高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。

智恵子

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新刊情報です。 
2018/09/13  盒興┻著 歴史春秋社
定価1,800円+税

智恵子の母親「セン」は、私生児として貧しい母子家庭に生まれ、子守や女中をしながら成長して結婚し、やがて母と養父が始めた造り酒屋を相続し二代目となった。酒屋は繁盛して豪商となり、「セン」は八人もの子宝に恵まれ、子供達には高等教育をして、なに不自由ない極楽のような生活ができた。だが、養父や夫が亡くなり息子の代になると、世間の不景気もあって酒屋が倒産した。(あとがきより)

目次
第1章 父なし子  第2章 結婚  第3章 成長する酒造店  第4章 人生の天国  第5章 繁栄の中で 
第6章 忍び寄る暗い影  第7章 酒造店の倒産  第8章 流浪の身  第9章 人生の地獄  第10章 六道の世を生きて 


智恵子の母・長沼セン(明治元年=1868〜昭和24年=1949)を主人公とした小説です。

これまでに智恵子を主人公とした小説は複数刊行されていますが、センを主人公としたものはおそらく初めてではないでしょうか。

過日、小平市平櫛田中彫刻美術館さんでの企画展「明治150年記念特別展 彫刻コトハジメ」の拝観、吉村昭記念文学館さんでの「第2回 トピック展示「津村節子『智恵子飛ぶ』の世界〜高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩〜」の拝観のため上京した折、行き帰り、それから移動中の車内で一気に読み終えました。

おおむね史実に基づき(あえて史実と反する内容にした箇所も見られますが)、センとセンを取り巻く人々が実に生き生きと描かれています。ある意味、智恵子実家の長沼酒造興亡史とも言えます。

評伝の形式で智恵子の生涯にスポットを当てた、松島光秋氏著『高村智恵子―その若き日―』(永田書房 昭和52年=1977)、佐々木隆嘉氏著『ふるさとの智恵子』(桜楓社 昭和53年=1978)、伊藤昭氏著『愛に生きて 智恵子と光太郎』(歴史春秋社 平成7年=1995)などが先行しますが、小説の形式で描くことで、その時々の人々の思いがより鮮明に浮き彫りにされ、なるほど、これが小説の強みだなと思わせられる箇所が多くありました。

特に最終章で、追われるように後にした油井村(現・二本松市)を久しぶりに訪れ、長沼酒造の破産や智恵子をはじめとする子供たちの不遇な死を嘆くセンを、菩提寺である満福寺の住職が諭し、それによって救われた気持ちになれるシーンなど。

先週、『福島民報』さんに紹介記事が出ています。

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版元サイトから注文可能です。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

同君が人をやつつける時は、人をマイナスにするのでなくて、プラスにしようとあせつてゐるのがよく見えた。私の祖父は生粋の江戸人であつたが、自分の可愛がる人間を殊に口ぎたなく罵つたものである。「てめえのやうな役に立たずが……」などと人によく言つてゐた。

散文「大藤君」 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「大藤君」は大藤治郎。大正15年(1926)に歿した詩人です。

可愛がる相手だからこそ、奮起を促すためにあえて厳しい叱責を与える、そういうことはよくあります。それも度を過ぎると昨今あちこちで問題になっているパワハラということになってしまうのでしょうが。

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9/27(木)、小平市平櫛田中彫刻美術館さんで企画展「明治150年記念特別展 彫刻コトハジメ」を拝観したあと、西武線、JR、東京メトロ、さらに都電荒川線と乗り継ぎ、ゆいの森あらかわ内の吉村昭記念文学館さんへ。

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平成9年(1997)、講談社さんから出版され、翌年、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれた、吉村昭夫人で芥川賞作家・津村節子さんの代表作の一つ、智恵子を主人公とした『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)に関する展示が為されています。

特に撮影禁止という表記がなかったので、画像に収めて参りました。

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『智恵子飛ぶ』生原稿。

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主人公、智恵子についての解説。

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智恵子に関する取材風景等のスナップなど。

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他に、龍星閣『智恵子抄』初版(昭和16年=1941)や、智恵子に関する書籍、津村さんのスクラップブックなどが展示されていました。パネル展示では『智恵子抄』に寄せる津村さんの思いや、智恵子紙絵の解説等々。

昭和3年(1928)生まれの津村さん、高等女学校生であらせられた戦時中、勤労動員に駆り出されつつ『智恵子抄』を読まれ、世俗に背を向け芸術の道に精進しようとする光太郎智恵子夫婦の生き様に感動されたとのこと。

