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《 制 服 》 井坂 洋子
ゆっくり坂を上がる
車体に反射する光をふりきって
車が傍らを過ぎ
スカートの裾が乱される
みしらぬ人と
偶然手が触れ合ってしまう事故など
しょっ中だから
はじらいにも用心深くなる
制服は皮膚の色を変えることを禁じ
それでどんな少女も
幽霊のように美しい
からだがほぐれていくのをきつく
眼尻でこらえながら登校する
休み時間
級友に指摘されるまで
スカートの箱襞の裏に
一筋こびりついた精液も
知覚できない
《 エッセイ 》 執筆 青木 健
ここに現れているものは、16歳の少女の生の生理感覚ではない。
彼女は己の生理の襞を丹念に点検しているのである。
大量輸送時代、人口過密時代の少女にとって、
「みしらぬ人と/偶然手が触れ合ってしまう事故など/しょっ中」だろう。
だから「はじらいにも用心深くなる」と反応を一度保留している。
都市生活者はどこかで意識に目隠しをしながら日を送っている。
「スカートの箱襞の裏に」ついた精液 ・・・・・・
少女は登校の途中で射精を受けたのだが気が付いていなかった。
都市生活の顔のない男女の性愛、そのかげのぶぶんがここにはある。
* 井坂洋子
1949年東京生まれ 元高校教諭 詩人
* (株) 作品社 ≪日本の恋歌≫ より
* 画像は友達の雅さんからお借りしました。
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中島みゆきの伝言板
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平野 國臣
妻とだに
契りおかずばかくばかり
逢はざる妹は
しのびざらまし
エッセイ (正津 勉)
わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば
煙はうすし 桜島山
ここに掲出の一首であまりにも有名な平野國臣は、維新の志士たちの中に
あって、その詩情『朝廷への忠誠心』第一等の人なりと謳われた丈夫中の丈夫
であった。
文久3年生野(兵庫)に兵を挙げて敗れるが、その前年、國臣は九州諸藩に
呼びかけ勤皇運動を起こそうとするが、投獄される。
國臣は、ひとや (獄舎) に老母のなげきを想い、淋しさを訴え、泣く。。。
泣きに泣くなかで意中の女、神官の娘 お棹(さお)を忍んでの歌が冒頭の
一首である。
文久4年京都で慙死となるが、斬首の時、お棹の名を発していた。
福岡県 平野神社
(株) 作品社 ≪ 日本の恋歌 ≫ より
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≪ 朝に ≫
立原 道造
傷ついた 僕の心から
棘を抜いてくれたのは おまへの心の
あどけないほほえみだ
そして 他愛もない
おまへの心の おしゃべりだ
ああ風が吹いてゐる 涼しい風だ
草や 木の葉や せせらぎが
こたへるように ざわめいてゐる
あたらしく すべては 生まれた!
露がこぼれて かわいて行くとき
小鳥が 蝶が 昼に高く舞ひあがる
≪ 解説 ≫
道造の最後の恋の相手、水戸部アサイは、彼と同じ建築事務所に
勤めていた事務員だった。
アサイは小柄で地味な感じであり、過去の恋人とは違った寛容で
まっすぐなところが、道造には魅力だった。
彼の詩集『 優しき歌 』にはアサイを織り込んだ数々の詩が生み出されている。
ヴェルレ―ヌの詩集と奇しくも同じタイトル。
ヴェルレーヌの少女との蜜月は破れ、道造も死による別れをひかえていた。
療養所で末期の道造に、アサイは献身的に支えたが、その甲斐もなく
道造は枯葉のようにやせ細り、24歳の生涯を終えた。
(執筆 井坂 洋子
元高校の国語教師。 美貌の詩人 )
・ 上段画像は、友達のメイさんからいただきました。
下段画像は、道造記念館HPよりお借りしました。
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≪ 恋 ≫
平尾 昌晃
逢えばそれだけで
楽しいくせに
別れたあとの 涙がつらいのさ
逢うたびに うれしくて
逢えばまたせつなくて
逢えなけりゃ 悲しくて
逢わずにいられない
そんな恋だけど 君が好きだよ
僕は君だけを 愛し続けたい
僕は君だけを 愛し続けたい 作曲 平尾 昌晃 1967年
≪ エッセイ ≫ 中平 まみ
ただ一文字で示された男からの思いを歌い上げたこの歌は、エキゾチックな
貴公子 布施 明が、体ごと肺活量をぶちまけるように、大きく口をあけ
歌っていた。
『逢えば別れがこんなにつらい・・・』と似たようなことを歌ったのは 「思案橋
ブルース」だったか。。。
感じやすくなるのは女だけじゃない。
男でもこんなに小鳥が震えるように、恋のために彼女のために、泣きそうに
なったり、こらえたり、喜んだり・・・。
☆ 出典 日本の恋歌 その1 谷川俊太郎 編
(株) 作品社 1985年9月
☆ 画像は友達の舞さんからいただきました。
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