新潟県 小千谷( おぢや )市。
この小さな町の県立小千谷中学校( 旧制中学校・現県立小千谷高校 )は、
日本プロ野球界の発展に大きく寄与した人物を 2名輩出している。
池 田 恒 夫 ( いけだ つねお / 1911〜2002年 )
現魚沼市で生まれ 県立小千谷中学校を卒業。
1946年、自身の興した恒文社より ベースボールマガジン を創刊。
野球ファンなら必ず一度は手にしたことのある 週刊ベースボールマガジン 生みの親である。
1986年、現ロシアに野球を紹介し、国際交流に尽力。
1989年、雑誌記者出身初の 野球殿堂入り。
金 子 鋭 ( かねこ とし / 1900〜1982年 )
小千谷市で生まれ 県立小千谷中学校を卒業。
1969年、プロ野球コミッショナー委員として 黒い霧事件に関係した選手を永久出場停止(追放)するという 日本野球界初の処分を下した。
1976年、日本野球機構 第6代 コミッショナー就任。
1978年、 江川事件 発生。「 空白の一日」を利用した契約を無効とし世論の支持を受けるが、讀賣の強硬姿勢に強権発動(「 強い要望」)、一転世間の非難を浴び、翌年コミッショナーを辞任。
1982年、激動の晩年であった生涯を閉じた。
数々の人間ドラマを生んできたドラフトは、制度改正を繰り返すも 常にウラと抜け道が見え隠れしている。
一週間後に迫ったドラフト会議。
今年もまた(昨年に続き)特定球団のみ「逆指名制度」が存在しているかのような雲行き。
金子元コミッショナーは 現在のドラフトをどんな思いで見ているのだろうか?
1997年、生まれ故郷の小さな野球場前に 池田氏の手により金子氏の胸像が建立された。
ところで池田さんは 自分の母方の祖父と親交が深く、小学生の頃に近所の料亭で お会いしている。
そのとき同席していたのは、かの 川上哲治氏だった。
また学生時代には 当時神田にあったBBM本社で 何度かお会いした。
「ここに就職して阪神担当になるか?」
そんな冗談を真に受けておけばよかったかも・・ と今になってちょっとだけ思ったりして。
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