戦後、昭和28年(1953)に吉村昭氏とご結婚。光太郎智恵子のように「夫婦同業」となり、その意味では色々大変だったようです。

『智恵子飛ぶ』の「あとがき」には、こんな一節があります。

 二人の力が拮抗していれば、最も身近にライヴァルを置くことになる。不均衡であれば、力ある者は無意識のうちに力弱き者を圧してしまう。
 才薄き者は、相手の才能に敬意を抱けば抱くほど、自分の能力に対する絶望や屈辱感が深まり、充し得ない創作の意欲は、重く心に貯めこまれてゆく。

まさしく光太郎智恵子は不均衡だったのでしょう。その他にも、相次ぐ家族の死、実家である長沼酒造の破産、家族の離散、自身に子供がいなかったこと、元々内向的で友人も少なかったこと、早くから結核性の病に冒されていた自身の健康状態への不安、そして光太郎からの一種のモラハラ(「武士は食わねど高楊枝」的な生活の強制的な)などが重なり、智恵子は壊れてしまいました。

幸い、不均衡ではなかった吉村・津村夫妻はどちらも壊れることはありませんでしたが、「二人の力が拮抗していれば、最も身近にライヴァルを置くことになる」という意味での葛藤はあったことと思われます。先に売れっ子になったのは津村さんの方でしたし。

そういう似たような境遇から智恵子を捉えた『智恵子飛ぶ』が、傑作と称されるのはある意味、当然の帰結かもしれません。

展示は前後期に分かれ、前期が11月14日(水)まで、後期が来年1月16日(水)まで。一部、展示替えがあるそうです。後期に関しては、まだ具体的に展示内容を決めていないとのことではありました。

『智恵子飛ぶ』は、平成12年(2000)には新橋演舞場、翌年には京都南座で舞台化されました。智恵子役は共に片岡京子さん、光太郎役は、東京公演が故・平幹二朗さん、京都公演で近藤正臣さんでした。

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こういうチラシ等を並べると一般受けするのですが、どうなりますやら。

何はともあれ、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

啄木といひ、賢治といひ、皆誠実な、うその無い、つきつめた性格の人でした。

散文「啄木と賢治」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

「借金大魔王の啄木が誠実であったわけがない」、「賢治を神格化するのは馬鹿げている」などといった異論があろうかとも思いますが、光太郎の認識はこうでした。

そして光太郎自身も「誠実な、うその無い、つきつめた性格」だったように感じます。戦時中、翼賛詩を乱発したことも、それはその時代に於けるある種の「誠実さ」だったのではないでしょうか。

結局、「誠実な、うその無い、つきつめた性格」の者は、啄木や賢治のように早世するか、智恵子のように壊れるか、戦後すぐの光太郎のようにひどいバッシングを受けるか、少なくとも幸福に長寿を全うすることは出来なかったようにも思われます。

当方はちゃらんぽらんに長寿を全うしたいものです(笑)。

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東京都荒川区から企画展示の情報です。  

第2回 トピック展示「津村節子『智恵子飛ぶ』の世界〜高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩〜」

期   日  : 平成30年9月21日(金)〜平成31年1月16日(水)
場   所  : 吉村昭記念文学館 東京都荒川区荒川二丁目50番1号 ゆいの森あらかわ内

時   間  : 午前9時30分から午後8時30分まで
料   金  : 無料 
休 館 日 : 第3木曜、10月15日(月曜)〜19日(金曜)、12月7日(金曜)、12月29日(土曜)〜1月4日(金曜)

「吉村昭記念文学館学芸員一押し」として、当館所蔵資料を中心にトピック展示を開催します。
今回は、吉村昭夫人でゆいの森あらかわ名誉館長でもある津村氏の「智恵子飛ぶ」に関する展示を行います。
「智恵子飛ぶ」は、芸術選奨文部大臣賞を受賞した津村節子氏の代表作の一つです。芸術家夫婦である高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩(おうのう)を描いた作品です。「智恵子飛ぶ」の紹介とあわせて、吉村氏との夫婦作家としての日々を綴ったエッセイなども紹介します。

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一昨年、文化功労者に選ばれた芥川賞作家の津村節子さん。ご主人の故・吉村昭氏を顕彰する吉村昭文学館(津村さんが名誉館長です)にて、津村さんの代表作の一つで、智恵子を主人公とした小説『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)に関する展示が為されるとのこと。津村さんは三鷹にお住まいですが、吉村氏が日暮里のお生まれだそうで、その縁で同館が昨年オープンしました。

今週、早速行って参ります。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

内面から湧き出してくる言葉以外に何の附加物もない。不足もないし、過剰もない。どんな巧妙な表現も此処では極めてあたりまへでしかない。少しも巧妙な顔をしてゐない。此の事は詩の極致に属する。

