高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。
テレビ放映情報です。 

たけしのニッポンのミカタ! 老若男女がなぜ登る?山に魅せられたニッポン人

テレビ東京 2019年6月21日(金) 21時54分〜22時54分

▽山頂に渋滞!9000人が集まる安達太良山の山開きに密着 ▽個人で山を購入!? 一万坪をひとり占め…山の(秘)楽しみ方 ▽人生が変わる!? 三浦豪太&市毛良枝が山で出会った奇跡の風景 ▽登山者数世界一! あなたの知らない高尾山

司会   ビートたけし、国分太一 
ゲスト  三浦豪太(プロスキーヤー・登山家)、市毛良枝(女優)

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智恵子の故郷・福島二本松に聳え、先月19日、第65回山開きが開催された「ほんとの空」のある安達太良山。その山開きの様子が紹介されます。

当方、今年、山開きに合わせ、初めて山頂まで登りました。そこでもしかすると当方も映るかもしれません(笑)。ロープウェイの奥岳登山口駅で、テレビ局スタッフらしき皆さんに「切符を買っているところを、手だけ撮らせて下さい」と言われ、承諾いたしました。地元のローカルニュース系だろうと思っていたのですが、ことによるとこの番組ということも考えられます。山頂付近ではテレビ局さんらしきクルーには気づかなかったのですが(番組紹介にあるとおり、多くの人で人山の黒だかりでした(笑))、途中の登山道でそれっぽい人達を追い越したような気もします。

安達太良山と光太郎智恵子との関わり、そして「ほんとの空」的な紹介が少しでも為されれば、と思っております。キー局がテレ東さんで、全国的には試聴可能地域が限られますが、番販の形で他局系でも遅れて放映されるようですので、各地域でご注意していて下さい。

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【折々のことば・光太郎】

大酒はもとより大毒。のまずにすむなら酒はのまぬが一番。もしのむなら安くてわるい酒は禁物。高くてもよい酒が結構なれど安くてよい酒なら尚ほ結構な道理でございます。
雑纂「古雅清醇 ゐなか酒「花霞」引札」より 大正12年(1923) 光太郎41歳

「花霞」は、智恵子の実家、福島県油井村(現・二本松市)の長沼酒造で作っていた日本酒のブランドです。この年9月1日の関東大震災後、とにかく物が不足していたことから、光太郎が東京に取り寄せ、自ら荷車を引いて売り歩いたとのこと。ラベルや引札も木版で作りました。引札は二本松の智恵子記念館さんに展示されています。

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ちゃんとやればそれなりに商売になったのでしょうが、結局は友人知己にただで呑まれてしまい、ほとんど儲けにならなかったとのこと。当会の祖・草野心平は無実です(笑)。この頃はまだ光太郎と知り合っていませんし、第一、中国に居ました。

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本日は合唱系で。

まず、長野県から演奏会情報。 
期     日  : 2019年6月23日(日)
会     場 : 松本市音楽文化ホール 長野県松本市島内4351
時     間 : 14:00開演
料     金 : 一般1,000円  高校生以下500円
曲     目 : 
  清水脩 高村光太郎の世界   亡き人に 智恵子抄巻末のうた六首 私は青年が好きだ
  アラカルト〜生きること 歌うこと VITA DE LA MIA VITA (W.HAWLEY) あなたの心のなかに(松下耕) 他
  Missa brevis (G-dur)  V.Miškinis

昭和の名曲、南アフリカの結婚歌、トルミス作品、現代日本の作品などのアラカルト、そしてメインはミシュキニスと、バラエティに富んだ曲目となっております。

6/23(日)、松本市音楽文化ホールでお待ちしています!


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故・清水脩氏の作曲になる光太郎詩をテキストとした作品で1ステージ。このうち「智恵子抄巻末のうた六首」、『智恵子抄』中の「亡き人に」(昭和14年=1939)に曲をつけたものは、楽譜やレコード、CD等で広く知られていますが、「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)にも清水氏が曲をつけていたのは存じませんでした。調べてみましたら、カワイさんから昭和44年(1969)に刊行された『清水脩合唱曲選集』に収められているようです。この手の古い作品を取り上げてくださるのはありがたいところです。


合唱といえば、当方も数十年混声合唱に取り組んでいますがイメージ 2、先々週には所属する団で千葉県合唱祭に出演して参りました。

わが団は、指揮者が故・大中恩氏の弟子筋に当たる方で、昨年暮に亡くなった氏の追悼的な意味合いも兼ね、氏の作品などを演奏しました(そうでなくても氏の作品をよくとりあげているのですが……)。

毎年、光太郎詩に曲をつけた作品が演奏されないかな、と思っているのですが、なかなか取り上げられません。さまざまな作曲家さんが作られてはいるのですが。同じことはコンクール系でも同様です。ただ、まだコンクール系の方がよく取り上げられているかな、という感じですね。合唱祭というと、たしか6分間だかの時間制限があって、そのあたりもネックになって居るような気がします。

で、千葉県合唱祭。出演団体が多いので、3日間、それぞれ午前・午後に分け、計6ブロックでの実施です。わが団と同じブロックに出演された千葉県立松戸高校合唱部さんが、昨年ヒットした米津玄師さんの「Lemon」を演奏なさいました。若々しく真面目ないい演奏でした。

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「Lemon」、米津さんご自身、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっています。J-POP系もヒットすればすぐ合唱編曲が出るっけな、と、それは失念していました。

プログラムをめくってみますと、異なるブロックでも複数の出演団体が「Lemon」を演奏なさっていました。

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たまたまでしょうが、すべて松戸市の高校さん。松戸と「Lemon」には直接関係はないと思います。アレンジは2種類で、吉田宏さんという方と、西條太貴さんという方ですね。西條さんのヴァージョンは混声3部、主に吹奏楽の楽譜を扱っているウインズスコアさんという会社から出版されています。

全国の合唱団さん等で取り上げていただき、元ネタである「レモン哀歌」にも関心を寄せていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

