ダーウィン以前に戻って考えよう

斉一説のパラダイムは崩壊寸前です。それに代わるものは何か?

斉一論の矛盾と洪水説の復活

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アメリカの原理主義キリスト教徒らを中心とする創造論者は進化論者に対して公然と論争を挑む論争好きな人々である。彼らが論争好きな理由はそれなりの確信があるからであろう。但し、その確信は聖書に対する頑なな信仰があるというだけではない。彼らは進化論の欠陥について熟知しているだけでなく、その決定的証拠とされる化石の証拠についても異論を唱える。化石いうのは実は進化の証拠ではなく、むしろ大洪水の証拠であると彼らは本気で主張する。もちろん大洪水というのは、いうまでもなく聖書に記されたノアの大洪水のことである。
 
以前にも述べたように、ダーウィンの進化論は近代地質学の揺りかごの中から生まれるべくして生まれた。ハットンやライエルによって唱えられた斉一説は、地球の歴史が無限ともいえるような膨大な過去の時間をもつことを明らかにしていた。したがって、そこから生まれた生物進化の歴史もそれと同様に膨大な時間をかけたものであるという当然の結論が導き出された。斉一説によれば、地球の現在の姿は無限ともいえる膨大な時間をかけて休むことなく作用し続ける風化、浸食、堆積、続成、隆起、沈降などの(現在も観察できる)普遍的諸力によって刻一刻と変化してきたその産物である。したがってノアの大洪水のような天変地異は地球の現在の姿を説明するものとしては不要であり、非科学的な神話に過ぎないものとして否定された。
 
しかしダーウィン以前の時代には聖書は信じるべきものであり、ノアの大洪水のような天変地異も真実の記録であると多くの学者にみなされていた。そのような時代背景の中で発表された斉一説に基づくライエルの「地質学原理」は、当初必ずしも良い評判を得ていたわけではない。もしもダーウィンの「種の起源」の圧倒的成功がなければライエルの斉一説が世に受け入れられたかどうかは分からない。いずれにせよ、ノアの洪水なんて馬鹿げた話であるという今日の常識が定着するようになるためには、ライエルとダーウィンによる大きな変革が起こらなければならなかったことは確かだ。その変革とは、もはや後戻りのできない科学の非神話化を押し進めることを意味するものと一般には思われているが、実は、それは同時に新たな神話の始まりにもなったということをも意味している。
 
ダーウィンの進化論がそうであるように、ライエルの斉一説もまた、あたかも神棚の上に祭られた絶対不可侵の理論のごとくみなされるようになった。つまりライエルの斉一説はダーウィン進化論と共に批判の許されない絶対的な地位に祭り上げられ、この結果、斉一説でなければ地質学ではないという空気が生まれ、あらゆる地質現象が斉一説の原理原則にしたがって解釈されるという時代が以後長く続くことになった。
 
ところが近年になって斉一説に亀裂が入るという事件が頻繁に発生している。たとえばアメリカ西部のワシントン州にスキャブランドといわれる奇妙な地形の一帯がある。そこはコロラド川のような大きな川がないにもかかわらず、両側がまるでグランドキャニオンにも似た絶壁になっているのである。さらにそのあたりにはどこから運ばれたのかもしれない巨大な迷子石やリップルマーク(波形)があたり一面にちりばめられている。それまでこのスキャブランドの地形はグランドキャニオンと同様《斉一説にしたがって》何百万年もの長期間をかけて形成されたものと考えられていたが、一九二三年、ハーレン・プリッツという地質学者がこの地域の異様な地形は斉一説ではどうしても説明できないと主張し、その代わりに巨大な洪水の大激変で短時間の間に形成されたという仮説を提出した。当然ながら斉一説に凝り固まる当時の地質学会では相手にされず一笑の下にしりぞけられることになり、その後、四十年近くの間、プリッツは不遇の中で変わらない信念を抱き続けることになる。しかし一九六五年になってプレッツの仮説の欠陥とみなされていた大洪水の原因となる水量が氷河湖に溜った膨大な水として実証的に説明されるようになり、ついにプリッツの激変説が正式に認められることになったのである。
 
