高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ

4/2は高村光太郎(1883〜1956)の命日、連翹忌(れんぎょうき)です。

智恵子

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
昭和13年(1938)10月5日、光太郎の妻・智恵子が、南品川ゼームス坂病院で歿しました。直接の死因は肺結核でした。

イメージ 1
その臨終の様子に題を採ったのが、有名な「レモン哀歌」です。

   レモン哀歌                                    
 
 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズいろの香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう
 

そこで、10月5日は「レモンの日」と名付けられています。また、智恵子の忌日、という意味で「レモン忌」とも呼ばれます。梶井基次郎の忌日(3月24日)は漢字で「檸檬忌」です。

智恵子の故郷・福島二本松では、智恵子生家に近いらぽーとあだちさんに於いて、智恵子を偲ぶ「レモン忌」という行事を行っています。当会の連翹忌同様、全国から智恵子ファンの参加を受け付け、記念講演、スピーチ、会食もあります。昨年の様子はこちら

そちらは10月5日の「レモンの日」に限らず、その日に近い日曜日ということで、10月の第一日曜か、第二日曜に開催されています。5日その日に重なる場合もありますが。

今年は10月1日の開催です。以下、開催要項的な。ネットには情報がアップされていないようです。 

第23回レモン忌

期   日 : 2016年10月1日(日)
会   場 : ラポートあだち 二本松市油井字濡石16
時   間 : 午前10時開会
参 加 費  : 3,000円
申   込 : 智恵子の里レモン会(戸田屋商店) TEL0243-23-4858
記念講演 : 『高村智恵子』〜芸術家の横顔〜 講師 福島県立美術館 堀宜雄先生


また、それとは別に5日の「レモンの日」に、二本松市で現在開催中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子生家を会場にダンスパフォーマンスの公演が行われます。智恵子を題材にした日本画を多く手がけた故・大山忠作画伯の息女にして女優の一色采子さんが朗読で参加されるとのこと。 
期   日 : 2016年10月5日(木)
会   場 : 智恵子生家 二本松市油井字漆原町36
時   間 : 18:00〜
料   金 : 無料
出   演 : 二瓶野枝(モダンダンス)  大山采子(朗読)  渕上千里(ピアノ)

イメージ 2

通常の、智恵子生家・智恵子記念館の閉館後ということで、入場無料だそうです。ただ、観覧希望者多数の場合には入場制限がかかるとのこと。

智恵子生家では、やはり「重陽の芸術祭2017」の一環として、現代アート作家の・清川あさみさんによるインスタレーションの展示が行われています。

併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

はじめて武器をすてて立つ一つの国が 最初の新年を迎へる年に 運命は何を持つてくるか、 むしろきはどい人類の試金石だ。

詩「試金石」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

翌昭和23年(1948)の『週刊朝日』新年号のために書かれた詩です。「はじめて武器をすてて立つ」「最初の新年」は、平和憲法が施行されて最初の新年という意味です。

その後、まがりなりにも70余年、戦争には直接参戦せずにこの国は歩んできました。その誇るべき歴史をなし崩しにし、戦前に回帰でもさせようかという勢力の台頭は、実に嘆かわしいことといわざるをえません。

来月の衆議院選挙、現代の我々にとっての「試金石」です。

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

昨日は都内に出ておりました。

まずは文京区の弥生美術館さん。

イメージ 1イメージ 2






























イメージ 3

こちらで開催中の企画展「命短し恋せよ乙女 〜マツオヒロミ×大正恋愛事件簿〜」を拝見して参りました。

イメージ 4

いかにもこういうのが好きそうな「乙女」のみなさんでにぎわっていました。

過日ご紹介した書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』(中村圭子編著・河出書房新社)と連動しての企画で、ほぼ同書の章立て通りの展示でした。

すなわち、

 姦通罪による投獄―北原白秋×松下俊子・江口章子
 恋愛なき心中未遂―平塚らいてう×森田草平
 運命の出会い―平塚らいてう×奥村博史
 歌姫の情熱―与謝野晶子×与謝野鉄幹
 姪との禁じられた恋―島崎藤村×島崎こま子
 後追い自殺の衝撃―松井須磨子×島村抱月
 サッフォーのごとく―田村俊子×長沼智恵子・田村松魚・鈴木悦
 私は誘惑していません―原阿佐緒×石原純
 人妻との山荘情死事件―有島武郎×波多野秋子
 筑紫の女王、恋の出奔―白蓮×宮崎龍介
 「魔女事件」「妻譲渡事件」―佐藤春夫×谷崎千代
 追うときも別れるときも潔く―藤原あき×藤原義江
 友情の絆は、色恋の関係より強いか―澤モリノ×石井獏
 恋愛放浪―山田順子×竹久夢二・徳田秋聲
 「椿姫事件」そして「雪の国境越え」―岡田嘉子×竹内良一・杉本良吉