平日研究のモデル費にあてる為、斯ういふ会を又催します。今度は途中でお断りするやうな事をしません。そして永く続けます。

雑纂「木彫小品鳥蟲魚介蔬菜果蓏を頒つ」より 大正13年(1924) 光太郎42歳

木彫の頒布会広告です。少し前に同趣旨で絵画やブロンズ彫刻の頒布会を立ち上げ、スポンサーを募りましたが、作品を換金することに抵抗を感じ、どちらも長続きしませんでした。しかし、前年の関東大震災を受けて、ブロンズの入手が困難だったという部分もあり、ふと回帰した木彫が意外に好評で、それなら本格的に売り出すか、という感じでした。やはり智恵子は作品を手放すことに難色を示し、懐に入れて持ち歩いたそうです。

複数の「蝉」や「鯰」などがこれによって作られ、さらに別個に百貨店での即売会にも出品(「栄螺」昭和5年=1930など)、多作ではなかったものの、光太郎自身、本当に「今度は途中でお断りするやうな事をしません。そして永く続けます。」というつもりだったようですが、顕在化した智恵子の心の病のため、それもできなくなってしまいます。

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智恵子の故郷・福島二本松からのイベント情報です。 
期     日  : 2019年6月22日(土)・23日(日)
場     所 : 福島県二本松市 
料     金 : 4,000円(宿泊費、初日昼食・夕食、2日目朝食・昼食代)
定       :  6名
問い合わせ  : 二本松市役所総務部秘書政策課 TEL 0243-24-7120/FAX 0243-22-7023
           Email energy@city.nihonmatsu.lg.jp
詳     細  : 
 <6月22日(土)>
  12:00 昼食(日程説明) ※ふくしま農家の夢ワイン㈱
  14:30 農業体験(有機農家の圃場で収穫体験)
  18:00 先輩移住者・地元の方との夕食交流会
  20:00 宿泊
 <6月23日(日)>
  9:00  農業体験(有機農家の圃場で収穫体験)
  11:30 昼食(ツアーの振り返り)
  13:00 二本松市内観光
  14:25 二本松駅着 
         

二本松市は、高村光太郎が「智恵子抄」の中で、妻・智恵子のあどけない話として「あだたら山の上に出ている青い空がほんとの空」だと伝えている『ほんとうの空』がある市として知られています。
二本松藩・丹羽家10万石の城下町として歴史を刻んできたエリア、安達太良山の麓にある岳温泉・安達太良高原エリア、東の阿武隈山系に連なる里山の恵み豊かな中山間地域エリアに分かれており、豊かな自然が住む人、訪れる人々をやさしく包んでくれます。
今回のツアーは、阿武隈山系に連なる地域で有機農業を営んでいる方々が、農業後継者と一緒に有機農業を営んでみたい方を募集するために企画したものです。農業を新たに始める方のサポート体制も整っておりますので、是非足を運んでみてください。お待ちしております!

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内容的には直接光太郎智恵子に関わるわけではないのでしょうが、「ほんとの空」の語を持ち出されると、紹介せざるを得ません(笑)。

有機農業に関心がおありの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

従つてわたくしには世上に於ける名誉がありません。しかし実力はあります。わたくしの彫刻は尠くとも根帯の無い砂上の家ではありません。外面的に見ても、わたくしは自分の彫刻が世界の芸術的市場に持ち出されて差支無いのみならず、必ず確固たる市価を得べきものだといふ事を疑ひません。

雑纂「高村光太郎彫刻会」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

同じ文章に拠れば、ニューヨークで個展を開きたい、しかし金がない、ひいては彫刻を買ってほしい、だそうで。どの程度本気だったのか、何とも難しいところですが、賛助員には、金子堅太郎子爵をはじめ、水野勝興(親友・水野葉舟の父で日本勧業銀行監査役)、正木直彦(東京美術学校校長)、与謝野寛、武者小路実篤、岸田劉生、バーナード・リーチ、そして明治39年(1906)にニューヨークで世話になったガットソン・ボーグラムなど、錚々たるメンバーが名を連ねています。

結局、入会者が少なく、ニューヨークでの個展は実現しませんでしたが、ブロンズの「手」(大正7年=1918)、「裸婦坐像」(同6年=1917)などの代表作が作られました。

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いわゆるライトノベル系です。 
2019年5月25日 霜月りつ著 早川書房(ハヤカワ文庫JA) 定価760円+税

元書店員の啓(ひらく)は、ある事件がきっかけで“本が読めなくなってしまう”。が、入院した伯父の代わりに、彼が営む書店の店長をすることに。その初日、店内の座敷童子(ワラシ)人形がいきなり動き、あれこれ書店繁盛の教育的指導をしてきた!啓はワラシとぶつかりつつ、子どもへの贈物ですれちがう夫婦の悩みや、何年も取り置きされたままの“赤毛のアン”の謎など、お客様の問題を解決し……出逢いとドラマが山積みのマチナカ書店物語。

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人間関係のトラブルからのトラウマで本が読めなくなり、それまで務めていた大手書店を退職した主人公。伯父の入院に伴い、代理で伯父の小さな書店を任されます。すると、店内に飾られていた市松人形が座敷ワラシと化して上から目線で(笑)しゃべりはじめます。江戸時代の貸本屋の頃から「いい本がある書店」に代々受け継がれてきた「本屋の守り神」だそうで。ワラシのアドバイスに従い、書店を訪れる客たちの心の傷に寄り添う中で、主人公の心の痛みもやがて癒され……。

実在の様々な書籍が効果的に使われています。帯で紹介されているのは以下の通りです。

 『書店猫ハムレットの休日』、〈氷と炎の歌〉シリーズ、『大聖堂』、『だるまちゃんとてんぐちゃん』、『超辛口先生の俳句教室』、『認知症は治せる』、『アンの想い出の日々』、〈ペリー・ローダン〉シリーズ、『三幕の殺人』、『東京バンドワゴン』、『高村光太郎詩集』(「智恵子抄」)、『おさるのジョージ』、『星の陣』、『書店主フィクリーものがたり』