このようなどんでんがえしは近年の地質学にとっては決して珍しいことではなく、むしろ激変説によって地質の成因を説明しようとする手法は流行にさえになっている。つまり地質学者にとってライエルの斉一説はもはや万能の理論ではなくなっているのである。最近では大隕石の衝突説やスノーボールアース説など、従来では考えられなかった想像を絶するような過去の大激変があったということがむしろあたりまえのように語られるようになってきた。たとえば中生代の恐竜絶滅の原因になったとされる大隕石の衝突が一体どのような破局をもたらすのかという話題をめぐって様々な推論がなされているが、その中にはノアの洪水事件を思わせるような世界的な破局を想像する説さえある。いまや大激変を認めなければ説明できない地質現象があまりにも多いということが認められるようになってきているのである。
 
そもそもライエルが唱えた斉一説の前提は「現在は過去を解く鍵」という言葉に象徴されているように、現在の地球上で起こり続けている遅々とした変化が長い地質年代をかけて地球全体を大きく変貌させてきたのだという一貫した考え方である。しかしながら、この考え方の中には過去の出来事は現在の出来事の中に包摂されるべきだという根本的に間違った前提がある。この前提は科学法則の不変性という前提としてみるときは正しいが、だからといって過去の地質現象が現在の地質現象と同様であるという保証はまったくない。この点、現代の創造論者の中でも代表格の理論家として知られるヘンリー・モリス博士の次の言葉は至言であろう。
 
斉一論という概念そのものは合理的な枠組みをもって使われるならば完全に有効であり適切なのですが、地質歴史学において極めて非合理的に適用されてきたのです。真の斉一論は自然法則(特に熱力学の法則)の不可侵性にかかわる立場であって、進行速度の一様性ではないのです。熱力学の法則が示していることは自然界のプロセスの性質はどうあるべきかということですが、そうしたプロセスの速度がどれだけ速いか遅いかということは示していないのであって、進行スピードが常に一定であるという保証はどこにも存在しないのです。
Henry M. Morris The Biblical Basis for Modern Science, Chapter 11
 
この指摘の通り、ライエルが採った斉一説の立場は真の意味で公正な科学的立場というものではなく、地史の説明における一つの仮定(乃至は方法論)にすぎないものということがいえる。モリス博士は元々水力学の教授であったが、地球上の約七十%を占める堆積地層の成因についての斉一論者の説明に対して上記のような立場から異を唱える。地球上の大部分を覆う堆積地層は果たして現在地球上で起こっている遅々とした過程によって説明できるであろうか?むしろ地球上の堆積地層の多くは、遅々とした過程ではなく、ごく短期間の間に形成されたのではないだろうか?そもそも地層というものが泥岩、砂岩、石灰等の異なった層理にキレイに分かれていること自体が、まるで実験室のビーカー内で作られたかのようではないか?
 
このような疑問は決して子供じみた想像ではない。ノアの洪水が実際にあったかどうかという話は別にして、少なくとも過去の地球上では何度か地球全体がまるで実験室のビーカーのように水浸しになったということは十分にありうることなのである。
 
たとえば、いまだ熱の塊のような原始の地球において初めて海ができた時がまさにそうであった。地球創世時、マグマオーシャンと化した地表の高温に耐え切れず蒸発気化して大空の上に滞留していた大量の水蒸気がある一定の温度に冷やされて一斉に地上に降り注いだとき、地球上は一瞬のうちに水浸しになったのである。その時、陸地を構成するあらゆる岩石は急激な水流によって打ち砕かれ、その後、さまざまなサイズの粒子に分級され水中で堆積していったものと想定される。その堆積はまさにビーカー内の実験と同じく、大きなサイズの粒子から細かいサイズの粒子へと順に時間をかけて重なっていくはずだ。洪水の大激流による破砕から堆積へ至る過程は水流が完全に収束するまで間断なく繰り返されることになる。したがって礫岩、砂岩、泥岩、石灰岩等の層は水流が完全に収束するまで、幾重ものサイクルになって積み重なるだろう。この一連の地層形成の想定は実際に観察される地層に一致している。
 
