にぎやかな一番町商店街からほど近く、 東北大学片平キャンパスは市街地中心部にあるとは思えないほどの静けさと緑に包まれた場所です。 その中に1つの煉瓦造りの建物があります。 東北大学考古学陳列館は、1924年に赴任した喜田貞吉らによって行われた発掘調査をはじめ、学史的に貴重な資料を数多く収蔵しています(内部は一般公開されていません)。 建物自体も明治期に建てられたもので、戦災や震災を経験してきた仙台市内にあって、数少ない明治時代の煉瓦建築となっています。 この建物北側には、鉄柵で囲われた中に県内で発見された古墳時代の石棺が2基移築されています。 こちらは宮城県南部の丸森町金山にある台町古墳群の石棺です。 台町古墳群は5世紀から7世紀に造られた大小170基以上の古墳から構成されています。 全長33メートルの前方後円墳(20号墳)が1基あり、明治36年(1903)に発掘調査された際に出土した2枚の銅鏡(六鈴鏡と内行花文鏡)などの遺物は、東京国立博物館に収蔵されています。 また、103号墳からは壺をささげる姿の女性の埴輪が出土しています。 この場所に移築されている石棺は、1号墳で発見されたもので、箱式石棺とよばれる形のものです。 その隣にあるのは、仙台市の南隣り、名取市増田に所在した経の塚古墳の石棺です。 経の塚古墳は海岸からわずか2kmの場所に造られた、直径約25m・高さ約7mの円墳でした。 大正12年(1923)に行われた土取り工事の際に石棺が見つかり、調査が行われました。 調査では人骨2体・直刀(直弧文のある鹿角製刀装具を有する)などが発見されたほか、明治時代には家形埴輪や短甲形埴輪なども見つかっています。 埴輪については国の重要文化財に指定されています。 この古墳の石棺は、粘板岩製の長持形石棺と呼ばれるものです。 出土品を含め大変貴重なもので、葬られていた人物は当時のヤマトの王権と深い関係を持っていたのではないかと考えられています。 古墳自体は残念ながら、戦後の土地改良工事で壊滅しています。 以上、2基の石棺とも現地から移築されてしまったものですが、宮城県地方の古墳時代を考えるにあたって非常に重要な資料を間近に観察することが出来るようになっています。 ◆アクセス 仙台駅西口バスプール11番乗り場から仙台市営バス「霊屋橋・動物公園経由緑ヶ丘三丁目行」または「霊屋橋・動物公園・日赤病院経由八木山南団地行」に乗車し、東北大正門前バス停下車、徒歩約5分。 or 9番乗り場から仙台市営バス「宮教大・青葉台行」または「青葉通経由動物公園循環」に乗車し、青葉通一番町バス停下車、徒歩約10分。 【参考文献】
工藤雅樹 1984 『日本の古代遺跡15宮城』 保育社 東北大学総合学術博物館・東北歴史博物館 2013 『考古学からの挑戦 -東北大学考古学研究の軌跡-』 |
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きょうは、 仙台市太白区富沢にある、富沢館跡の見学会に行ってきました。 場所は市営地下鉄南北線の富沢駅から歩いて15分ほどの場所。 仙台市富沢駅西土地区画整理事業にともなう発掘調査が行われていて、中世の館跡を囲んでいた土塁がみつかっています。 当日はあいにくの雨。 それでも会場には多くの人が集まり、調査事務所の中で発掘調査成果の説明や遺物の見学が行われました。 説明会資料には、仙台市史城館編に掲載されている昭和20年の米軍撮影航空写真が引用されていました。 上の画像は、昭和36年4月26日に撮影された航空写真。 国土地理院の地理空間情報ライブラリーで公開されている画像です。 (※公開され、ダウンロードすることもできる航空写真画像は、出典等を明記すればブログ等で使用できるそうです) 今回調査されたのは、画像の中央やや左より。 北から南に斜めに黒く樹木が写っている部分がありますが、この部分が現在まで残っていた土塁です。 このあたりを中心に、細長い水田や小規模な水田が帯状に連なって四角く囲んでいるように見えます。 これは館跡の堀の痕跡だと考えられています。 