『高村光太郎詩集』は、岩波文庫版です。物語の終盤、主人公の「本が読めない」という症状が治るきっかけの一つとなり、恢復したあと初めて読んだ本、という設定。(「智恵子抄」)となっているのは、主人公が小学生時代、父親の本棚にあった『智恵子抄』(新潮文庫版?)を手に取り、全ては理解できなかったものの「レモン哀歌」に感動し、それが本好きになった一つの源流、的なエピソードもあるからです。

詩集でモチーフになっているのは光太郎詩集だけで、朔太郎でもなく賢治でもなく中也でもなく、よくぞ光太郎にしてくれた、と感謝しました。

それにしても、作者・霜月さんの「本」や、街の小さな個人経営の「本屋さん」に対する深い愛情的なものが溢れている一篇です。こんな本屋さんが実際にあればいいな、と思わせられます。座敷ワラシには遭遇したくありませんが(笑)。

ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】イメージ 3

或る芸術上の用途の為め、近々に少し纏まつた金圓が入要になりましたので、あまり好みませんが画会と言ふものをつくりました

雑纂「高村光太郎画会」よ
 大正3年(1914) 光太郎32歳

油絵頒布会の広告的な。50号の100円が最高額、以下30号で50円、25号は35円、12号に20円、8号を10円、そしてサイズは明記されていない「スケツチ板」が4円とのこと。前金で3分の1ほど、完成後に残金を支払うというシステムです。父・光雲の勧める東京美術学校教授のポストや銅像会社設立などをすべて断り、智恵子との結婚生活に入ることとなって、自分で稼がなければならず、こういったこともやりました。

実際、ぽつぽつ注文があり、作品も残っています。右は福島の素封家で、中村彝と深い交流のあった伊藤隆三郎が購入したもの。

下記は、新潟の素封家で、『明星』同人でもあった渡辺湖畔の注文で描いた「日光晩秋」に関して。

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しかし、光太郎自身「あまり好みませんが」と書いたとおり、積極的に芸術を換金することに対しては常に抵抗があったようで、画廊の琅玕洞同様、事業としてはものになりませんでした。

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6月9日(日)、地方紙『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」。 

女子体育の母

 二階堂トクヨは「女子体育の母」と呼ばれる。一九二二(大正十一)年、日本女子体育大の前身となる二階堂体操塾を開き、女性の体力と健康を高めようと努める。NHK大河ドラマ「いだてん」には、厳しく情熱に満ちた人物として登場する。
 宮城県に生まれ、福島大の前身校の一つである福島県師範学校を卒業した。一年間、油井尋常高等小学校(現二本松市油井小)の教壇に立つ。高等科の三年生だった長沼智恵子との交流が生まれる。のちにトクヨが英国へ留学に旅立つ時、智恵子は夫となる高村光太郎と横浜港で見送った。
 「二階堂トクヨ先生を顕彰する会」が三年前、宮城県で結成された。今年三月には生誕の地を示す看板を大崎市の公園に立てて、たたえる取り組みを進めている。智恵子をしのぶ二本松市の「智恵子の里レモン会」の会員は、本県で結ばれた師弟の強い絆を確かめる。
 両会によるとトクヨは師範学校に進む際、福島民報社の初代社長で衆院議員を務めた小笠原貞信の養女となり本県と関わりを深めたという。向学心、人を育てる思いに県境はない。一世紀余り前に出会った二人の女性の生き方は、古里の歴史に優しい彩りを添える。


二階堂トクヨ、「いだてん」では寺島しのぶさんが熱演(怪演?)なさっています。

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6月9日(日)放映の回では、終了後にトクヨの紹介も。

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以前も書きましたが、智恵子との交流のはじまりは、明治32年(1899)、トクヨが福島高等師範を卒業後、安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校に赴任してのこと。智恵子は高等科に在学中で、トクヨは智恵子の6歳下の妹・ミツ(尋常科2年)の担任でした。

当時の油井小学校。

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当時の智恵子。実家は県下有数の造り酒屋でしたので、いかにもです。そもそもこういう写真が残っている時点でお嬢様ですね。

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智恵子卒業時の集合写真。

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イメージ 13恵子は最前列右から二人目。拡大すると左の画像。数え16歳で、4月から福島高等女学校に進む、その直前です。

トクヨも写っているのでは、と気がつき、探してみました。元の資料(『アルバム 高村智恵子―その愛と美の軌跡―』 平成2年=1990 二本松市教育委員会)では、キャプションに智恵子と、担任だった別の先生しか書かれていませんで……。

すると、最後列右から二人目が、どうもトクヨのようです。後の写真と比べての判断ですが。

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『福島民報』さんの「あぶくま抄」にあるとおり、大正元年(1912)にトクヨが英国留学に発つ際に、智恵子は光太郎を伴って横浜港まで見送りに行ったということは伝わっています。ただ、その後、光太郎智恵子とどう関わったのか、疎遠になってしまったのかなど、今ひとつ分かりません。今後の課題とします。

『高村光太郎全集』では、トクヨの名は一回だけ出て来ます。大正2年(1913)に、光太郎が智恵子のすぐ下の妹・セキに送った書簡中の「二階堂さんからお便りがありますか」という一節です。失念していましたが、セキは、智恵子と同じく日本女子大学校を卒業後(智恵子は家政学部でしたが、セキは教育学部でした)、トクヨと同じ東京女子高等師範学校に入学し直したことが分かっています。セキの卒業は明治45年(1912)。トクヨは同37年(1904)に卒業しているはずですので、直接の関わりがあったかどうかは不明ですが、匂いますね。ちなみにトクヨの女高師進学に際しては、智恵子の実家からの援助があったそうで。