このような激変をもたらず大洪水は地球創世時だけではなく、他にも巨大隕石の衝突によってももたらされることが現在では分かっている。たとえば直径一〇キロの巨大隕石が太平洋上に落ちると、海水の大半は一瞬のうちに上空に打ち上げられ、隕石が地上に衝突した際の膨大な熱エネルギーに伴って水は水蒸気層となって大気圏に滞留するという現象が理論的に予想される。その後の経過はおそらく地球創世時と同様の様相を(大小の差はあるにしても)呈するようになるだろう。その隕石が巨大であればあるほど、上空に滞留した水蒸気層は冷却したときに、より多くの降雨をもたらし地球上の多くの部分が水浸しとなるだろう。そしてこの結果、新たな地層が古い地層の上に形成されるであろう。但し、この時にできる地層には地球創世時にはなかった生物の化石を大量に含むことになる。と同時に、かつての古い地層と新しくできた地層の間には明確に区分される不整合が認められるようになるだろう。この想定は実際に観察される世界中の先カンブリア紀とカンブリア紀の地層の不整合を見事に説明する。
 
たとえば平均1.6キロの高さの地層を形成するグランドキャニオンの最下層は先カンブリア紀の地層であり、その上のカンブリア紀の地層と明らかな不整合になっている。しかもカンブリア紀の地層からは古生代の示準化石とされる三葉虫等の化石を多量に含むが、その下の先カンブリア紀の地層は化石を含まない。このような事実はグランドキャニオンに限らず、世界中の先カンブリア紀とカンブリア紀の地層についても共通に確認できる現象とされる。このことから生物進化の最大の謎とされるカンブリア爆発という説明のつかない謎があるのである。しかしながらこれが謎とされるのは、あくまでも斉一説に基づく地層の見方によるからである。もしも上述のような洪水説に立てば、先カンブリア紀とカンブリア紀の間が全世界的に不整合である理由も、そして先カンブリア紀には化石を含まないが、カンブリア紀には大量の化石を含むという謎も一挙に説明できることになる。但し、この見方を採用すると、従来の地質学の常識と進化論の常識はすべて見直さなければならないことになる。
 
つづく
ところで、われわれが今日、理科の教科書やあるいはNHK特集などであたりまえのように聞かされている「ジュラ紀」「シルル紀」「カンブリア紀」「白亜紀」「ベルム紀」等々の地質年代について元々の成り立ちの起源を知る人はあまりいないだろう。にもかかわらず、われわれはあたかもそれらの年代を証明された事実であるかのように信じている(というよりも信じさせられているという方が正確だろう)。一般にはあまり知られていないが、現在教科書等で使われている地質年代は実はダーウィン以前からすでに地質学者の間で通用していたものである。
 
もちろんダーウィン以前というと進化論が一般的に認められていた時代ではない。しかも当時は先にも述べたように、斉一説ではなくノアの洪水を事実起こったものとする激変説が主流の時代であった。ライエルの「地質学原理」にも同じ地質年代が使われているが、そのライエルでさえも進化論を認めていたわけではなかった。それでも当時の地質学者の間では地層の比較研究がすすみ、主にヨーロッパ各地の地層を共通のグループに分けて考えることがあたりまえになされていた。最初に地層の現れ方に法則性があることに気づき体系的な研究を始めたのはスコットランドの測量技師ウィリアム・スミスによる。その研究が基になって主に英国の地質学者の間で次々と地層の名前がつけられていった。
 
ダーウィンの進化論が発表されるまでに(古い方から順に)カンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ベルム紀、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀、第三紀、第四紀という各時代の地層が確定されていた。但し、当時、それらの地層は便宜的な区別という以上に深い意味があったわけではない。なぜならそもそも地層がなぜそこにあるのかという理由が分からなかったからである。19世紀初頭、地質学の黎明期に大活躍した英国のバックランドによると地層とそこに埋められた化石は聖書のノアの洪水を物語る具体的な証拠であるとされた。また同時代に古生物を研究していたフランスのキュヴィエによると、地層と化石は過去に起こった大激変による地殻変動を物語るとされていた。キュヴィエによると、過去の大激変はノアの洪水以外にも何度かあり、その結果、過去の生物は何度も絶滅したものとされている。
 
しかし彼等の研究はダーウィンの登場によって完全に否定され、やがてダーウィンの進化論とライエルの斉一説に基づく新しい地質学が体系化されてゆくことになった。つまりダーウィンの登場によって地層と化石の意義が再解釈され、以後、われわれが今日学校で教わっているような進化論に基づく地質年代の見方が定まってゆくことになる。斉一説によると地層は基本的に現在でも観察される遅々とした過程によって太古から悠久の年月をかけて形成されたのだとされる。但し、カンブリア紀が5億年前でジュラ紀は1億年前とかいわれる地層の正確な年代は決してその当時に一挙に決定されたわけではない。ライエルの斉一説に基づく地質学の考え方では、当然、途方もなく長い地質年代が想定されたが、かといってそれがどれぐらい長いのかということは誰にも分からなかった。
 
