JR東仙台駅の近く、ちょうど比丘尼坂のあたりで枝分かれする利府街道の旧道に入り、北東へ2kmほど行くと、国道4号線の手前に高圧線の鉄塔が建っています。 ちょうどこのあたり一帯に広がっているのが、今回ご紹介する燕沢遺跡です。 燕沢遺跡は、おもに平安時代を中心とした遺跡で、寺院とみられる建物群がみつかっています。 遺跡は、標高20〜30mほどの河岸段丘上に立地しており、北は船形連峰、東は岩切や多賀城方面を遠望し、南方は水田の広がる仙台平野を見下ろす高燥の地にあります。 写真は、南東方向の水田地帯を撮影したもの。 これまで、12次にわたる調査が行われており、いくつもの掘立柱建物跡が発見されています。 特に、遺跡南東部で行われた第8次調査でみつかったSB2掘立柱建物跡は、南北4間(総長9.6m)、東西7間以上(総長14m以上)の東西に長い大型の建物跡です。 南北2面に廂(ひさし)がつき、内部は3間おきに柱穴が配置されて仕切られていたと考えられています。 多賀城の付属寺院である多賀城廃寺でみつかっている僧坊跡と構造が類似する部分があることから、この建物は寺院の僧坊であった可能性が指摘されています。 出土遺物から、建てられた年代は10世紀前半と推測されています。 周辺の調査区では、「読院□」と墨書された須恵器の坏も出土しており、遺跡南東部には寺院が存在した可能性が考えられています。 燕沢遺跡の出土品の中で特に注目されるのが、宝相華文軒丸瓦。 燕沢遺跡の宝相華文軒丸瓦は、この遺跡独特のものとされています。 多賀城跡でも類似した文様のものが出ていますが(多賀城軒丸瓦422型式)、燕沢遺跡のものの方がより精緻な文様で、燕沢遺跡の宝相華文軒丸瓦を基にして造られたと考えられています。 その多賀城の瓦は、貞観11年(869)の貞観地震からの復旧に使用された瓦です。 多賀城の復旧瓦のモデルになるような瓦が、なぜ燕沢遺跡から出土するのか。 いまだ議論のあるところですが、多賀城の復旧の拠点的なものが燕沢遺跡に置かれていた可能性について推測する説も提出されており、とても興味をひかれます。 まだまだ遺跡のごく一部が調査されたにすぎない燕沢遺跡。 全体像の解明には、これからの調査・研究の進展が期待されています。 ◆アクセス JR東北本線東仙台駅から徒歩約40分 または、 仙台駅前から市営バス「原町・宮城野区役所・東仙台経由 岩切駅」行、または「花京院・国立病院経由 小鶴新田駅・東仙台(営)」行に乗車し、燕沢東バス停下車、徒歩10分 【参考文献】 佐川正敏 2001 「平安時代前期陸奥国・出羽国の宝相華文軒丸瓦の研究」『東北学院大学東北文化研究所紀要』第33号 佐川正敏 2013 「貞観地震復旧瓦生産における新羅人の関与について」『平成25年度宮城県考古学会総会・研究発表会予稿集』 仙台市教育委員会 1995 『仙台平野の遺跡群XIV』(仙台市文化財調査報告書第195集) 仙台市教育委員会 2010 『仙台平野の遺跡群XX』(仙台市文化財調査報告書第371集) 長島栄一 1995 「古代530 燕沢遺跡」『仙台市史 特別編2考古資料』 |
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去る6月9日に掲載された本記事に大変感慨を受け、本日同史跡に足を運んでみました。
残念ながら、盛り土され僧坊の掘立て柱跡は見られませんでしたが付近住民の聞きとり調査を行い概要がわかってきました。
情報を頂いたことにお礼を申し上げます。
私の記事のトラックバック承認を申請しますので宜しくお願いします。
2013/6/22(土) 午後 7:34
>ミックさま
コメント・トラックバックありがとうございます。
現地には遺跡を思わせるものが何もないので寂しいですが、この地域の古代史を考える上でとても重要な遺跡です。
こちらからもトラックバックを送りますので、よろしくお願い致します。
2013/6/22(土) 午後 7:48 [ kroraina2 ]