トクヨの評伝的な書物がかつて複数出版されていますので、少し調べてみようと思います。

「いだてん」に戻りますが、ドラマでのトクヨ、主人公金栗四三(中村勘九郎さん)の後輩で、アントワープ五輪の陸上十種競技に出場した野口源三郎(永山絢斗さん)に失恋する、という設定になっていました。これが史実かどうか存じませんが。

で、その野口が中心になって創刊された雑誌『アスレチツクス』が、前回放映で取り上げられました。

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この『アスレチツクス』へ、後に光太郎も寄稿しています。昭和5年(1930)7月の第8巻第7号に、詩「籠球スナツプ シヨツト」。バスケットボールをモチーフにした躍動感溢れる詩です。それから翌月号ではアンケート「山と海」に回答を寄せています。若い頃よく登った赤城山の思い出や、上高地で智恵子と結婚の約束を交わしたこと、欧米留学のため小さな貨客船で太平洋を渡ったことなどが語られています。

やはりこの時代が描かれている「いだてん」、今後も目が離せません。皆様もぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

カプリの島のグロツタ アズラは赤金にやけた浜の童の肌をも白金にするといふ。美しい物の好きな人は此の琅玕洞に立ち寄りたまへ。

雑纂「琅玕洞広告」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

「琅玕洞」は、神田淡路町に光太郎が開いた、ほぼ日本初の画廊です。その店名は、森鷗外の訳になるアンデルセンの『即興詩人』から採られました。「琅玕洞」=「グロツタ アズラ」=「GROTTE AZZURÉE」、イタリア・カプリ島の有名な「青の洞窟」のことです。

親友・荻原守衛などの作品を並べ、美術愛好家に好評を博しましたが、事業としてはまるで成り立たず、あえなくまる1年で手放すことになりました。

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まず出版系から。 
2019年7月5日 NHK出版 定価1,100円+税イメージ 1

話題の大河ドラマ、ガイドブック第2弾!
巻頭は、阿部サダヲ×中村勘九郎×役所広司の座談。
新聞記者・田畑政治の同僚、世界の舞台で大活躍の
水泳選手など、新しい登場人物を一挙紹介! 
関東大震災、第二次世界大戦の足音……
逆境の中でも輝くアスリートの栄光と苦悩、それを支え
る人々の泣き笑い。
波乱万丈のドラマをさらに深掘りできる一冊!

【章立て】
座談 阿部サダヲ×中村勘九郎×役所広司
出演者紹介&インタビュー
水泳チーム座談会
水泳撮影の舞台裏
美術特集〜関東大震災からの復興を描く
女子アスリートの系譜
オリンピックとその時代
あらすじ
大友良英とスゴ腕ミュージシャンたち
実感放送〜スポーツ中継の歴史をひもとく
いだてん新聞 ほか


主に9月15日(日)放映の第36回までをカバーする内容です。以後の放映については9月に「完結編」が刊行されるそうです。

「あらすじ」の項で、第36回までのかなり詳細な内容が明らかになっています。「ここまでネタばらしちゃっていいのか?」と思うほどでした。それによれば、昭和11年(1936)のベルリンオリンピックまでが描かれています。

このドラマ、これまでも、光太郎智恵子ゆかりの人物が登場していました。光太郎がその肖像レリーフを手がけた嘉納治五郎師範(役所広司さん)、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が顕彰する対象の武田千代三郎(永島敏行さん)、そして小学生だった智恵子をかわいがり、道を示した寺島しのぶさん演じる二階堂トクヨ(トクヨについてはまた明日、詳述します)……。

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今後登場する新キャラの中にも、光太郎ゆかりの人物が多数含まれます。

まず、アスリート系。今後、水泳陣がクローズアップされていイメージ 5きまして、代表チームを引っ張るリーダー的な存在・高石勝男。斎藤工さんが演じられます。

昭和6年(1931)、雑誌『モダン日本』に掲載されたアンケート「私の贔屓(ひいき)集」での光太郎の回答が以下の通り。

 野球     贔屓人物移動中にて挙げ難し
 庭球     コオシエ
 ラグビー  いまだ渾沌たり
 陸上競技  走高跳のキムラ
 水上競技  曾てタカイシなりしが今移動中
 将棋     土居八段、関根名人、
 碁      呉少年

「コオシエ」はフランスのテニス選手。昭和5年(1930)には来日し、東京や大阪で日仏対抗の試合を行っています。「キムラ」は早稲田大学の学生だった木村一夫。アムステルダム(昭和3年=1928)、ロサンゼルス(昭和7年=1932)の両オリンピックでともに6位入賞でした。「土居八段」は土居市太郎、「関根名人」は十三世名人関根金次郎。碁の「呉少年」は呉清源です。そして「タカイシ」が高石勝男。「移動中」って、光太郎、冷たいですね(笑)。


続いて、イメージ 6上白石萌歌さん演じる前畑秀子。ロスでは銀、4年後のベルリンでみごと日本女性初の金メダリストとなりました。

以前にこのブログに書きましたが、光太郎、彫刻家の眼で観て、前畑の身体美を絶賛しています。昭和16年(1941)、『読売新聞』に連載された座談会「新女性美の創造」から。

 吉田 「水泳の人の身体は違ふ。」
 高村 「前畑さんなどは普通では肥りすぎてゐるやうにい
     はれるけれども、僕などの立場から見ると実に美し
     いものですね。」
 竹内 「前畑さんは丁度理想的な寸法で決して肥りすぎて
     はをりません。あの人がドイツから帰つて来た日に
     私、宿舎へ行き、身体測定をしました。(略)寸法で
     いひますと身長が一六〇糎、胸の周りが九〇・二
     糎。(略)それから目方はあの人は五八瓩です。」

「吉田」は吉田章信(体育研究所技士・文部省体育官)、「竹内」は医師の竹内茂代です。

当時の日本女性の平均値は身長150㌢、体重53㌔㌘ぐらいだったそうですので、たしかに立派な体格です。同じ座談によれば、前畑と死闘を演じたドイツのゲネンゲルも全く同じ体格だったそうです。