十九世紀の終わり頃、当時熱力学の分野の世界的権威とされたケルヴィン卿が誕生当時の地球を熱の塊とみたて、生物が住めるほどの温度に地球が冷却するまでにどれぐらいの時間がかかったのかという計算をした。それによると約二千万年という数字がはじきだされている。このケルヴィン卿の計算は当時の地質学者が想定した時間よりもあまりに短いので彼等をがっかりさせたが、後にアーサー・ホームズが放射性物質という新たな熱源を提起したことで地球の熱が冷えるのに要した時間はさらに長くなり、斉一論者の想定する年代に近づけられる結果となった。後に放射性物質は岩石そのものの絶対年代測定にも使われる道具として大きな役割を担わされるが、これについても当初すぐに認められたわけではなく、放射性物質の崩壊が一定の確率で起こるのかどうかという問題について学者の意見は分かれていた。しかし科学者の間でいろいろな議論に分かれたとしても、結局のところ最後には多数派を占める意見がアカデミズムを制してゆくという結果になる。そしてダーウィン以来今日に至るまで圧倒的多数派は常にダーヴィストが制していたのであるということに注意する必要があるだろう。
 
今日では放射性物質の絶対年代測定によってすべての地質年代はあたかも証明されたかのようにいわれているが、実態は必ずしもその通りではない。実は地質学者が地層の年代を知るために日常的に使っている方法は、放射性物質による絶対年代ではなく、約二百年前にウィリアム・スミスが初めて使った方法、すなわちその地層からでる化石から年代を同定するという方法である。これはどういうことかというと、最初の考案者であるスミス以来、あるグループの地層には特有の化石がでるということから化石によってその地層を同定するという方法が行われてきたのである。この古くからとられた方法が進化論者によって生物の漸次的進化というアイデアと共に採用されるようになった。つまりある地層グループに特有の化石がでる理由とは、それぞれの時代に繁栄した生物種が異なるからであると解釈されるようになった。たとえばグランドキャニオンの最下層にある先カンブリア紀の地層はまだ化石に残るような生物が進化していなかったのであるとされる。次にその上のカンブリア紀の地層からでる三葉虫等の化石は約4億年から5億年前に栄えた生物であるとされる。さらにその上の地層からでる魚類や両生類、爬虫類等の化石は約2億年前の古生代後期デボン紀に栄えた生物であるとされる。
 
しかしこのような進化論者の地層の同定方法はあまりにいい加減であり、また一種の循環論ではないかという批判がしばしば指摘される。たとえばグランドキャニオンの下層と上層の地層を放射性年代で測定して調べたところ、年代的に進化論者の想定と必ずしも一致してはいない。むしろ下の地層が上の地層よりも古い時代を測定するということがしばしば起こる。だから進化論者は絶対年代の測定を使わずに、旧態依然のスミスの地層同定の法則を使わざるをえない。しかし偶々彼らの想定する年代に一致する数値が測定されたとき、その数値のみが正しい結果として採用される。つまり測定されるまでもなく、理論上この地層はどの年代のものであるかという結論が初めからだされていて、その予想される数値にあったものが選ばれるという方法が取られている(らしい)のである。これではまさに循環論といわれても仕方がない。そもそも地層というものが斉一説という重大な欠陥のある仮説に基づいて説明され、その上にさらに進化論という証明もされない仮説をくっつけて互いを補強しあっているだけで、いずれにしても根拠のない循環論にすぎないという指摘はあたっているだろう。
 
創造論者によれば、互いに異なったグループの地層から異なった化石がでるというウィリアム・スミスの地層同定の法則は進化論を証明するのではなく、単純に生態系の振り分けによって説明できるのだという。つまりノアの大洪水によって同時に埋められた生物は、それぞれ異なった生態系に生息することを物語っているにすぎないのだとされる。たとえば最下層の地層には深い海底に生息する生物が埋められ、その上には浅海や海中を浮遊する生物が埋められ、そしてさらにその上に激流によって流された陸上の生物の遺骸を含む土砂が堆積されるというごく一般的な法則のようなものが想定されている。
 
