高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。

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田口弘氏訃報。

去る9日、生前の光太郎と交流のあった埼玉県東松山市の元教育長・田口弘氏が亡くなりました。

『朝日新聞』さんスポーツ面から。 

田口弘さん死去

 田口弘さん(たぐち・ひろし=元埼玉県東松山市教育長)9日、多臓器不全で死去、94歳。通夜は14日午後6時、葬儀は15日午前10時から東松山市松山町2の8の32の東松山斎場で。喪主は長男光夫さん。

 1976年から93年まで東松山市教育長。日本ウオーキング協会副会長も務め、2009年度の朝日スポーツ賞を受賞した。


同紙の埼玉版には、追悼記事的なものも掲載されました。氏の人となりを知るには恰好の内容です。 

人生にじむ深いまなざし 田口弘さんを悼む

 東松山市の元教育長、田口弘さんが9日に94歳で亡イメージ 1くなった。高校野球史に残る大敗、戦地からの帰還、詩人・高村光太郎との交流、日本一のウォーキング大会実行委員長……。温かい視線に人生がにじむ「深いまなざしの人」だった。
 田口さんの詩集「四季『こころの詩』より」(2007年)には、太平洋戦争の記憶が繰り返し出てくる。1944年、海軍所属の日本語教員として向かったフィリピン沖で、乗っていた船が米軍の攻撃で沈没。竹につかまり漂流する。
 横須賀港を一緒に発った300人の中で陸にたどりついたのは約30人。「さらに生きのびて終戦を迎えたのは私だけかもしれない」と語っていた。その後、インドネシアへ空路転進する途中のバシー海峡で、撃沈された艦船から流れた重油が覆う「黒い海」を見た。
 戦争の記憶は彩りのない「黒」だった。生死の境をさまよい、「生かされている」が人生の実感になったという。高村光太郎とのつながりも戦争を抜きには語れない。旧制松山中学時代の恩師に連れられ、心酔する高村を訪ねた。
 「世界はうつくし」「美しきもの満つ」と書いてもらった色紙を手に戦地に赴いたが、船が沈み失った。インドネシアでの捕虜生活を経て46年に帰還。再会した高村の筆に望んだのは同じ言葉だった。そんな交流を通じて集まった書簡類約100点を昨年、東松山市に寄贈した。
 野球での大敗は、松山中時代の36年夏。エースのけがで豊岡実に0―72で敗れた試合を、控えの2年生捕手として見ていた。98年に全国高校野球選手権記念青森大会で0―122の記録が出るまで62年間「最多失点の全国記録」だった。
 2008年、球史を顧みるインタビューを受け「屈辱だとは思わない。先輩たちは棄権しようともせず、正々堂々と戦った。結果だけでなくプロセスを大事にした野球があってもいい」と語っている。田口さんらしい言葉だ。
 東松山市教育長としては日本スリーデーマーチを育てた。国内草分けのウォーキング大会で、当初は参加料を払ってただ歩くことへの理解が広がらなかった。実行委員長を12年務め、打ち出したのは「ウォーキング・ルネサンス」。歩いて自己改革する「人間再生」を訴え続けた。
 大会コースの途中に、東武東上線高坂駅から続く「ブロンズ通り」がある。高村やガンジーの像など、日本を代表する彫刻家高田博厚の作品を30余り集めた。毎年、延べ10万人前後の参加者が集まるようになった大会は今秋で40回目。田口さんの思いを実現した「通り」を歩き、追悼する人も多いだろう。(高橋町彰)


当方、田口氏とは十数年前の連翹忌で知遇を得、一昨年にはご自宅にお邪魔させていただきました。その際のレポートには書きませんでしたが、敬虔なキリスト教徒でもあった氏は、「そろそろ天に召されるだろうから、いわゆる「終活」として、手元にある光太郎関連資料の処分をどうするか考えている」とのことでした。

当会にご寄贈くださる、というお話もあったのですが、拝見した数々の資料、この地にあってこそのものと存じ、市なり県なりにご寄贈なさる方が……と申し上げておきました。

その通り、昨年、市にご寄贈され、ニュースになりました。市では市立図書館で展示及び氏の講演会も開催。

ご講演を拝聴し、まだまだお元気で、安心していたのですが……。

記事にある「彫刻通り」に関してはこちら。記事にはない、同市に建つ光太郎碑についても書いてあります。

さらに日本スリーデーマーチの件。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

花のひらくやうに おのづから、ほのぼのと ねむり足りて めざめる人 その顔幸(さいはひ)にみち、勇にみち 理性にかがやき まことに生きた光を放つ

詩「花のひらくやうに」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

やはり睡眠は大切ですね。このところ、コタツなどで数時間ずつ細切れに眠るという、余り良くない習慣が身についてしまっており、反省しています。

上記田口弘氏。永遠(とわ)の眠りに就かれました。しかし、戦時中、九死に一生を得たそのお命を、戦後はさまざまな方面で人々のために使われ、そして「終活」。まことに見事な生き様でした。

二度と目覚められることはありませんが、おそらくそのお顔は「幸(さいはひ)にみち、勇にみち 理性にかがやき まことに生きた光を放」っているのでは、と存じます。

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