高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。

智恵子

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先月発行の新刊コミックです。 

歯のマンガ

2017/12/16 カトちゃんの花嫁著 小学館 定価690円+税

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「人生つらいけどサンバだし、つらくなくてもサンバイメージ 2なのです。」

ツィッターにほぼ毎日更新され多くの人を癒しているかわいい二本?否、二人組の歯の日常を描いた『歯のマンガ』がついに書籍化!
グッズにもなった「つらくてもサンバ」「おまえ〜」はもちろん「吊るツラ」「あけみちゃん」「幻の家族」「タニマチさん」など人気の高いエピソードを厳選し収録。
さらには、この本でしか読むことができない描き下ろしエピソード(3本合計40ページ超)を収録します。
歯はどこから来てどこへ行くのか…。本書を読めば、「歯」の謎が解ける!?


題名のまんま、「歯」が主人公のマンガです。女の子から抜け落ちた2本の「歯」(途中、3本目が登場しますが、また2本に戻ります(笑))が、なぜか人格を持ち、いろいろと行動します。

この設定だけでも十分に不条理、シュールだと思いますが、帯に印刷された推薦文には、そう評されるであろうことに釘を刺し、「不条理でもシュールでもない」とあります。ちなみにこの推薦文のご執筆は、J−POPユニット・ONIGAWARAの斎藤伸也さん。実在の人物でありながら、このマンガに登場されています。

元々、ツイッターで発信されていた四コマ漫画がメインですが、書籍化にあたり、3本の「長編」が加えられました。そのうちの1本が「智恵子抄」(全20ページ)。

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なぜか智恵子が登場し、主人公である2本の「歯」とともに、空を探しに行く、という流れです。いわずもがなですが、「あどけない話」(昭和3年=1928)をベースにしています。

このマンガは、四コマの場合でも、いわゆる「起承転結」のお約束を完全に無視する場合があり、この「智恵子抄」も、結局、オチがないまま終わっています。「起承転・転・転……」的な(笑)。

書きながら気づきましたが、かつてのつげ義春氏のマンガを彷彿とさせられました。ただし、つげ氏のそれに多く見られる尖った視点はあまりなく(少しあります)、つげ氏のそれに時折見られた温かみが目立ちます。そうした意味では、現在流行の「ユルい」「癒し系」といった評が当てはまるでしょう。そこで終わっていないところにこのマンガの凄さがありますが。


ぜひお買い求め下さい。



【折々のことば・光太郎】

如何なる時にも自然を観察せよ。自然に彫刻充満す。

散文「彫刻十個條」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

かつて帰国する荻原守衛に、同じようなことをロダンが言ったそうです。それを聞いたであろう光太郎も、自然を師として彫刻道に邁進する姿勢を明確にしました。いったいに、今日まで十日間にわたってご紹介し続けた「彫刻十個條」、光太郎編訳の「ロダンの言葉」(正編・大正5年=1916、続編・同9年=1920)の影響が色濃く見て取れます。

そして同じことは、有名な詩「道程」にも「僕の前に道はない」「ああ、自然よ/父よ」といった形で表されています。

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智恵子関連いろいろ。

いただきもの等、ご紹介します。

まず、智恵子の故郷、福島県二本松で智恵子の顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの会報的な『智恵子講座2017文集』。

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基本、10月から今月にかけて行われていた「智恵子講座2017」に参加した方々の感想集的なものですが、それ以外の会の活動報告的な内容、それらが取り上げられた地方紙のコピーなども載っています。

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存じませんでしたが、『福島中央新報』さんには、今年の連翹忌を報じた記事も掲載されていました。

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東京でのイベントですが、東京で報じられず、福島の地方紙に載るというのも面白いものです。

夢くらぶさん、いろいろと地道な活動を続けられており、頭が下がります。


続いて、過日ご紹介したバリトン歌手・新井俊稀氏の、野村朗氏作曲「連作歌曲 智恵子抄」を含むCD。ネットで「買います」と注文したのですが、進呈されてしまいました。ありがたや。

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2枚組で、CD1が「新井俊稀 日本の抒情歌」、CD2が「連作歌曲 智恵子抄〜その愛と死と〜」。

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歌詞、ライナーノーツが載ったB5判20ページほどの冊子がついていました。

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これまでに、森山孝光氏・康子さんご夫妻の演奏で何度か拝聴しましたが、新井氏の歌唱、それからピアノは木下敦子さんという方で、また少し違った魅力が感じられました。


最後に、いただきものではありませんが、今月14日、『毎日新聞』さんの夕刊に、智恵子がその創刊号の表紙画を描いた『青鞜』がらみで大きく記事が載りましたので、ご紹介します。