たとえば同じ貝類でも種類によってさまざまな棲み分けが行われていることが知られている。したがって、深海に生息する貝と浅海に生息する貝では別々の地層に埋められるということになる。これをもし斉一論的に解釈すると、深海に生息する貝は浅海に生息する貝よりも古く、浅海型の貝は深海型の貝から進化したのであると解釈されるだろう。斉一説を唱えたライエルによると、第三紀の古い地層(=より下の地層)と新しい地層(=より上の地層)からでる貝類の化石を比べると新しい地層のものほど現生種と共通するものが多く、古い地層ほど逆に現生種が少なくなると報告している。この事実によって、ライエルは地層の年代区分ができるのだと書いているが、しかしこれは洪水説によると次のように解釈されるだろう。より古いとされる地層(すなわちより下の地層)からでる貝化石は深海に生息する貝類であり、それに対してより新しい地層(すなわちより上の地層)からでる貝化石は主に浅海や淡水に生息する貝である。したがって、古い地層の貝化石に現生種が少ないとされるのは、単にそれらの種類が現生種として知られていない(=知られにくい)という事実に拠っているか、又は深海の生物ほど洪水によるダメージが大きく、大洪水によって事実絶滅した種が多いということを物語っているだけのことかもしれない。
 
ところで古生代に大繁栄したとされる三葉虫はもともと深海性の生き物であり、海底に沈んだ生物の遺骸などを餌にする海底の掃除屋であるとみなされている。彼らの存在は化石でのみ知られるが、現在でも三葉虫によく似た生態をもつ深海性の生物が数多く存在する。それらの深海生物は当然ながら彼らの餌となる豊富な生物が存在しなければありえない。海底の掃除屋がいるということはそれ以上の数の豊富な生物からなる生態系が存在しなければならないはずである。通常の生態系の中での掃除屋は欠かすことのできない重要な役割を果たしている。食うものと食われるものとの食物連鎖の過酷な生態系の中で最後に残される残滓を餌とするもの達はその生態系が豊かであればあるほど繁栄するはずだ。だとすれば古生代に大繁栄したとされる三葉虫の存在は彼ら以上に大繁栄した生態系が存在していなければならないはずである。しかしながら古生代の生物の中ではそれほど豊かな生態系が存在していたという痕跡はなく、むしろ同類の深海性の掃除屋の仲間ばかりが目立つというのはまことに奇妙であるといわねばならない。
つづく
進化論者の説明による地質年代の奇妙さは他にもいくらでもある。たとえば中生代に石炭紀という時代があったとされる。この時代はシダ植物が大繁茂した時代であり、全世界の地層に残される石炭層のほとんどが、この時代に形成されたとされる。定説によれば、石炭層というのはその時代に数千万年もの長年月をかけて形成されたものということになっている。しかしながら石炭層の中には、このような斉一説に基づく定説を真っ向から否定する奇妙な事実がいくつもある。数千万年もの年月をかけてゆっくりと形成されたはずの石炭層を垂直に貫く木の化石がいくつも発見されているのである。大きなものではイングランドのランカシャー州で約十一メートルの高さの木の化石が石炭層の中に垂直に立ったまま発見されている。
 
通常の斉一論者の常識に拠れば、地層の堆積は年間約0.1〜0.2mm程であり、一メートルの高さの地層を作るためには五千年〜一万年の年月が想定されている。ということは、つまり十一メートルの高さの石炭層の堆積には少なくとも五万年以上の年月をかけていることを示すのである。もちろん五万年もの間、木が立ったまま腐敗もせずに地中に埋められるということはありえない。このような木の化石の成因として考えられることは、唯一、異常な規模の大洪水によって瞬時に埋められたという可能性だけであろう。つまり少なくともランカシャー州の石炭層は何万年もかけて形成されたものではありえないということになる。
 
石炭層の由来に対する斉一論者の説明には他にも矛盾がいくつもある。たとえば、オーストラリア東海岸のニューサウスウェールズ州にプリー石炭層という奇妙な石炭層がある。この石炭層は9万k㎡もの広大な地域に広がっていて、しかもその地層の幅は約1メートルと薄く、それが水平にどこまでも広がっているという奇妙さがある。この奇妙な石炭層は一体どのようにして作られたのであろうか?定説では、この石炭層とすぐ上の地層とは実は五百万年という時代のギャップがあるのだとされている。しかしながらこのギャップは目視で確認できるような通常の不整合ではない。この石炭層はかつてもっと厚く堆積していたのだが、その表面が陸上に現われたときに削られ、その後五百万年の時を経て再度海面下に沈降してから上層の地層が堆積してできたのだということになっている。しかし一旦海面下に沈んだ侵食面が、その上に地層が堆積することによって仮に平らにされるとしても、それによって9万k㎡もの広大な平行層理が作られうるとは、にわかには信じられないことである。
 