散文「宮沢賢治の詩」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

最愛の妹・トシへの挽歌である、賢治の「永訣の朝」、「松の針」(ともに大正11年=1922)への評です。

昭和13年(1938)3月の『婦人公論』に掲載されました。翌年には智恵子への挽歌である「レモン哀歌」(「永訣の朝」の影響が見て取れます)を書くことになるとは、さしもの光太郎も思っていなかったでしょう。

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註文しておいた雑誌が届きました。  

Grande ひろしま Vol.21(2018年夏号)

2018年6月1日 有限会社グリーンブリーズ 定価800円+税

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いわゆるタウン誌とも少し違い、「大切に守り伝えたい「いいもの・いい心」を 広島から発信する“生活文化情報誌”」と謳っています。季刊でA4判112ページとなかなかのボリュームです。主に広島県内の観光地、イベント、店舗、扱われている特色ある商品などの紹介ですが、隣接県の情報も。今号は島根県の江の川が大きく取り上げられています。

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で、広島方面とは直接の関係は無いのですが、カラーアナリスト・児玉紀子さんの連載(と思われます)「色を読む」という稿で、智恵子と光太郎をメインに扱って下さっています。題して「智恵子抄 高村光太郎」。

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主に終焉の地となったゼームス坂病院で智恵子が制作した「紙絵」についての内容で、色彩の専門家らしく、こう評されています。

闘病の苦しみの中でも、魂の中に満ち満ちていた万物の美しい色彩を、智恵子は童女のような澄んだ心になってはじめて作品の中に解き放った。その造形、色の組み合わせや重ね方、切ないくらい穏やかで優しいたくさんの紙絵を残し、智恵子はあまりにも激しく純粋に生きた人生を閉じる。

すばらしい讃辞をありがとうございます。光太郎智恵子に成り代わりまして、御礼申し上げます。

実際、智恵子の紙絵に表された造形感覚、色彩のセンスなどは、まさしく超凡。一度、千駄木の眤鴫箸如何枚かの現物を手に取って拝見させていただきましたが、超凡かつ「あえかな」作品の数々に、涙が出そうでした。

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さて、「智恵子の紙絵」というと、花々をモチーフにしたものが多く含まれます。そして「智恵子」→「花」とくれば、「グロキシニア」。明治45年(1912)6月、駒込林町25番地に、後に二人の愛の巣となる光太郎のアトリエが竣工した際、智恵子がお祝いに鉢植えで持参した花です。

そのうち私は現在のアトリエを父に建ててもらふ事になり、明治四十五年には出来上つて、一人で移り住んだ。彼女はお祝にグロキシニヤの大鉢を持つて此処へ訪ねて来た。(散文「智恵子の半生」 昭和15年=1940)

寄席で、大川端で/そして/ミステリアスな南米の花/グロキシニアの花弁の奥で/薄紫の踊り子が、楽屋(フオワイエエ)の入口で/さう、さう/流行(はやり)の小唄をうたひながら/夕方、雷門のレストオランで/怖い女将(おかみ)の眼をぬすんで/待つてゐる、マドモワゼルが/待つてゐる、私を―― (詩「あをい雨」 明治45年=1912)

私は淋しい かなしい/何といふ気はないけれど/ちやうどあなたの下すつた/あのグロキシニアの/大きな花の腐つてゆくのを見る様な/私を棄てて腐つてゆくのを見る様な/空を旅してゆく鳥の/ゆくへをぢつとみてゐる様な/浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ (詩「人に」 大正元年=1912)

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く/枕頭(ちんとう)のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く (詩「亡き人に」 昭和14年=1939)

先週、わが家のグロキシニアが花を咲かせました。

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一昨年の秋、智恵子を偲ぶ第22回レモン忌の際に、お土産として会場に飾られていて、いただいて帰ったものです。あまり花屋さんなどで見かけない花なので、栽培が難しいのかと思いきや、ほっぽらかしていても元気です。

ただ、一度、悪い奴の手にかかり、葉や茎がむしられて、枯れかけました。犯人(人ではありませんが)はこいつです。

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ちょっと目を離すと、猫草がわりに鉢やプランターの植物を、囓る囓る(笑)。グロキシニアもあやうく丸坊主にされかかりました。

そこで、どんどん囓っていいよ、ということで与えたのがこちら。

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ラディッシュの鉢植えです。こちらは囓られても囓られても新しい葉を出しますので。

閑話休題。『Grande ひろしま Vol.21(2018年夏号)』、版元サイトから購入ページにリンクされています。是非お買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

