高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。

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明治33年(1900)、光太郎の本格的な文学活動の出発点となった、与謝野寛・晶子夫妻の『明星』の研究会です。

第12回明星研究会 シンポジウム与謝野晶子の天皇観〜明治・大正・昭和を貫いたもの

期    日  : 2018年11月24日(土)
会    場  : 日比谷コンベンションホール 千代田区日比谷公園1番4号 千代田区立日比谷図書館B1
時    間  : 13時40分〜16時40分
参 加 費  : 2,000円(資料代含む) 学生1,000円(学生証提示)
主    催  : 明星研究会

 Ⅰ 13:40  開会挨拶
 Ⅱ 13:45 〜14:45  
第1部 講演 「天皇・戦争・文学」  片山杜秀(慶應義塾大学教授)
 Ⅲ 14:45 〜15:00 ―休憩―
 Ⅳ 15:00 〜16:40  
第2部 対談 「明治の子・晶子〜明治憲法が公布されたとき、彼女は満10歳だった」
      小嶋 翔 (吉野作造記念館研究員)  松平盟子(歌人):高村光太郎
 Ⅴ 16:40 閉会挨拶 前田宏(歌人)

申し込み●「明星研究会」事務局あて。
 ネット上での受付は11月23日(金)まで(先着順)。 宛先メールアドレスはapply(at)myojo-k.net です。
 申し込みの送信をされる際には、
  (イ)上記アドレスの(at)を半角の @ に変えてください。
  (ロ)メールの件名は、「明星研究会申し込み」とご記入いただき、
  (ハ)メールの本文に、お名前と連絡先住所、電話番号をご記入ください。
  (二)ご家族ご友人同伴の場合はご本人を含めた全体の人数も添えてください。
 なお、当日は空席次第で会場でも直接受け付けます。
終了後懇親会 4,000円程度(場所は当日お知らせいたします)

 今年は、与謝野晶子の生誕140年目に当たります。明治11年12月7日、大阪・堺に生まれた晶子は、維新後という新時代に少女期を過ごしました。長じて「明星」主宰者・与謝野鉄幹と出逢い、恋愛・結婚を経て、歌人・詩人・評論家・古典評釈者として大成したのは周知の通りです。
 日露戦争中に出征した弟を思って詠んだ詩「君死にたまふこと勿れ」は、太平洋戦争後、晶子像を「反戦詩人」として印象付けました。戦争の惨禍に疲弊した多くの日本人は、戦後の平和思想の理想をこの詩に託したのです。しかし晶子は、生涯をとおして明治天皇を深く崇敬し、「五箇条の御誓文」「大日本帝国憲法」「教育勅語」を精神の根本に置いた女性でした。一方で、社会における男女の対等、教育の機会均等、女性の普通選挙権の確立など先進的な発言を続けたのです。今あらためて晶子の天皇観を検証したいと思います。

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当方、昨年の第11回研究会に、初めて出席させていただき、今年は8月に、今回のシンポジウムの「事前勉強会」なるものにも参加、光太郎の天皇観について簡単に発表させていただきました。

第二部の対談の中で、非常にお世話になっております歌人の松平盟子氏が、光太郎にからめたお話をして下さるそうで、多少は当方の発表もご参考にされるのかな、と思われます。


『明星』、与謝野晶子、松平盟子氏、といいますと、短歌研究社さんから発行されている月刊誌『短歌研究』の11月号が、「生誕百四十年「与謝野晶子」大研究」という特集を組まれています。

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そちらの「座談会 「全身・与謝野晶子」という生き方」が、松平氏、やはり歌人の松村由利子氏、早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授であらせられる内藤明氏のお三方によるものです。


明星研究会さんにはぜひ足をお運びいただき、『短歌研究』さんはぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

その一生に物された短歌の数は恐らく数万首の多きに上るであらうが、その表現の本質は、よく芸術精神本来の深い、幅びろな地下泉から出てゐて、決してただ地上水の濾過滲透による一区域的湧水のやうなものではない。

散文「与謝野晶子歌集「白櫻集」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

『白櫻集』は、この年亡くなった晶子の遺詠集。光太郎は同じ文章で、「女史の歌といへば初期青春時代のものばかりを思出す如きは鑑賞者の怠慢である。未結集の晩年の短歌をのみ収めたといふ此の「白櫻集」こそ心をひそめて読み味ふ者にその稀有の美をおもむろに示すであらう。」と記しています。

確かに最晩年、その人生の到達点において書かれたものこそ、その人物の歩んできた道のりを色濃く反映しているといえるでしょう。

初期青春時代のものばかり」というのは、光太郎詩にしても同様で、『道程』所収のものなどがよく取り上げられ、戦後の詩は殆ど顧みられません。出発点、そして軌道に乗るまでのものとして論じるのなら良いのですが、どうもエラいセンセイ方、それが光太郎のすべて的な論調にもなり、首をかしげざるを得ません。もっとも、光太郎自身が後に「変な方角の詩」と表現した、戦時中の翼賛詩を「これぞ大東亜の魂!」と涙を流してありがたがる愚か者も居るくらいですが……。

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