この種の奇妙な石炭層の成り立ちの中でも、とりわけ奇妙なものにインドのタヒールにある巨大な炭層が石灰岩や頁岩に挟まれて幾層にもわたって繰り返されているという例がある。この炭層がいかにありえないかということをいう前に、そもそも石炭というものは通常の過程ではごくゆっくりとした一連のプロセスを必要とする特異な現象であるということを知る必要がある。
 
定説では、石炭層の由来とは次のようなものである。たとえば釧路湿原にみられるような広大な湿地で死滅した植物がバクテリアや菌類によって分解されると腐敗してそこは泥炭地に変わる。但し、そのままでは永遠に石炭はできない。石炭ができるためには、泥炭地が一旦海水面の下に沈み、その上に堆積物が次々と重なり圧縮される必要がある。その過程で泥炭は数百万年もの長年月をかけた堆積物の圧力によって褐炭にゆっくりと変質してゆき、さらに多くの年月をかけてより質の高い瀝青炭へ、そしてそこからさらに数百万年の年月をかけて石炭へと質を高めていく。したがって現在存在する石炭層というのは、少なく見積もっても数千万年もの長年月の中で徐々に作られたものであるとされている。ちなみに地球上の石炭層の多くは地質年代で石炭紀といわれる今から3億2500万年も前の時代に始まり、それから4500万年もかけて海底の堆積物の下で作られ、その後に地殻変動の隆起作用により地上に現われたものであるとされる。
 
通常、石炭層では來炭層といわれる典型的な地層の繰り返しがみられる。すなわち淡水性の化石を含む頁岩の層と海水性の化石を含む石灰岩が上下で石炭層を挟むという典型的な繰り返しがみられる。この來炭層の地層の繰り返しはインド・タヒールの炭層でも同じであるが、しかしそれはなんと最大で60回も繰り返しているのだという。ということはつまり、先に述べた一連の石炭精製プロセスが正しいとすると、その地での石炭層の沈降と隆起の地殻変動が同じ回数だけ起きたということになるのである。リチャード・ミルトンは、この異常な繰り返しを次のように皮肉っている。
 
斉一説に基づいた石炭化プロセスを要約すると次のようになる。海のそばの低地に森ができる。その森が淡水によって湿地化する。広々とした泥炭地ができる。地殻が動き、低地が海に沈んで泥炭地が海水に覆われる。何百万年もかかって石灰岩の層が海底にでき、泥炭を圧縮して石炭の質を高めてゆく。この期間がすぎた頃に陸地がせりあがり、再び低地が現われる。復活した低地にまたしても森ができ、その森が淡水によって湿地化し、広大な泥炭地ができる。地殻が動いて再び低地が海に没する。さらに海の中で石灰岩の堆積が進み、以下繰り返しとなる。この繰り返しが、同じ場所で一度か二度、せいぜい三度ぐらい起きたというなら、斉一論者のシナリオ通りに事が起きたと考えることもできる。しかし、來炭層ではこの繰り返しが二度、三度では済まず、なんと六十回も繰り返されているのだ!『進化論に疑問あり』リチャード・ミルトン著P101〜102
 
ついでに補足しておくと、「現在は過去を解く鍵である」という斉一説によれば、石炭層は(規模の大小は別に)現在でも観察される遅々とした過程によってどこかで(密かに)作られつつあるということでなければならない。ところが現実にはそのように作られつつある石炭層は陸上でもまた海底の堆積物にもどこにも確認されてはいない。
 
このようにみると斉一論というものが完全に破綻しているといわざるをえない。むしろ石炭層は現在では想像も出来ないノアの洪水のような地球的規模の大激変によってできたのではないかと考えるほうが理にかなっているように思えてくる。この場合、石灰岩と頁岩によって挟まれる來炭層特有の繰り返しは激変による分級作用として説明できるのではないか。
 
