江戸時代に成熟した高度な技術を引き継ぐ精緻な表現によって,新しい時代の変化に応じた作品の数々が生み出されました。一方,文明開化の風潮によって積極的に採り入れられた西洋のイメージや技法は,それまでの時代とはまったく異なる表現を生み出しました。それは一言で表わすならば迫真的表現と呼ぶべきもので,技巧主義とも結び付いて平面作品,立体作品に関わらず様々な素材,技法のもとで,文字通り真に迫った表現が追究されました。また,幕末から技術が流入した写真は,人や物をありのままに写すという記録的な性格から,徐々に絵画的な表現を目指すようになりました。
 本展では,近年,“超絶技巧”と注目されている明治時代の造形表現に焦点を当てながら,一つ一つの作品のどこがそれほど驚異的なのかを解き明かし,この時代の美術の本質に迫ります。ご覧になった方々の明治美術に対する興味や理解がさらに深まれば幸いです。

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宮内庁さんですので、「超絶技巧」の語は最前面に押し出されてはいませんが、出品物のラインナップはまぎれもなくそれですね。

光太郎の父・光雲作の「矮鶏置物」(明治22年=1889)が出ています。

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一般人から注文を受けて製作したものですが、半ば強引に日本美術協会展に出品させられ、それが明治天皇の眼に留まり、お買い上げとなった作です。その辺りの経緯、昭和4年(1929)の『光雲懐古談』に詳しく記されています。青空文庫さんで無料公開中。


光雲38歳、東京美術学校に奉職し、サクセスロードを歩み始めた頃の話です。同じ展覧会に出品された濤川惣助の七宝花瓶についても記述がありますが、これも今回の三の丸尚蔵館さんで並ぶ(後期)ようです。

「矮鶏」は前期(11/3〜11/25)のみの展示だそうです。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私は自分では甚だしく源始粗劼併蹐鮟颪い討陲覆ら、また近代感覚の尖角から立ちのぼるメタフオルとイメジの噴霧岫雲の美を美としてよろこび味ふものである。所謂超現実派の蔵する純粋性に比例均衡の精神美を見る事さへ少なくない。

散文「上田静栄詩集「海に投げた花」序」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

上田静栄は明治31年(1898)、大阪生まれの女流詩人。智恵子の一番の親友で、『青鞜』メンバーだった作家・田村俊子の弟子となり、その縁で光太郎智恵子のアトリエにも出入りしていました。

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