|
藤原不比等の娘として生まれた安宿媛(あすかべ姫)は、幼くして
聡明、光のように輝き、人々から光明子と称されたたえられたのでした。
(以上が前回まででしたね。)
光明子が 15歳になったとき、皇太子と 結婚しました。
同じ年の皇太子には、何人かのお妃がすでにいました。
そのお妃の中で、皇后の位につけるのは、皇族の姫ぎみだけという
きまりがあったのです。
光明子は 皇族ではなく 大臣の姫ぎみでした。
皇太子は のちに 「聖武天皇」と よばれるようになりました。
光明氏は 17歳の時、女の赤ちゃんを 生みました。この赤ちゃんは
元気に育ちました。
光明子が26歳になったとき まちにまった 男の赤ちゃんがうまれました。
この男の赤ちゃんは 大きくなったら 天皇になる というので
国中の人々は おおよろこびを しました。
ところが、男の赤ちゃんは 1歳の お誕生日を 前にして 亡くなって
しまいました。
男のあかちゃんが亡くなって 5ヶ月目のこと。
『長屋王が 赤ちゃんを のろいころした。』
と、二人の男が 聖武天皇に つげにきました。
聖武天皇は あとつぎの 男の赤ちゃんを 亡くして 悲しんでいました。
そこでよく調べないまま、長屋王に おおくの兵を さしむけました。
長屋王は、一番えらい大臣で、聖武天皇の 先生でした。
長屋王は 身におぼえのないことで、
『わたしはしていない。』と いいました。
疑われた長屋王は 毒を飲んで 自殺しました。
長屋王の きさきと 4人の子供たちも あとをおって
死んでしまったのです。
長屋王が死んだあと、奈良の都では、地震が起こり、 ひでりや
洪水が つづいておきたのです。
つづく 期待してね!!
* 画像 〈 三河国分尼寺 〉
聖武天皇の勅願により741年に全国60か所に建てられた国分寺と国分尼寺
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年01月23日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]