「いだてん」、幻に終わった昭和15年(1940)の東京オリンピック招致の話にもなりますので、そうした関係から政治家の面々も登場します。

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昭和7年(1932)の五・一五事件で暗殺された犬養毅(塩見三省さん)。「木堂」の号で書家としても有名だった犬養、光太郎はその晩年に書かれた「書についての漫談」(昭和30年=1955)の中で、書家としてより書の理論家としての犬養を高く評価しています。


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昭和11年(1936)の二・二六事件で命を落とした高橋是清。今年3月に亡くなった萩原健一さんです。光太郎、昭和2年(1927)の随筆「人の首」で、肖像彫刻を作ってみたい人物を挙げていますが、その中に高橋の名も。曰く「写真で見ると、高橋是清氏と、浜口雄幸氏とが面白い」。政治家で名を挙げているのはこの2人だけです。

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今後、五・一五事件や二・二六事件、それ以前に次回6月16日(イメージ 14日)の放映から大正12年(1923)の関東大震災が描かれますし、やがて嘉納治五郎が必死の思いで誘致に成功した東京オリンピックも日中戦争の影響で返上と、ある意味悲惨な時代が舞台となっていきます。それにもめげず、それぞれの競技に打ち込むアスリートや、体育行政関係者達の姿が今後の焦点。元々時代劇の流れをくむ大河ドラマ、定番の戦国時代や幕末の合戦などの代わりに、スポーツによる戦いが描かれ、その意味では従来の大河に対するアンチテーゼともいえるかもしれません。

ちなみに右は『NHK大河ドラマ・ガイド いだてん 後編』に掲載されている写真。光太郎の父・光雲が主任となって制作された上野の西郷隆盛像ですが、関東大震災直後の写真で、台座や像のあちこちに尋ね人的な張り紙が為されています。


余談になりますが、「いだてん」、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市でもロケが行われています。

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6月2日(日)放映の第21回「櫻の園」。大正9年(1920)のアントワープ五輪で惨敗して帰国した水泳代表チームが、現地での屈辱を回想するシーン。

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古式泳法で泳ぐ日本チームが、練習用プールで欧米選手に笑いものにされた、という設定です。世界の主流は新しく考案されたクロールに移っていましたが、日本にはまだ伝わっていませんでした。

この練習用プールとして使われたのが、香取市と茨城県稲敷市にまたがる横利根閘門(よことねこうもん)。利根川と、その支流である横利根川の間に設けられたレンガ造りの水門で、船が航行する際に二つの川の異なる水位を調整してから通るための施設です。閘門はパナマ運河がこの方式ですし、東京の下町にもいくつか現存しています。

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光太郎が第一詩集『道程』を刊行し、智恵子と結婚披露を行った大正3年(1914)に工事が始まり、大正10年(1921)に完成しました。現在はあまり船舶の通行はありませんが、現役です。補修は行われたものの、ほぼ建造当時の姿を残し、平成12年(2000)には国指定重要文化財に認定されました。

したがって、「いだてん」の役者さん達が泳いでいたのは、川です(笑)。オンエアが6月では、まだ寒い時期のロケだったでしょうに……。

背景に小さく映っている建物がこちら。機械室のような。これもほぼ当時のままです。たしかにアントワープっぽいかもしれません(笑)。

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古式泳法をせせら笑う欧米選手の背後に映っている並木。香取市の木に指定されているポプラです。

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香取市、江戸時代から続く古い街並みも残っており、旅番組(最近は散歩系番組)などで取り上げられることも多く、また、ドラマや映画のロケにもしょっちゅう使われています。NHKさんですと、やはり大河ドラマ「八重の桜」(平成25年=2013)や連続テレビ小説「花子とアン」(平成26年=2014)など。横利根閘門も、泉ピン子さん主演の2時間ドラマ「名司会者・寿鶴子殺人スピーチ(2) 花嫁に忍び寄るストーカー そして父が殺された!14年前の殺人事件に翻弄された運命の恋人達に捧げる涙の結婚式」(平成18年=2006・フジテレビ)などのロケが行われました。隠れた桜の名所でもあります。

閑話休題。「いだてん 〜東京オリムピック噺(ばなし)」、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

この奈良にまゐりてより、私ただ夢ごこちに日を送り居ることに候。南大門の仁王の前に初めて立ち候ときの私、斑鳩(いかるが)の法隆寺に金堂の壁画を透し見し時の私、何知らずわななきしこの腕お察し下されたく候。

雑纂「「相思」より」全文 明治34年(1901) 光太郎19歳

東京美術学校の修学旅行で初めて奈良を訪れ、古仏の数々に接した際の感動を、書簡体で与謝野夫妻の『明星』に寄せたものです。後に知るロダンの彫刻と併せ、これらも光太郎彫刻の骨肉の一つとなりました。

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まず明らかに「智恵子抄」に触れられるもの。 

やすらぎの刻〜道 #48 テレビ朝日開局60周年

地上テレビ朝日 2019年6月12日(水)  12時30分〜12時50分
BS朝日      2019年6月13日(木)  7時40分〜8時00分

巨匠・倉本聰氏が1年間をかけて描くのは、山梨を舞台に昭和〜平成を生き抜いた無名の夫婦の生涯。そして『やすらぎの郷』のその後。2つの世界が織り成す壮大な物語!