ただし、展示の順番は異なりました。

扱われている女性達などの肉筆書簡や揮毫などが展示されているイメージ 5というので、もしや智恵子のものも、と思っていましたが、それはありませんでした。しかし、光太郎智恵子と関わった平塚らいてう、与謝野晶子らのそれが数多く展示されており、眼福でした。

智恵子が扱われた田村俊子のコーナー、そしてその他、北原白秋、有島武郎、佐藤春夫ら、やはり光太郎智恵子と関わった面々が取り上げられており、興味深く拝見しました。

書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』の表紙や挿絵、そしてこの企画展のポスターやチラシ(田村俊子です)に使われている、イラストレーター・マツオヒロミさんの原画も並んでおり、見事なものでした。

智恵子のそれを含め、写真や説明パネルなどは、ほぼ書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』と同一のようでした。その中で、同書では見落としていましたが、展示を見て「おやっ」と思ったのが、佐藤春夫夫妻の写真。右は書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』から採りました。

集合写真の一部で、撮影されたのは昭和28年(1953)10月21日(書籍『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』では27年となっていますが、誤りです)。撮影場所は、青森県十和田湖畔宇樽部地区で、かつて旅館だった東湖館の前。この日は、光太郎の最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の日です。そちらが午後の開催で、午前中には奥入瀬渓流で、春夫の「奥入瀬渓流の賦」詩碑除幕式と、連チャンで行われました。

集合写真全体はこちら。

イメージ 6

春夫は前列右から二人目。その左隣は光太郎です。こんなところに光太郎がらみ、と、笑いました。

さらに、光太郎智恵子と直接の関わりがあったものの薄かったり(竹久夢二、石井漠ら)、無かったりした人々の「恋愛事件簿」。中にはドロドロのそれもありましたが、やはりそれぞれ、必死の「生」(矛盾していますが)を送る中でのドラマということで、人間の持つエネルギーの凄さに感動させられました。

展示は9月24日(日)まで。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

われらに今欠けたるもの和なり。 億兆の和なくして社稷なし。 和は念慮にして又具顕なるを。 大いなるかな和をおもふことの力。 これ人倫のもとゐ社稷の血脈。

詩「和について」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

戦時中、大量に書き殴った翼賛詩は、多くの前途有為な若者たちを戦場へと駆り立てた罪深いものでしたが、一面、荒廃した人心を救わんとする意図もあったことも否定できません。

「社稷」=「国家」。戦後になって書かれたこれらの詩にも、そうした部分が残っています。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

新刊です。 

命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿

2017年6月30日 河出書房新社 中村圭子編 定価1,800円+税

イメージ 1

世の中を賑わせた恋愛事件が頻発した大正時代。心中・自殺も流行。平塚雷鳥、与謝野晶子、島崎藤村、有島武郎など。大人気のイラストレーター、マツオヒロミの書き下ろし挿絵収録!

人気イラストレーター・マツオヒロミの描き下ろしイラスト「大正恋愛幻想」3点掲載!

「マツオヒロミは、大正浪漫、昭和モダンの世界に影響を受けてイラストを作成しています。恋愛事件のヒロインとなった女性たちもまた、マツオヒロミの作品によって、現代に生きる女性たちの心の中でリメイクされ、新たな命を得ることができるでしょう。」(本文より)

ゴシップに人々の関心が集まるのは現代も同じですが、大正という時代は結婚に対する日本人の考え方が変化していた時代であり、恋愛事件は単なるゴシップである以上に、女性の生き方や結婚制度に問題を投げかけるものでもありました。恋のために世間の非難や嘲笑と闘い、最終的には幸福になった人もいれば、一方では自殺するなどの不幸な結末を迎えた人もいます。
平塚らいてうの運命の出会い、松井須磨子の後追い自殺、佐藤春夫の「魔女事件」、藤原義江をミラノに追った藤原あき、岡田嘉子が決行した雪の国境越えと銃殺された恋人等––世の中を賑わせた恋愛事件を多数収録!
大正時代のさまざまな恋のいきさつは、現代人にとっても大変興味深いものであり、そこから学ぶことは多いと思われます。