聖書によればノアの洪水は四十日の降雨とその後の全地球的規模の冠水を伴う大洪水が起こった後、やがて激流が徐々に収まり、それとともに海水面が低下して現在の陸地が現われるようになるまでに約1年の期間を要したとされている。つまりその間、地球上は度重なる激流によって、水面下で岩石の破砕を繰り返しながら異なったサイズの粒子に分かれ、その後、水の分級作用による堆積を何度も何度も繰り返していたということが想定される。この間の驚くべき分級作用によって全世界にみられる特有の地層が形成されたのではないか。これによって地層というものが砂岩、泥岩、石灰岩、頁岩等という互層を成して堆積をしているその普遍的法則性をも説明できるのではないだろうか?そしてそれはまた來炭層においても、破砕された植物を構成する炭素有機物と動物の遺骸を含む石灰質に細かく分級され、それらが互層となって堆積されていったのではないだろうか?
 
地球的規模の大激変によって石炭層ができたのではないかという仮説は事実根拠のないものではない。実は石炭ができるために必ずしも何千万年もの年月を必要とはしないのである。石炭ができるために必要な条件は地中の高圧と高温である。すなわち泥炭地が大洪水によってすみやかに地中深く埋められ、地下の高圧と高温にさらされれば良質の石炭ができるということが理論的には分かっている。しかし、地質学者はどうしても斉一説にこだわるために、その仮説を採用できないのである。もしもそれを認めてしまえば、石炭層だけではなく、その上と下に積み重なったすべての地層は洪水によって形成されたのだという創造論者の馬鹿げた妄想を受け入れなければならなくなるからである。
 
つづく
ダーウィンとライエルによる革命以来、石炭紀やジュラ紀、白亜紀等の呼び名で表される地層というものは、世界中でそれが形成された共通の時代を意味しているのだという定説が何の疑いも差し挟まれることなく今日まで通用してきている。そしてこの考え方に基づく地質柱状図が学校教科書の中で、あたかも証明された事実であるかのように教えられてきた。
 
但し、地質柱状図に示される正しい地層(すなわち下から上へ古い時代順に積み重なった地層)というものは現実には世界中のどこにも存在してはいない。もしもそのような地層が存在するとすれば、その地層の厚さは百六十キロにもわたる膨大なものになるとされている。現実に存在する地層の厚さは最大でもグランドキャニオンにみられる厚さ一・六キロ程度のものにすぎない(ちなみにこの一・六キロという厚さは創造論者によるとノアの洪水の規模を理論的にもほぼ裏付けるものであるとされている)。では、それ以外の地層はいったいどこへ行ってしまったのであろうか?地質学者によるとこの謎は最近になってようやくわかってきたというのである。
 
ここ数十年(又は十数年)の間にプレートテクトニクス理論というものが革命的な学説として科学者に受け入れられてきた。この理論の問題点や矛盾については、別に新たな一章を設けて説明するつもりであるが、要するにこの説によってぶ厚く存在するはずの地層が行方不明になっているという謎を説明できるというのだ。彼らの説明によると古い時代の地層のほとんどは実は地球の奥深い内核へ移行して姿を隠してしまったのだという。
 
つまり地層というものは、元々海底にできるものであるが、その海底は長い年月をかけてまるでベルトコンベアのように移動するプレートに乗りながら、やがては日本海溝に想定されるような「沈み込み帯」と呼ばれる境界へ運ばれ、その付近の地殻の下へと沈んでいくものとされている。したがって海底で作られる地層の多くはいずれ地殻の下に潜り込んで消滅してしまうという。太平洋のような大きな海の海底でもそれが生まれてから消滅するまでに最大でも二億年はかからないとされる。したがって二億年以上の年月をかけて堆積する地層は理論的に存在することはできないというわけである。
 
ところがもしそうだとすると、ほぼ三億年の古生代の地層が露出しているとされるグランドキャニオンのぶ厚い地層がなぜできたのかと いう疑問が浮上する。グランドキャニオンの地層は、古生代カンブリア紀から古生代二畳紀までの約三億年にわたってほとんど水平な層理を成す地層が約1000平方キロの広大な地域にわたって続いている。その地層は砂岩、泥岩、石灰岩の幾重もの繰り返しとなっていることが分かっているが、そもそもこのような地層の分級はいかにしてなされたのであろうか?
 