出演  清野菜名 風間俊介 宮田俊哉(Kis-My-Ft2) 佐藤祐基 風間晋之介 井上希美 木下愛華 (他)
作    倉本聰
主題歌 中島みゆき『慕情』『進化樹』『離郷の歌』(株式会社ヤマハミュージックコミュニケーションズ)

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放映開始前の4月、このブログでご紹介しましたが、いよいよ劇中で「智恵子抄」が取り上げられる回の放映があります。舞台は太平洋戦争開戦前夜、山梨県の山間部・「小野ヶ沢」という架空の集落です。元養蚕農家だった根来家、語り手の四男・公平(風間俊介さん)は、半年ほど前の父(佐戸井けん太さん)に続いて母(岸本加世子さん)を亡くします。公平の親友たちの家を含む集落のかなりの世帯が開拓団として満州に渡る直前、という設定です。霞ヶ浦の海軍航空隊に入営していた次男の公次(Kis-My-Ft2の宮田俊哉さん)が、母の死の知らせを受けて帰郷、公平に『智恵子抄』を渡すそうで。昭和16年(1941)という設定ですから、龍星閣版『智恵子抄』はこの年8月に刊行されているので、矛盾はありません。

書き込みのしてあるページがあることに気づく公平。それは「あどけない話」(昭和3年=1928)のページで、「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ。」の箇所、「阿多多羅山」が消されて「小野ヶ沢」となっているそうです。

このドラマ、人にとっての「故郷」「原風景」とは何か、的な問いかけが全体を貫くメインテーマとなっており、そうした中でこのような展開となるのでしょう。

ネット上では無料配信も為されています。


続いて再放送ですが……。 

昼の特選ドラマ劇場 おかしな刑事〜居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査 東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!

BS朝日 2019年6月13日(木)  12時00分〜13時55分

伊東四朗が叩き上げの刑事、羽田美智子がエリート警視という凸凹父娘コンビを演じる大人気シリーズの第8弾 ‼ 篤志家の社長が刺された! その背後には、30年前、東京タワーの下で起きた誘拐事件の影が…!?

出演  伊東四朗 羽田美智子 石井正則 小倉久寛 辺見えみり 山口美也子 木場勝己 小澤象 丸山厚人
           菅原大吉 (他)

初回放映は平成23年(2011)。その後、年に数回、地上波テレ朝さんや系列のBS朝日さんでくり返し放映されています。当方、しばらくその存在に気づきませんで、今年の4月、やはりBS朝日さんでの再放送を初めて観ました。

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事件の鍵を握る母子が、智恵子の故郷・福島二本松出身という設定(実際には違うのですが……)。

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そこで、伊東四朗さん扮する鴨志田刑事、娘の(実は秘密)岡崎警視(羽田美智子さん)と共に、二本松へ。岳温泉、安達太良山、智恵子生家、その裏手の鞍石山などでロケが行われました。

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ところで下の画像の石碑、安達太良山にあるようなのですが、当方、場所が分かりません。先月、安達太良山の山開きに参上した際に探したものの、見つけられませんでした。情報をお持ちの方はご教示いただけると幸いです。

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さらに、光太郎の父・光雲が手がけた仁王像が納められた信州善光寺、そして光太郎智恵子が結婚の約束を結んだ上高地をめぐる旅番組。 

美しい日本に出会う旅▼初夏、新緑の上高地へ 北アルプスの絶景秘湯と天空の花園

BS-TBS  2019年6月12日(水) 21時00分〜21時54分

いま一番美しい季節を迎えた信州へ!善光寺参りをスタートに、安曇野・上高地へと絶景をめぐる初夏の旅です。七味唐辛子に並ぶ大人気名物が、「鯉焼」。そのこだわりの秘密とは?北アルプスの絶景が映る田んぼの絶景、安曇野。ここだけの不思議な蚕は、若草色でした!上高地への入り口に、絶景露天風呂の湯宿がありました。でも離れの湯は、なんと車で20分の秘湯?そして今だけの幻の花・ニリンソウの絶景を求めて、上高地ハイキングへ。そこで出会ったのは伝説の画伯でした。瀬戸康史さんがご案内します。

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安曇野も入っていますので、碌山美術館さんも取り上げていただきたいところですが……。


それから、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手・花巻。光太郎を敬愛し、光太郎もその才を高く評価していた宮沢賢治がらみです。 

心に刻む風景 宮沢賢治(3) 岩手県花巻市…教師として訪れた地

地上波日本テレビ 2019年6月12日(水)  21時54分〜22時00分

歴史に名を残す人物の誕生の地や活躍の舞台、終の棲家などを訪ねます。今も残る建物や風景から彼らの人生が浮かび上がってきます。

語り 中村吉右衛門

5分間番組です。(3)ということで、先々週は盛岡、先週は小岩井農場でした。で、明日が花巻。賢治は花巻出身なので「訪れた」というのはおかしいような気もしますが……。光太郎がその碑文を揮毫した「雨ニモマケズ」碑あたりを紹介してほしいものです。


それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

ひどい時には右手は使へず、左手でハガキなどを書く時もある。卓に向つて字を書くといふ姿勢そのものにすでに病因の一つがあるかと思ふこともある。しかし今年あたりはどうしてもこの病気を退治して、もう一度彫刻の仕事にとりかかりたいと思ふので、自分の健康について、今いろいろ検討を加へてゐる。

散文断片「健康について」より 昭和31年(1956) 光太郎74歳

亡くなったその年の、おそらく正月に書かれたと思われるボツにした原稿の断片から。光太郎、最期まで自身が結核であることを認めたがらず、恢復に一縷の望みを寄せていました。単に生きながらえたいというより、やはり彫刻がやりたかったのですね。

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昭和25年(1950)1月、花巻郊外旧太田村の山小屋で逼塞していた光太郎、ひさびさに県都盛岡に出て、あちこちで講演などを行いました。県立美術工芸学校(現・岩手大学)、婦人之友生活学校(現・盛岡スコーレ高等学校)、警察署、県立図書館など。その中に、盛岡少年刑務所さんも含まれていたとのこと。

少年刑務所では、五百数十名の青少年受刑者を前に講演を行いました。その際には、「心はいつでもあたらしく」と揮毫した書をこちらに残し、昭和52年(1977)、岩手県教誨師会の発意で、その書を刻んだ石碑が敷地内に建立。さらに翌年から、高村光太郎祭が開催されています。当方も一度、講演をおおせつかりました