目次
第1章
 姦通罪による投獄―北原白秋×松下俊子・江口章子
 恋愛なき心中未遂―平塚らいてう×森田草平
 運命の出会い―平塚らいてう×奥村博史
 歌姫の情熱―与謝野晶子×与謝野鉄幹
 姪との禁じられた恋―島崎藤村×島崎こま子
イメージ 5
 後追い自殺の衝撃―松井須磨子×島村抱月
 サッフォーのごとく―田村俊子×長沼智恵子・田村松魚・鈴木悦
第2章
 私は誘惑していません―原阿佐緒×石原純
 人妻との山荘情死事件―有島武郎×波多野秋子
 筑紫の女王、恋の出奔―白蓮×宮崎龍介
 「魔女事件」「妻譲渡事件」―佐藤春夫×谷崎千代
 追うときも別れるときも潔く―藤原あき×藤原義江
 友情の絆は、色恋の関係より強いか―澤モリノ×石井獏
 恋愛放浪―山田順子×竹久夢二・徳田秋聲
 「椿姫事件」そして「雪の国境越え」―岡田嘉子×竹内良一・杉本良吉

コラム
 大正初年代の恋愛観/「ナヲミズム」が自由恋愛を広める/大正後期の恋愛観

副題の通り、主に大正時代のさまざまな恋愛模様を紹介するというコンセプトの書籍です。智恵子がその創刊号の表紙を描いた雑誌『青鞜』メンバーにして、智恵子ともっとも親しかった田村俊子の項で、智恵子にも触れて下さっています。

イメージ 2イメージ 3

























女性同士の同性愛が、当時、一種の流行でした。ズブズブ、ドロドロというわけではなかったようですが、光太郎と出会う前の智恵子と俊子の間にも、それに近い感情があったようです。多少の誇張があると思いますが、そのあたりは俊子の小説「わからない手紙」「悪寒」(大正元年=1912)、「女作者」(同2年=1913)、随筆「二三日」(明治45年=1912)などに描かれています。

その他、北原白秋、与謝野夫妻、平塚らいてう、有島武郎、佐藤春夫ら、光太郎智恵子と親しく交わった面々の「事件簿」も。マツオヒロミさんのイラストの他、当時の写真などもふんだんに使われ、ビジュアリックな作りになっています。

光太郎智恵子としての項はありません。そこに事件性があまりないためでしょう。扱われているのは、不倫やら駆け落ちやら三角関係やら心中やら、どれも現代であればワイドショーや週刊誌を賑わせるケースです。といって、野次馬根性的に読むのではなく、「恋愛」に命をかけた人々の人間ドラマとして読みたいものです。

編者の中村圭子さんが勤務されている文京区の弥生美術館さんで「「命短し恋せよ乙女」 〜マツオヒロミ×大正恋愛事件簿〜」展も開催中。書籍で紹介されているすべての「事件」が扱われているのか不明ですが、とりあえずご紹介しておきます。

イメージ 4


【折々のことば・光太郎】

或は鏃のやうにするどく 或は愚かのやうにのどかである。

詩「芋銭先生景慕の詩」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

茨城牛久沼のほとりの草庵に暮らした日本画家・小川芋銭(うせん)を顕彰する詩の一節です。芋銭は前年に亡くなっています。芋銭のパトロンだった茨城取手の素封家・宮崎仁十郎(子息がのちに光太郎姻戚となる詩人・宮崎稔)を通し、この詩が作られました。おそらく、生前の芋銭と光太郎には直接の交流は無かったように思われます。

鏃(やじり)のような鋭さ、それと対照的な愚か者のようなのどかさ、両極を併せ持った芋銭へのオマージュであると同時に、自らもそうありたいという願望かもしれません。

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)

自主制作のDVDをいただきました。題して「小さなパラダイス 昔の大井町あたり」。

イメージ 5

イメージ 6

制作は、品川ご在住の石井彰英(しょうえい)氏。ミュージシャンにしてジオラマ作家の方です。当方、存じ上げない方でしたが、このブログをご覧になられたようで、ご連絡をいただきました。

