|
his ミラノフィレンツエローマ8日間 金もなし何もない今、8万9千なにがし也というので、仕事もぶん投げいって見ました。 憧れのヨーロッパ、イタリアですから。 バイクには関係ないツアーでしたが、書庫化しました。(同ツアーの方、書き込みよろしく 11/27発)
アルトウーロ マーニ
MV500、アゴスティーニ、イタリアバイクレースの最高峰GP500を23年間、日本チームと、資金豊富なホンダチームに、アグスタ伯爵の私財とイタリア人の誇りを背負い、そのチームの終了までを仕切ったメカニカルチーフでありその名を知らぬイタリアバイク人はいなでしょう。
市の自宅より10キロ近く離れた駅の近くのカフェで忘れてきた住所を、店のマスタ-にマーニ、アゴスーティーニ、モトの単語で話したら、電話帳から、この人じゃないかと探り当て、電話で確認してくれたほど。(その人を知ってるジャポネーゼの俺ってすごい ハハ
車で行くと、覚えている道景色が、そしてドアをたたくといつもの笑顔でマーニーさんがいました。
若いころ紹介された息子のジョバンニもいまは白髪のいいおじさん、おいらもです。
この家の裏はテクニカルガレージになっていて、フレームなどの大物を作ったり、世界中からきたMVマシンのレストアなどをしているが、今回は時間もないので見には行けませんでしたが、談笑して、それで十分私の心は満たされたのでした。
ckが創業したころ、マーニー氏は終了したGP活動の後、すでに自社ブランドでビジネスを開始、私は紹介を得てバイクにて訪問をした(1982)。 そのころはマーニーさんは普通の住宅の一室とガレージで仕事をしてました。(今のところは150坪くらいあるのかな) ドラフターひとつの私にとって夢の工房でした
今回はツアーなりにまかせたが、着いて見ると、どうやら、氏の隣町らしいホテルみたいなので、タクシ代を奮発!。(片道6000円以上!!ヒエー)
4年ぶりに訪問することができたよう。マ−ニ−さん多分87歳+くらい?元気。そう言えば前回来たときには健康ジムをやっているといってた。 たった10分ほどの訪問であったが、今回一番のうれしい出来事でした。私にとって。
息子のジョバンニがマーニー社を引き継いでいるが、いまも現役のマーニーさんは今も私のお手本です。
おみやに、サイン入り名刺とステッカーをいただいちゃいました。ミーハーです。
追記
1987年だったか、日本から手持ちでosca1000(まだ完成街)のフレームをLaoxで買って届いたばかりの冷蔵庫を入れていたダンボールに詰め込み、なんと手持ち(でかい)でイタリアへと向かった。
マーニーさんこれのタンクをつくってくださいと。 (CKが本気で作り始めたことにもマーニーさんは評価してくれたみたい)、そんなことがあって、何度か訪れた。
実は7,8年程前か、何もやるにもやる気が出ない、集中できない、だるい人生になり始めた気がして、一人寒い仕事場に精神的にもまいり始めていた私がいた。 そんな日々、マーニーさんどうしてるだろうと、会って見たい気がしはじめ、ドイツの知り合いに行った後、車を借りて、マーニーさんとこに行ってみた。同じように生きて仕事をする職人の仕事がそこにはあった。好きなことを続けるイタリアの男を。!!
といってもすぐ自分に何も起きたわけではわない。ちょっと普通の生きる自分になりはじめたかなと感じようとしてたくらい。(でもかんがえたらその翌年ころにはgmの仕事がデトロイトで出てきたり、ついには仔猿を着想し始めていた)
ありがとうマーニーさん。
その同じ町で、同じ日帰り道か何かを探しているとき、ふと面白そうな小さいアンティークやさんがあって入ってみた。
ふるいバイクとかはないの?とか話をしているうちに、友達ぽくなって、今年もそこを先に訪問したわけです。
実はマーニーさんとこに行きたいと言ったら、車で連れて行ってくれた後、買い物その日のミラノを、娘さんまで借り出して案内してくれました。
聞いたら、お店はもう閉めたのだけど、私たちのために待ってセットアップしてくれたのだそうだ。
その店の前のカフェも覚えてくれてた。田舎町はいいですね。だいぶお世話になっちゃったのが気がかり。
あ、その7,8年前買った古イタリアンデスクはそのドイツの知り合いのガレージに置いたままだ、今度取りに行かなくちゃ。
今回も、すごく開放された自分がイタリアから帰ってきました。(無責任になっただけだったりして)
|