以前は法務省主催の「社会を明るくする運動」月間である7月の開催でしたが、今年はすでに開催されたということで、『朝日新聞』さんの岩手版が報じています。 

岩手)反省し更生誓う 少年刑務所で高村光太郎の詩朗読

 盛岡少年刑務所(盛岡市上田)で7日、ゆかりのあイメージ 2る彫刻家で詩人の高村光太郎の詩を受刑者が朗読する催しがあった。反省を促し、出所後の生き方について考えてもらおうと毎年この時期に開いている。
 窃盗や詐欺などの罪で収容された10〜30代の受刑者が参加。10〜20人の4グループに分かれ、光太郎の詩の一節から「うす汚いたくらみをやるのは止さう」「みんなと一緒に大きく生きよう」など、声をそろえて読み上げた。
 4人の受刑者は詩集を読んだ感想やこれからの決意を盛り込んだ作文を発表した。20代の男性受刑者は見捨てずに支えてくれた家族に感謝の気持ちを述べ、「未来は変えることができる」と力を込めた。
 「出所したらまず家族に謝りたい」。取材に応じたこの受刑者は、刑務所生活を通してはじめて自分を支えてくれる家族のありがたさに気がついたという。罪を犯した理由を、欲求に流されてしまったからと自己分析。出所後は「自分の熱中できるものを見つけたい」と語った。
 1945年に花巻市に疎開した光太郎は5年後に盛岡少年刑務所を訪れ、500人以上の受刑者を前に「青空たたえて」の題で講演した。少年らの更生を願って「心はいつでもあたらしく」と記した書を残している。(藤谷和広)

あまり報道されることが多くなく、されたとしても地元紙でベタ記事(一段組)になる程度で、ネットにこの行事の報道が出ることはまれです。一般の方々に、更生保護などの部分で関心を持っていただくためにも、もっと大きく取り上げていただきたいものですね。


【折々のことば・光太郎】

夏は山菜を食はず、多く畑の野菜をくひますが、これに慣れると八百屋のものなどくへません。秋には栗とキノコです。

散文断片「山の食ひもの」より 昭和24年(1949)頃 光太郎67歳頃

光太郎歿後に見つかった原稿用紙3枚(以降欠)の文章から。おそらく『婦人之友』に不定期に連載された「山〜」シリーズの下書き的なものかと思われます。

「畑の野菜」は自作のもの。取りたてですからさもあらん、ですね。

野菜ではありませんが、毎年女川光太郎祭を開催して下さっている宮城県女川町の女川光太郎の会・須田勘太郎会長から、鮭の切り身が届きました。ありがたし。

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須田さんや、女川光太郎の会事務局長だった故・貝(佐々木)廣さんの奥様からは、年に数回、さまざまな海産物が届きます。鮭以外にサンマ、ホヤ、アワビ、牡蠣など。やはりこちらのスーパーなどで購入するものとはひと味も二味も違います。もっとも、ホヤ、アワビなどの高級食材はそもそもスーパーでも購入しませんが(笑)。

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アメリカの首都ワシントンDCにある国立美術館・ナショナル・ギャラリー・オブ・アートで開催中の企画展です。光太郎の父・高村光雲の代表作にして重要文化財「老猿」が海を渡って展示されています。 
期  日  : 2019年6月2日(日)〜8月18日(日)
           3rd and 9th Streets along Constitution Avenue NW, Washington, DC.
時  間 : 月〜土 10:00〜17:00  日 11:00〜18:00
主  催 : 独立行政法人国際交流基金 ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)
        ロサンゼルス・カウンティ美術館

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国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、米国のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)及びロサンゼルス・カウンティ美術館との共催により、両美術館において「日本美術に見る動物の姿」展を開催します。
日本では古墳時代から、人々は動物や自然と共に歩み、共に生きてきました。1500年以上の長きにわたって動物は人間の友として、また時には人間を超える超自然の力として、様々な形で造形美術や文学の重要な主題となってきました。動物が芸術表現上、これほど主要な地位を獲得してきたことは日本文化の特徴の一つといえます。本展覧会では、人々の暮らしや精神風土、宗教観と深く関わってきた多彩な動物表現を、絵画、彫刻、漆芸、陶芸、金工、七宝、木版画、染織、写真など様々なメディアを通して探究します。
本展では日米あわせて約100の重要なコレクションから貴重な作品300点以上を展示します。このうち、7点の重要文化財を含む180点近くの作品は、これまでほとんど海外で紹介されることのなかった日本で所蔵されている作品です。この歴史的な機会は、日米両国における多くの関係者の協力によって実現することとなりました。本展のキュレーターはロサンゼルス・カウンティ美術館日本美術部長であるロバート・シンガー氏と千葉市美術館館長の河合正朝氏が務め、日本の専門家のチームが共同キュレーターとして参加しています。なお、シンガー氏は1973年度の国際交流基金日本研究フェローであり、自身のキャリアの初期に日本に長期滞在し、日本美術の研究を行いました。
ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーにとって本展は、「大名美術展」(1988年)、「江戸:日本の美術 1615-1868」(1998年)、「伊藤若冲−動植采絵」展(2012年)に続く4番目の大型日本美術展となります。2012年に開催された「伊藤若冲」展では一か月の会期中に231,658人もの観客が訪れるなど、日本美術への関心は高まりを見せています。「動物」という新たな切り口に挑む本展の開催により、米国において日本文化への理解が一層深まることが期待されます。