失礼ながらネットで調べさせていただいたところ、江ノ電さんのサイトに氏のジオラマに関する記述がありました。引用させていただきます。

イメージ 1

平成20年11月20日(木)より江ノ島駅1番線(藤沢行きホーム)の展示室に1/150サイズ(Nゲージ)のジオラマを公開しております。
このジオラマは、平成10年11月11日に当社が当時闘病生活にあった新田朋宏くんの「江ノ電の運転士になりたい」という夢の実現をお手伝いしたご縁で、朋宏くんのお父さん新田和久さんのご友人でおられる石井彰英さんからご寄贈いただいたものです。
寄贈先を探していた石井さんが当社への寄贈を決められたのは、「息子をジオラマの運転士にして欲しい」と熱望された新田さんの優しさに感動して、「ジオラマは朋宏くんが愛した江ノ電の利用者に見ていただくのが一番」とお考えになられたからです。

なお、まことに残念ながら新田朋宏くんは平成10年11月15日に亡くなられましたが、ジオラマ上を走る江ノ電の運転士としてこれからもご活躍されることでしょう。
ジオラマはボタン式になっており、1回押すとミニ江ノ電が1分20秒走行します。
江ノ島に来られましたら、どうぞ江ノ電の江ノ島駅展示室にお越し下さい。


この件、そういえばそういうことがあったと、記憶に残っていました。さらに調べると、当時のニュースがヒットしました。 

運転士の夢、天国でかなえて…16歳で亡くなった少年に江ノ電から辞令交付

 「江ノ電の運転士になりたい」。そんな夢を抱きなイメージ 2がら1998年に先天性の拡張型心筋症で亡くなった新田朋宏さん=当時(16)=に、江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)の深谷研二社長が22日、江ノ島駅で運転士の「辞令」を発令、父親の会社員和久さん(56)=東京都大田区=に手渡した。
 朋宏さんの遺影を首から提げて参加した新田さんは「息子の夢がかない、天国で喜んでくれていると思う。(天国に)辞令を届けたい」と笑顔で話した。
 新田さんは、幼いころから鉄道ファンだった朋宏さんを連れて家族でよく江ノ電に乗車。朋宏さんは、海岸沿いや町中を縫うように走る江ノ電に魅せられ、運転士への夢を膨らませたという。
 同じ心臓病で91年に妻も亡くしたが、新田さんは「息子の夢をかなえてあげたい」と江ノ電に要望。98年11月に江ノ電の計らいで朋宏さんが運転席に。コントロールレバーに触れ、つかの間の「運転士」気分を楽しんだ。だが4日後に朋宏さんは帰らぬ人に。
 22日の「辞令」交付式では、新田さんの知人で塾講師石井彰英さん(53)=東京都品川区=が作った江ノ電の模型(ジオラマ)の「発車式」も実施。畳1畳ほどのジオラマには、新田さん家族も楽しんだ沿線風景が再現されており、石井さんが新田さんに相談して11月に寄贈した。
(共同通信 2008/12/22)


また、石井氏、北鎌倉の町並みのジオラマなども制作され、そして最新作が氏の生まれ故郷・大井町。大井町といえば、智恵子終焉の地・ゼームス坂病院のあったところで、同院のジオラマも制作、DVDでは2分弱、映し出され、光太郎智恵子にも触れて下さいました。

イメージ 3イメージ 4
























以前にもご紹介しましたが、ゼームス坂病院は、大正12年(1923)の創立。院長で智恵子の診察にあたった斎藤玉男は東京帝国医科大学を卒え、大正3年(1914)から翌年にかけ、ドイツ、アメリカに留学し、日本医科大学教授を経て、同院を開設しました。「学者としても一流で、人柄も温厚篤実の士として知られ、病院経営や精神衛生の制度面などから、多角的に積極的に発言」(『東京の市立精神病院史』昭和53年=1978、東京精神病院協会)したそうです。

昭和20年(1945)には、東芝大井病院と改称、心療内科は無くなりました。さらに同39年(1964)に東大井に移転し、現在の東芝中央病院に移行します。跡地には光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建てられています。

さて、ジオラマ。石井氏の幼少のみぎり、昭和30から40年ごろという設定だそうで、病院名は大井病院となっています。実際、この建物をご覧になっていたのですね。ある意味、うらやましいところです。

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

「高村光太郎さん 高村智恵子さんに捧ぐ」というテロップもつけて下さいました。ありがとうございます。

エンドロールの部分には、メイキング的な映像や、病院跡地の「レモン哀歌」碑も。

イメージ 11

イメージ 12

その他の部分も含め、あたたかみのあるジオラマに感心いたしました。緻密さを追究するあまり、無機質・非人間的な作も目にしますが、それと正反対に人々の息づかいまで聞こえてきそうでした(石井氏曰く「牧歌的」)。また、当方、石井氏より一回りほど後の生まれですが、幼い頃住んでいた東京多摩地区の府中本町駅付近などもあんな感じだったと思いながら、懐かしく拝見しました。南武線も茶色い電車でした。