たとえば今日のミシシッピー川流域にできている広大な大陸棚には砂岩や泥岩の層はあっても石灰岩だけからなるぶ厚い層は存在していない。石灰岩のぶ厚い地層ができるためには海底の珊瑚やカルシウムを分泌する生物の屍骸が累々と埋められ、しかもそのカルシウムが元の単純な成分に還るような過程が存在しなければならない。しかし通常の過程では生物の屍骸が含む石灰質は泥や砂と交じり合って堆積してゆくはずである。ある特定の時代に石灰質だけが堆積し続ける(しかも数百万年〜数千万年にもわたって)ということは考えられない。その時代にかぎってカルシウムを分泌する生物が異常発生したために石灰質が多く堆積したという考え方にも無理があるだろう。
 
一つ考えられるのは次のような説である。最近の地質学では海底地震によって大陸棚等に堆積された泥や砂の層が崩壊するダービタイトという現象が知られるようになっている。たった一度のダービタイトで数十メートルもの堆積物が崩れて再堆積をやり直すというのである。この過程で海底の土砂はどんでんがえりを何度も繰り返すことになり、時間と共に粒子の比重とサイズの違いによる石灰質や泥質、砂質等のそれぞれの層に分級されると考えられる。
 
しかしながら、地層の分級の説明がそれでつくのだとすると、そもそも地層によって各時代に分けるという意味や下の地層が上の地層よりも古いという地層塁重の法則も新たに見直さなければならなくなる。それと同時にいえることは、このような考え方を安易に採用すると、創造論者が主張しているノアの洪水による地表の水没とそれに伴う全地球的規模の分級作用という説明と、大小の違いこそあれ本質的な相違はなくなる。
 
事実、最近では巨大隕石や彗星の衝突による、全世界的規模の異変に由来する生物の大量絶滅やそれに伴う
大量の化石の成因、あるいはまたダーヴィニズムの大問題である中間化石の欠落という難問に対しても、そのような説明で従来の通説が塗り替えられようとしているのである。
 
ところでグランドキャニオンの成因について考えると他にも謎めいた話がいくつもある。先にもふれたとおりグランドキャニオンの地層が3億年にもわたる年月をかけたものとすれば、それは現代のプレートテクトニクス理論による海洋底の沈み込みという説明と矛盾してくるのだ。それともう一つグランドキャニオンについての奇妙な説明がある。グランドキャニオンは古生代の地層であるとされるが、そこには地質柱状図の中で欠落した中間の年代があるとされている。グランドキャニオンの地層の中から古生代のオルドビス紀とシルル紀に繁栄したとされる特有の示準化石がでてこないために、おそらくその時代にグランドキャニオンは地表に隆起していたのだとされている。この説明は地質学者が進化論の要請に対して辻褄を合わせるために「平行不整合」という専門家の奇術のような説明なのである。
 
というのは、実際にみたところはグランドキャニオンの地層は水平に積み重なっているので、その間に不整合(すなわち時間のギャップ)があるとは認められないにもかかわらず、進化論が期待するような連続した化石が出てこないために、そこには(理論上)数千万年という長い時間のギャップがあったとされているのである。通常、一度地表面に隆起した地層は浸食作用を受けるのでなんらかの凹凸の痕跡を残し、見た目にも不整合であると観察できるはずであるが、地質学者は「平行不整合」という専門用語を使って、痕跡を残さない不整合を認めているのである。しかしもしそうだとすれば、グランドキャニオンは一体いかなる力によって隆起したり、沈降したりしたのかということが説明されなければならない。そして、にもかかわらずどこまでも水平に保たれた層理面は一体いかなる作用によるのか(又はよらないのか)ということが説明されなければならない。
 
このような地層にまつわる謎めいた話と奇術のような地質学者の説明は、まだまだ挙げてゆけばきりがないほどある。たとえば理論的には絶対ありえないはずの古い地層が新しい地層の上に覆いかぶさっているという地層の逆転現象が世界中の至る所に存在する。そしてここでも地質学者はこの不可解な現象を説明するために「衝上断層」又は「押しかぶせ断層」という専門用語を使い、なんとか説明してみせようとするのである。
 
地質学者の苦し紛れの説明はもはや科学とは言いがたい。それは中世の時代に天動説に固執した天文学者が、天動説に矛盾する惑星の複雑な動きを周天円を何重にも追加して説明しようとした無理にどこか似ているだろう。地動説を採用することによって一挙にその矛盾が説明できたのと同じように、地層や化石の成因については創造論者の説明の方が単純で理にかなっているとさえ思われる。

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