早速、NHKさんで紹介されていました。 

ワシントンで「日本美術に見る動物の姿」展

アメリカの首都ワシントンにある国立美術館で、日本人が昔から動物と共生してきたことを表す日本の絵画や彫刻などの美術品を集めた展示会が始まりました。
「日本美術に見る動物の姿」展と題した展示会は、日本の国際交流基金などの主催でワシントンにある国立美術館で始まりました。
5日、行われた式典では日本とアメリカの専門家たちが展示品の説明に立ち「自然との共生が日本の文化の特色だ」と語り、美術品を通して動物を大事にする日本の文化を感じ取ってほしいと展示会の意義を強調しました。
会場には古墳時代の犬や鳥の埴輪から国の重要文化財となっている高村光雲作の木彫り「老猿」それに竜をあしらった江戸時代の武将のかぶとなど動物をテーマにした美術品300点余りが展示されています。
また、ファッションデザイナーの三宅一生さんや前衛芸術家、草間彌生さんの作品もあって、古代と現代の日本のアートが楽しめるようになっています。
今回の展示会を企画したロサンゼルス・カウンティ美術館のロバート・シンガー氏は「西洋美術では、動物をここまで取り上げない。日本の美術には動物への親しみがある」と話しています。

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「老猿」は、元々明治26年(1893)のシカゴ万博に出品するために制作されたもので、その後、アメリカで展示された事があるのかどうか存じませんが、いずれにしても久々の渡米でしょう。ちなみに平成28年(2016)には、台湾の國立故宮博物院での展示が為されています。

シカゴ万博翌年の明治27年(1894)には日清戦争が開戦するなど、アジアの覇王を目指していた当時の日本、ロシアとの関係もぎくしゃくしていました。日清戦争後にはいわゆる三国干渉で、下関条約によって得た遼東半島を返還せざるを得ず、後の日露戦争(明治37年=1904〜同38年=1905)の遠因とも成りました。

シカゴ万博では、日本パビリオンと隣接してロシアのそれが設置され、「老猿」の眼光鋭い視線がたまたまその方向を向いていたため、日本がロシアに喧嘩を売っている図と解釈されました。「老猿」が右手に握っているのは、格闘の末、取り逃がした鷲の羽。これもロシア王室の紋章が鷲をモチーフにしていることから、深読みされた一因となりました。下は「老猿」制作に先立って光雲が描いたデッサンです。

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同展、9月〜12月にはロサンゼルスのカウンティ美術館に巡回。展示替え等がなければ、「老猿」はしばらくアメリカに滞在ということになり、日本では見られません。

NHKさんで紹介されなかった他の出品作家は、伊藤若冲、河鍋暁斎、歌川国芳、曾我蕭白、岡本太郎、奈良美智、宮川香山など。作者不明の古いものも「鳥獣人物戯画」など、逸品ぞろいのようです。

渡米される方、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

ここに来てから満四年はたつので、春夏秋冬をいくつか繰返してゐる間に山の幸をいろいろおぼえて仕合せしてゐる。冬は雪が深いので何もないが、春夏秋には何かしら野生自生の食物が山にはある。

散文断片「山の幸いろいろ」より 昭和24年(1949)頃 光太郎67歳頃

光太郎歿後に見つかった原稿用紙1枚(以降欠)の文章から。おそらく『婦人之友』に不定期に連載された「山〜」シリーズの下書き的なものかと思われます。

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朗読系のイベント情報です。 
期     日  : 2019年6月17日(月)
会     場 : 金沢市民芸術村 PIT2 ドラマ工房 石川県金沢市大和町1-1
時     間 : 19:00開演〜20:00終演(開場18:30)
料     金 : 前売券2000円 当日券2500円
問い合わせ  : きくはなすの会(090-2373-5458)

明治・大正・昭和を生きた詩人の高村光太郎とその妻智恵子の愛の軌跡を描いた『智恵子抄』を語る。チェロの音色がその世界を広げる。
語り:本田和 チェロ:林口眞也

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本田さんという方、当方、直接は存じ上げませんが、CDを一枚持っております。

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平成21年(2009)リリースの「本田和語りの世界 セロ弾きのゴーシュ」。表題作はご存じ宮沢賢治の童話ですが、他に「智恵子抄―語りとギターのための―」「蜘蛛の糸―独奏チェロと語りのための―」が収録されています。ひさびさに聴いてみましたが、艶のある美声で、情感あふれる朗読。いい感じでした。恋愛時代の「僕等」(大正3年=1914)に始まり、結婚後の「あどけない話」(昭和3年=1928)、智恵子が心を病んでからの「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、その葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)、最後が絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)でした。アコースティックギターのオリジナル音楽と共に語られ、音楽はそれぞれの詩に合わせ、はじめおだやかで叙情的に奏でられていたものが、徐々に緊迫感を増す奏法となり、やがて静謐に幕を閉じるという感じでした。

今回はチェロとのコラボだということですが、やはりこうしたドラマチックな構成が為されるのではないでしょうか。

また近くなりましたらご紹介しますが、来月には神戸での公演もあるとのことです。お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

ここは温泉もいいが、宿の建築が甚だ面白く、私は毎日荒れ果てた無人の部屋部屋を見てたのしんだ。昔の宿の主人が建築道楽であつたさうで、木口の太さといひ、組方といひ、いかにも岩手独特の手丈夫な趣が大まかに出てゐてよい。

イメージ 5散文断片「(私は温泉が)」より 
昭和20年代前半(1940年代後半) 光太郎66歳頃

光太郎歿後に見つかった原稿用紙5枚(以降欠)の文章から。題名はなく、今のところ雑誌等に発表されたことも確認できていません。

「ここ」は、花巻南温泉郷の一番奥、西鉛温泉です。昭和20年(1945)、花巻の宮沢賢治の実家に疎開した翌日から結核性の肺炎で高熱を出し、一カ月の臥床。床上げの後、予後を養うために一週間滞在しました。当時は明治館改め秀清館という一軒宿で、明治22年(1889)の創業。この頃は、賢治の母の実家が経営していました。当時としては珍しい、四階建ての日本家屋で、建築設計にも手を染めていた光太郎、その造作に感心しきりでした。

戦後には県の職員保養所を兼ね、昭和47年(1972)には閉鎖。残念ながら建物は現存しません。その後、愛隣館という観光ホテルが建ち、現在は「西鉛温泉」という呼称は廃され、「新鉛温泉」と称されています。

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