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「明治150年 近代から現在を読む」という連載の一環のようで、今年文庫化された『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくるということ』の著者、森まゆみさんのご執筆です。

長いので全文は引用しませんが、さわりだけ。

 明治末、女性による文芸雑誌として創刊された『青鞜(せいとう)』はユニークな足跡を残した。背景には女性をめぐるどのような状況があり、この雑誌はいかなるインパクトを世にもたらしたのか。近代日本の文化に詳しい森まゆみさんの論考を通し考える。
 
 「元始女性は太陽であった」という高らかな宣言で知られる雑誌『青鞜』は、1911(明治44)年の9月に創刊号を出した。それまでの女性雑誌は男性編集者による上からの啓蒙(けいもう)がほとんどだった。『女学雑誌』(1885年創刊)、『女学世界』(1901年)、『婦人画報』(05年)など、いずれも面白く意義もあったが、女性による、女性のための、女性の雑誌は『青鞜』が初めてだ。
 『青鞜』は創刊時の目標を「女性の潜める天才を発現するための文芸雑誌」と定めた。

 女性でも自由に好きなことをして良いのだ、内面の完成こそ大事なのだ、という訴えは、多くの女性の共感を呼び、最大時3000もの読者を得る。その中心に「元祖スピリチュアル」ともいうべき美しいらいてうがいた。

 そして、今も「元始女性は太陽であった」「山の動く日来る」は日本の女性運動の掲げた旗として、記憶されている。


さて、暮れも押し詰まって参りました。明日からは、このブログの年末恒例、今年一年をふり返る記事を掲載します。


【折々のことば・光太郎】

「彫刻的なるもの」は此の世のあらゆる要素に潜在する。又其はおのづから人の生活に基準を与へる。
散文「彫刻的なるもの」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

こうした考えがさらに発展し、後の「美ならざるなし」という方向に行くのでしょう。

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智恵子の故郷・二本松市の広報誌『広報にほんまつ』、今月号から。 

第22回 智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール

 県内の小学校199校の児童から、2,830点の応募作品があり、最優秀賞「智恵子大賞」6点、特別賞6点、優秀賞60点、佳作60点の作品が入賞しました。最優秀賞を受賞した6作品を紹介します。
 なお最優秀賞と特別賞の計12点の作品を、次の日程で展示しています。
 展示期間 11月26日(日)まで 展示場所 智恵子記念館 ※智恵子記念館への入館料が必要

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こうした活動を通し、智恵子顕彰に役立てていって欲しいものです。

もう1件、先月、智恵子生家で開催された女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」も記事になっていました。 

智恵子・レモン忌あいのうた 高村智恵子の世界観を堪能

 9月9日より市内各地で開催されている「重陽の芸術祭」の一環として、高村光太郎の詩集「智恵子抄」とモダンダンスを楽しむ『智恵子・レモン忌あいのうた』が、智恵子の命日である10月5日に智恵子の生家で開催されました。
 序盤は、市観光大使で女優の大山采子さんによる智恵子抄の朗読がピアノ演奏に合わせて披露され、感情のこもったその語りに、訪れた大勢の観客が聞き入っていました。朗読が終わると、舞踊家で振付師の二瓶野枝さん(福島市出身)が、智恵子自身を表現した可憐なダンスパフォーマンスを披露し、智恵子の「もがき」「苦しみ」「喜び」などを、全身で表現しました。

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こちらは二本松市各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」の一環として行われたものですが、芸術祭自体は今月23日(木・祝)までとなっています。智恵子生家も会場となっていて、現代アート作家の・清川あさみさんによるインスタレーションが展示中。こちらは26日(日)までです。併せて通常非公開の生家二階の公開も同日まで。さらに裏手の智恵子記念館では、智恵子紙絵の実物展示が28日(火)まで実施されています。


広報誌つながりで、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻の広報誌『広報はなまき』。やはり今月号に花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「秋期企画展 智恵子の紙絵 智恵子抄の世界」の案内が掲載されています。

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当方、初日に拝見して参りました。レポートがこちら。27日(月)までの開催です。


それぞれ、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

あいつをばらばらにして るつぼにいれて煮つめよう。 泡の中から生れてくるのが 天然四元のいどみに堪へる さういふ人間の機構を持つか、 もつかもたぬかおれはしらん。
詩「餓鬼」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

戦時中の戦争協力を悔い、自らに課した「彫刻封印」の厳罰。それを解き、青森県から依頼された「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外太田村から7年ぶりに再上京する直前の作です。