パリにはロダンが現に居て、会場などでは時々見かけたが、そのアトリエを訪問する勇気はなかつた。むやみと人を訪問して、仕事の邪魔をする無作法と厚かましさとは私が父や祖父から固く戒められてゐた事である。あつかましいといふ言葉ほど江戸伝来の家系にとつて卑しまれたものはないのである。

散文「ロダンの手記談話録」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

光太郎がロダンを訪問しなかったのは、厚かましさを嫌ったのみではなく、まだ何者でもない画学生に過ぎなかった気後れもあったのではと思われます。それにしても、「むやみと人を訪問して、仕事の邪魔をする無作法と厚かましさ」を厭う美徳、「電話」と言い換えてもいいような気もします。自宅兼事務所の固定電話にかかってくる電話の半分以上はわけのわからないセールスです。あるいはあわよくば金をせしめようとする特殊詐欺も含まれているのかも知れません。

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智恵子の故郷・福島二本松からの情報です。

まずは智恵子の生家・智恵子記念館さんから。 
智恵子の「紙絵」の実物展示
 期    日 : 2018年4月28日(土)〜5月29日(火)
 場    所 : 二本松市智恵子記念館  福島県二本松市油井字漆原町36
 時    間 : 午前9時〜午後4時30分
 料    金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円   子供(小・中学生) 個人:200円 団体:150円
           ※団体料金は20名以上の利用
 休 館 日  : 水曜日
 奇跡といわれる実物の紙絵をぜひご覧ください。


上川崎和紙で作ろう切り絵体験
 期    日 : 2018年5月19日(土) 20日(日) 26日(土) 27日(日)
 場    所 : 二本松市智恵子の生家「奥座敷」  福島県二本松市油井字漆原町36
 時    間 : 9:00〜16:00 ※所要時間は10〜20分程度 お一人様1回限り、材料がなくなり次第終了
 料    金 : 無料 (入館料に込み)
 内    容 : 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵、上川崎和紙を使用したハガキ・しおりの制作
 問い合わせ : 智恵子記念館 ☎0243(22)6151  文化課文化振興係0243(55)5154
 智恵子が生まれ育ち、愛した生家。中庭の庭園を眺めながら、切り絵(紙絵)体験ができます。

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生誕祭としては、先月から今月初めに企画された智恵子生家の二階特別公開がありましたが、裏手の記念館さんでは智恵子紙絵の実物展示(通常は複製)、生家の奥座敷を使っての紙絵制作体験だそうです。


同じ時期に、智恵子が愛した「ほんとの空」の下に聳える安達太良山の山開きがありますので、併せてご紹介します。 

第64回安達太良山山開き

2018年5月20日(日)

【お問い合わせ】  安達太良連盟事務局(二本松観光協会)TEL:0243−55−5122

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◆山頂イベント◆
 10:00〜 ふくしまアフターDC記念山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
 11:00〜 安全祈願祭
 11:20〜 Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
  (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)

 ※山頂の天候次第で、途中で中止となったり、予定していた時間も変更となる場合があります。
 ※雨天の場合は、山頂イベントは中止し、奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、奥岳登山口(レストラ
   ン「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

◆バスでおいでの方へ◆  
 岳方面の路線バスは、岳温泉止まりです。 奥岳へは、シャトルバスをご利用ください。

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今年のキャッチコピーは「花がさき 鳥がなき 風かおる ほんとうの空」。たまたまですが、当日、5月20日(日)は智恵子132回目の誕生日にあたります。


ところで上記情報、『広報にほんまつ』さんの今月号を参照させていただきましたが、その表紙がこちら。

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2016「二本松の四季」観光フォトコンテスト「春の風景」部門で入賞した作品で、タイトルは『藤とつつじのコラボ』。撮影されたのは、二本松にお住まいの宮内信雄さんです。霞ヶ城公園内の霞池畔にある智恵子の藤棚――もともとは智恵子の生家の庭先にあったもの――です。例年だと5月上旬から中旬に見頃を迎えるそうですので、あわせて足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

兎に角、芸術作品を商品だといふ観念がなくならねばいかぬ。

談話筆記「美術家と生活」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

作品を売って金儲けをし、自宅や庭を俗物根性丸出しに飾る美術家への批判、国や自治体が美術家を支援し、美術家はそれに応えて社会に貢献するシステムの構築、といったことにも言及されています。

智恵子の紙絵は、智恵子が心を病んで南品川ゼームス坂病院に入院してからの作でした。そこには金銭といった感覚は一切なく、純粋な造型への欲求、そして光太郎に見てほしいという願い、それのみでした。ある意味、これぞ芸術、でしょう。

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