今回ご紹介するのは、「遺跡」ではないかもしれませんが、 仙台平野を繰り返し襲う自然災害を伝える場として取り上げたいと思います。 波分神社(なみわけじんじゃ)は、 陸上自衛隊の霞目飛行場のすぐ東側にある小社です。 2011年の東日本大震災の後、 この神社に伝わる津波にまつわる伝承が注目を集めるようになりました。 この神社は元禄16年(1703)に地元の村民らによって創建されたと伝えられています。 その後、あるとき大津波があり、何度も波が押し寄せて多くの溺死者を出したが、やがて白馬に乗った海神が現れて、この大波を南北に二分して鎮めたと伝えられています。 それまでは「稲荷神社」だった名前も、「波分大明神」と呼ばれるようになったそうです。 このような伝承は、後の時代に話が付け加えられたり脚色されたりしている可能性もあり、 そのまま災害史の資料として考えることはできません。 ただし、この地に暮らしてきた人々が、 幾度も繰り返す地震・津波の記憶を今に伝えてくれる、大切な遺産であると思います。 歴史学・考古学・地質学などによって明らかにされる災害の「記録」と、 長く地域の人々によって伝えられてきた災害の「記憶」を結びつけることが、 今後の防災・減災を進めていく上で一つの手掛かりとなるのではないでしょうか。 境内にはこのほか、 中世の板碑が置かれています。 仙台市史の板碑編には「波分神社板碑」として記載されているもので、 右の2つがそれです(左端は近世のもの)。 右端の板碑には「キリーク」 中央の板碑には「キリーク」「サ」「サク」 と種子(梵字)が刻まれています。 紀年は記されていないので、細かな年代は分かりません。 震災後、にわかに注目を受けるようになった波分神社。 いま、各地に設置されている津波に関する石碑やモニュメントも、 たんに50年後、100年後の未来ではなく、大地震の周期とされる数百年後まで、 波分神社の伝承のように、語り伝えていく義務が、我々にはあります。 撮影:2012年9月8日 ◆アクセス 仙台駅前バスプール6番乗り場、市営バス「霞の目」行または「市営バス霞の目営業所」行に乗車し、霞の目バス停下車、徒歩すぐ 【参考文献】
仙台市史編さん委員会 編 1998 『仙台市史 特別編5板碑』 若林区霞目町内会 2011 「波分神社の由来」(現地説明版) 仙台市博物館 2013 『土と文字が語る仙台平野の災害の記憶 −仙台平野の歴史地震と津波−』 松岡祐也 2013 「表紙写真解説 波分神社(若林区霞目)」『市史せんだい』23(特集 歴史地震・津波を再考察する) |
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ご無沙汰しております。震災三年を迎え、未来へのメッセージを含めた深い考察に感銘いたします。
kroraina2さんが撮影された数ヵ月前に私もこの神社に訪れております。
ご存知と察しておりますが、この神社の目と鼻の先に横綱谷風梶之助の生家があったと思います。
残念ながら私が行った時には震災の被害で既に更地になっておりました。
関連記事(谷風生家の隣の波分神社の写真も掲載してあります)をトラックバックをさせて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。
きょうも素晴らしい記事に触れさせて頂きありがとうございます。
2014/3/11(火) 午前 4:06
>ミックさま
コメント&トラックバックありがとうございます。
このときは1キロほど東にある、弥生時代の津波堆積物が発掘調査でみつかった沓形遺跡(既に造成工事中)の現況を見た後、この波分神社を訪れました。繰り返す災害の歴史を考える上で、この地域はとても重要です。
2014/3/11(火) 午後 7:34 [ kroraina2 ]