「あいつ」は、頭に渦巻く「乙女の像」の構想。作りたいものを作れる喜びは大きいものの、おそらく生涯最後の大作になるであろうことは自身でもよく分かっており、また、きちんと粘土を手にするのはほぼ10年ぶり、彫刻で最も難しいともいわれる裸婦像制作は35年ぶり。それでも粛々とやらねばならないという決意が伝わってきます。

題名の「餓鬼」は、「乙女の像」制作のエネルギー充填のためにしっかり飲食をするぞという、これまた悲壮ともいえる決意から来ています。

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以前にも少し書きましたが、明治44年(191イメージ 11)に、智恵子が描いた雑誌『青鞜』の、有名な表紙絵についてです。

アール・ヌーボー風だとか、ギリシャの女神とか、エジプトのそれだとか、クリムトや青木繁の影響だとか、実にさまざまな説が唱えられてきましたが、とうとう解決しました。

連翹忌ご常連の、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏によるご調査で、智恵子のオリジナルの絵ではなく、元になった作品があったことが確認されたのです。

水沢氏がご自身のフェイスブックに発表され、その記事を紹介する他の方のブログを拝見、氏に資料を送って下さるようお願いしたところ、届きました。

それによれば、元になった作品は、ヨーゼフ・エンゲルハルトというオーストリアの画家が、明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作した寄木細工「Merlinsage」でした。まったく同一と言っていい意匠ですので、まず間違いありません。下の画像の中央です。


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この件に付き、先月開催された智恵子忌日の集い・第23回レモン忌で、福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏が早速ご紹介。堀氏も水沢氏のフェイスブックをご覧になったそうでした。堀氏にもご教示いただき、いろいろとわかってきました。


「Merlinsage」は全9枚組の寄木細工で、モチーフはアーサー王伝説。5世紀から6世紀のブリトン人の王、アーサーの事績を元にしたもので、絵画や小説、映画などの題材としても幅広く知られています。「円卓の騎士ナントカ」というのはすべてアーサー王伝説から来ています。「Merlin(マーリン)」はその登場人物のひとりで、アーサー王を補佐し、導く魔術師です。「sage」は「伝説」の意。

「Merlinsage」の問題の女性は、アーサー王に伝説の剣・エクスカリバーを授けたとされる「湖の乙女」。ヴィヴィアン(Viviane)、ニムエ(Nimueh)など、さまざまな名前があてられていますが、湖の精を人格化したもののようです。

こちらはビアズリーの描いた湖の乙女、アーサー王、そしてマーリンです。

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背景に描かれている巴型のような図柄は、湖の水泡、体の両脇に描かれている連続三角紋は、どうも乙女がまとっているヴェールらしいとのこと。智恵子の描いた『青鞜』表紙絵では、ヴェールの部分の描写は細部が省略されていて、わかりにくくなっています。

作者のヨーゼフ・エンゲルハルト(1864〜1941)は、クリムトを中心としたウィーン分離派の画家。日本ではほとんど知られていない存在のようですが、海外のサイトではかなり言及されているものがあります。同派は絵画のみならず、総合芸術の構築を目指していた部分もあったということで、工芸的な作品も少なからずあり、そういうわけで寄木細工です。

先述の通り、明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作されたものですが、明治42年(1909)になってカタログが刊行され、原色の図版が載りました。それが日本に輸入されて販売されたか、帰国した留学生が持って帰ったか、そんなところで回り回って智恵子の目に触れたというわけでしょう。何とかして入手したいものです。

ところで、当時はこのように西洋の絵を模写して使うことは広く行われており、現代の感覚での「盗作」とは異なります。『青鞜』表紙絵が智恵子オリジナルではなかったというのは、少し残念な気もしますが……。

この件につきましては、今後も調査を継続し、またレポートすることもあるかと存じます。

それにしても「湖の乙女」とは、いやがうえにも光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を連想させ、不思議な縁を感じます。


【折々のことば・光太郎】

山に友だちがいつぱいいる。 友だちは季節の流れに身をまかせて やつて来たり別れたり。
詩「山のともだち」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

長い詩ではないのですが、登場する「山に」「いつぱいいる」「友だち」は、「カツコー」「ホトトギス」「ツツドリ」「セミ」「トンボ」「ウグイス」「キツツキ」「トンビ」「ハヤブサ」「ハシブトガラス」「兎と狐の常連」「マムシ」「ドングリひろいの熊さん」「カモシカ」。ほんとに「いつぱい」です(笑)。

戦時中の戦争協力を悔い、自らに課した「彫刻封印」の厳罰。それを解き、青森県から依頼された「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外太田村から7年ぶりに再上京する直前の作です。宿痾の肺結核のため、二度と太田村には戻って来られないかもしれないという覚悟があったようで(実際には翌年、「乙女の像」序幕後に10日間だけ戻りましたが)、「友だち」への惜辞のようにも読める詩です。