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

なんと、2,000時間を要したそうで、50㌢程度のジオラマ50個ほどで成り立っているとのこと。しかし保管場所が確保できず、撮影しながら破棄したそうです。もったいない気もしますが、仕方がないのでしょう。

DVDに関しては、これまでも石井氏の活動をとりあげたというケーブルテレビ品川さんで紹介されるそうです。また、氏と電話でお話しさせていただきましたが、有効な活用法を模索されているとのこと。

ジオラマ自体もそうですが、ナレーション(ケーブルテレビのアナウンサーさんだそうです)や、BGM(石井氏とそのお仲間たちのオリジナルとのこと)も、あたたかみのあるいいものです。

ご興味を持たれた方、このブログ左上のプロフィール欄に書いてある当方連絡先までご一報を。


【折々のことば・光太郎】

四月の雨がおれの耳の気圧をかへた おれは少し睡くなつて粘土の馬をこさへてゐる
詩「北島雪山」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

光太郎の書き残したものを読んでいると、時折、身体感覚の鋭敏さに驚かされます。木材と同じようにガラスにも縦横の目があるそうで、指の腹で触るとそれがわかるとか……。

この一節も、そうですね。標高の高低やトンネルなどで、気圧の違いを耳で感じることはありますが、天候によってもそれを感じるというのです。鈍感な自分には思いもよりませんでした。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

智恵子の故郷、福島二本松からのイベント情報です。 

好きです智恵子青空ウオーク

期    日 : 2017年5月5日(金・祝)
場    所 : 二本松市の智恵子純愛通り記念碑前(智恵子の生家近く)集合・出発。
時    間 : 10:00〜
料    金 : 大人千円(記念館入館料、保険料、資料、ドリンク代込み)、小・中学・高校生500円
問い合わせ : 智恵子のまち夢くらぶ(電)0243・23・6743

詩集「智恵子抄」で知られる高村智恵子ゆかりの地を歩く。各自昼食は持参。

智恵子の顕彰活動を行っている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベントです。風薫る五月、「ほんとの空」の下、歩くのもいいものでしょう。

5/7(日)までは、智恵子の生家2階特別公開も行っています。そちらの見学も入っているようです。
 

高村智恵子 生誕祭 上川崎和紙で作ろう切り絵体験

期    日 : 2017年5月13日(土)〜28日(日)の土曜日、日曜日
場    所 : 二本松市智恵子の生家「奥座敷」  福島県二本松市油井字漆原町36
時    間 : 9:00〜16:00(生家・記念館の開館時間内) ※所要時間は10分程度
料    金 : 無料 (入館料に込み)
内    容 : 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵、上川崎和紙を使用したハガキ・しおりの制作
問い合わせ : 智恵子記念館 ☎0243(22)6151  文化課文化振興係0243(55)5154

智恵子が生まれ育ち、愛した生家。中庭の庭園を眺めながら、切り絵(紙絵)体験ができます。智恵子の世界を身近に感じてみませんか。1日分の材料には限りがありますので、無くなり次第終了。

イメージ 1


二本松市としての取り組みで、智恵子の生家2階特別公開、5月30日(火)までの智恵子記念館で智恵子の紙絵の実物公開、そのあたりをひっくるめて「高村智恵子生誕祭」と位置づけているようです。

昨年からこのような形で行われるようになり、昨年は生家の座敷を会場に地元の愛好家の皆さんによる箏曲の演奏などが行われました。今年は一般の来場者の方々に座敷を開放し、地元特産の上川崎和紙を使った紙絵の制作体験だそうです。

建物もただ見せるだけでなく、こうした活用方法がとられることで、より身近に感じられますし、生活臭、使用感が入ることも大事なのではないかと思われます。

イメージ 2

イメージ 3

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

平和的な平和を 夢のやうな平和を おれの芸術に求めてくれるな。

「偶作十五篇」草稿より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

理由は不明ですが、草稿に書かれながら抹消された一節です。「怒れる詩人」として、世の中に警句を発し続けていたこの時期の光太郎の心境がよく表されているようには感じますが。

開く コメント(2)

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事