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東京都世田谷区上馬に伝承される、『常磐姫伝説』のはじまりはじまり〜〜。
奥沢城主大平出羽守の娘「常磐」は戦国時代の武将で世田谷城主、吉良
頼康の側室として迎えられた。寵愛されやがて懐妊した常磐姫でしたが、他の側
室から嫉妬をかい、美男の家臣と
不義密通していると、誹謗、けなされ、それを本気にした頼康によって自害させら
れた。
常磐姫がかわいがっていた白鷺の足に常磐は自害する前に手紙を書き結ん
で、実家に向けて放った。
しかし白鷺は、狩に出た頼康によって射止められ、無実を訴えた遺書が常磐
姫のものである真実を知ることになるのです。
このあたりの地頭が、「駒留八幡」と名づけた神社があり、常磐姫と、死産した
子供を祀っている。
また白鷺の血の跡からは一本の草が生え、鷺に似た可憐な白い花を咲かせる
ようになり、これがサギソウで、世田谷区の花になっている。
駒留八幡神社
世田谷区上馬5−35−3
東急電鉄情報誌より引用
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民話と伝説の散歩道
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今日もブログへようこそ。♪♪
今回の民話の旅は、小学生のころ読んだ伝記の中から、家から電車に乗っても
それほど遠くない小田原市栢山に足を運び、『二宮金次郎の原点』を訪ねました。
二宮金次郎生誕の地、 小田原市栢山(かやま)-----。
14歳で母を、16歳で父を相次いで亡くし、伯父のもとに引き取られた
金次郎は、日夜懸命に働き、深夜勉学に励んだ。
ある夜、金次郎が寝る間を惜しんで読書をしていると、行灯の油がもったい
ないと伯父に叱られる。伯父に迷惑をかけないため、灯りの原料である
油菜の栽培を思い立った金次郎は、友達から一握りの菜種を借り、作物
が育たないような川べりの荒れ地を耕して種を播いた。
翌年の春、140倍(7〜8升)もの収穫になった。
この経験から金次郎は、「小さな努力の積み重ねがやがて大きな成果を
出す。」という法則を悟るのです。
のちの彼<二宮尊徳>の根本理念である『積小為大』=(小を積んで
大と為す)の原点がこの場所にある。
* 二宮尊徳 (幼名: 金次郎)
1787〜1856 江戸時代後期の農政家・思想家。全国各地の校庭にある
有名な「学校のアイドル」像で知られた金次郎は、一方成人後、有能な
「ビジネスコンサルタント」として600か所もの藩領や農村を再建復興させた。
小田原市栢山にある善栄寺には
「金次郎少年勉学の像」があり、金次郎が
菜種を播いた16歳のころの姿。
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