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昨日は日帰りで、智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

午前10時から、智恵子生家に近い旧安達町のラポートあだちださんで、智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」が開催されました。地元で智恵子の顕彰活動を進められている、智恵子の里レモン会さんの主催です。智恵子の忌日は10月5日(レモンの日)ですが、レモン忌の集いとしては、それに近い日曜日ということで期日が設定されています。昨日は地元の方を中心に、40名ほどの皆さんがご参加、智恵子を偲ぶひとときを過ごしました。

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開会の言葉に続き、智恵子肖像に献花/献果。献果はレモンです。

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主催者挨拶、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露、記念撮影で第一部が終了。

第二部は、記念講演でした。福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏で、題して「智恵子の横貌―『青鞜』表紙絵のナゾ―」。

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主に明治大正期、光太郎と共同生活を始めるまでの、画家としての智恵子の軌跡を丹念に追われていました。

メインは明治44年(1911)に、日本女子大学校で智恵子の先輩だった平塚らいてうが立ち上げた雑誌『青鞜』の表紙絵について。智恵子は創刊号を含め5回使われた有名なデザインのものと、従来スズランを描いたとされてきた翌45年(1912)の第2巻第1号〜3号の表紙を飾ったものと、2種類の表紙絵を手がけています。

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上の画像は氏のレジュメから。もうこれでネタバレになっていますので、左の従来スズランだといわれてきたものからご説明しますと、これはスズランではなく、アマドコロという植物だろうとのこと。似ているものの、スズランはこのような形にならない、ということで、画像を使ってご説明下さいました。

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まったくその通りですね。当方にしても、これはスズランだと信じて疑いもしませんでした。

それから、創刊号の有名なデザイン(右イメージ 1は昨年末に入手した、智恵子の文章が載った号で、創刊号ではありませんが、同じ意匠です)。つい先月、連翹忌ご常連の、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏が明らかにされた新事実が、早速紹介されました。

従来、この絵は何を描いたものか、ということで、いろいろな解釈が為されていました。アール・ヌーボー風だとか、ギリシャの女神とか、エジプトのそれだとか、背景の丸や三角についても、実に色々な説が唱えられていました(具体例は挙げませんが、中には噴飯ものの珍説も)。

それから、元になったアイディアなり、デザインソースなりについても、アルフォンス・ミュシャやクリムト、青木繁などとの関連があるのでは、等々、これも百家争鳴でした。

それらに終止符を打つ発見を水沢氏がなさり、氏のフェイスブック上に、先月、発表されました。当方、フェイスブックには登録しておらず、ここにリンクが貼れませんが、その記事を紹介する他の方のブログを見つけ、水沢氏に資料を送って下さいとお願いしたところでした。

まったく瓜二つと言っていい絵が、見つかったのです。

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絵画ではなく寄せ木細工で、制作したのは、クリムトに連なる系譜の、ヨーゼフ・エンゲルハルト。当方、寡聞にしてその名を存じませんでした。明治37年(1904)ごろ、セントルイス万博に出品されたとのことです。明治42年(1909)にカタログとして刊行され、何らかの方法で智恵子の目に止まったのでしょう。

といって、堀氏もおっしゃっていましたが、現代の感覚の「パクリ」ではなく、当時は『白樺』にしてもそうでしたし、外国の絵を模写して使うということは広く行われており、それによってその価値が激減というわけではありません。このあたり、今後、美術史家の皆さんに論じていただきたいものです。

この件については、また書きます。


さて、「レモン忌」。講演のあとは第三部ということで、会食をかねて懇親会。

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合間にさまざまな方のスピーチ。

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生前の光太郎をご存じの、花巻市太田地区振興会長・佐藤定氏、
智恵子が所属した太平洋画会(現・太平洋美術会)の坂本富江さん、テルミン奏者・大西ようこさんなど、連翹忌ご常連の方々も多数。

それから、、昨年暮れに逝去され、二本松ご在住だった児童文学者・金田和枝さんの妹さん。話し方がそっくりなので、驚きました。

連翹忌同様、こちらの集いも、末永く続いてほしいものです。


その他、他にも廻りましたので、そのあたりはまた明日。


【折々のことば・光太郎】

部落の人は兎もとらず鳥もとらず、 馬コは家族と同等で おんなじ屋根の下にねる。 おれもぼんやりここに居るが まつたく只で住んでゐる。

詩「別天地」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

独居自炊の蟄居生活を送っていた、花巻郊外旧太田村山口地区を謳っています。真冬は過酷な環境でしたが、地区の人々の支えもありましたし、何より美しい自然に囲まれてのそれは、ある意味快適な生活でした。

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