館跡の規模は、約300m四方とみられています。 築城者等は分かっていませんが、 粟野大膳ではないかとする史料もあるそうです。 お昼近くになると雨が上がり、発掘現場の見学ができました。 1枚目の写真は、土塁を南西部から撮影したもの。 調査された土塁は、全長約140m、幅約13m、高さ約2m。 こちらは、土塁の上に上がって撮影したもの。 土塁の外側(写真では左側)は堀跡です。 館跡が機能していた当時は、土塁はもっと高く、堀も深く、威容を誇ったことでしょう。 こちらは南側の調査区。 土塁が2条並んでいることが確認されています。 この部分で、西側からぐるりと曲がって来た土塁が途切れ、新しく別の土塁が東側に向かって続いていたとみられています。 ちょうど土塁と土塁に挟まれた部分は通路だったと考えられています。 また、東側の調査区では、門跡とみられる柱穴が2つみつかっています。 市史城館編では、このあたりを1区(主郭)の入口(大手口)とみています。 こちらは、館跡主郭部の中央に設けられた調査区の様子。 建物の柱穴とみられるものが、いくつもみつかっています。 ただし、これらがどのような建物を構成していたのか、戦国期のものなのか、それよりも新しい時代のものなのかは、これから調査を行っていくという話でした。 こちらは、調査で出土した遺物。 これらの他に、13〜14世紀ごろの常滑の甕の破片や、15世紀ごろの在地産陶器などがみつかっています。 こちらは、富沢館跡と同じく、この区画整理事業で発掘調査が行われた鍛冶屋敷A遺跡で出土した、文字が刻まれた平安時代の砥石。 先日新聞報道や、メディアテークで行われた文化財展で展示されたもので、この日も特別に展示されていました。 上の写真は、担当者の方に持って頂いて撮影したものです。 砥石には3つの面に文字が刻まれています。 この面には「大田部」そして「有」の字がみてとれます。 仙台市内の平野部にある中世城館の中でも、もっとも良好な状況で残っていた富沢館跡。 発掘で現れた土塁や堀の姿は雄大でした。 これから本格化する建物跡等の調査にも期待したいです。 【参考文献】
仙台市教育委員会 2014 「富沢館跡発掘調査遺跡見学会資料」 柳原敏昭 2006 「富沢館」『仙台市史特別篇7城館』 |
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仙台市太白区にある富沢館跡で現地説明会が開催されるそうです。
富沢館跡は、地下鉄南北線の富沢駅から歩いて15分ほどの場所にある遺跡です。 土塁や堀といった防御施設に囲まれた中世の館跡です。 発掘調査したところ、この館の土塁は、仙台市の平野部で確認されている館跡で最も残存状況が良いものだったことが分かったそうです。 また、先日新聞報道され、メディアテークで行われた市文化財展でも展示された、鍛冶屋敷A遺跡出土の文字が刻まれた砥石も、今回展示されるそうです。 (1)日時 11月29日(土)午前10時00分〜 (2)会場 富沢館跡発掘調査現場 太白区富沢字館32 (3)説明者 仙台市文化財課担当者 (4)アクセス ①市営地下鉄南北線富沢駅下車、西1出口から西へ徒歩約15分。 ②宮城交通バス「ながまちくん」で「館」下車、南西へ徒歩約5分。 (「JR長町駅西口」9:23発、「地下鉄長町南駅太白区役所」9:32発 →「館」9:44着) ※料金150円。 お時間のある方は、ぜひ実際の発掘調査の現場を見学されてみてはいかがでしょうか? ↓見学会の場所 詳しい地図で見る 仙台市文化財課ホームページ内「文化財課からのお知らせ」 http://www.city.sendai.jp/manabu/bunkazai/news/1215726_2711.html |
せんだいメディアテークでは、 現在、仙台市教育委員会主催で「せんだい文字発掘展」(第61回文化財展)が開催されています。 本日、私も職場の昼休みに見に行ってきました。 今回の展示テーマは、発掘で出土した文字が書かれたもの。 古代の墨書土器、 中世の板碑、 近世の銭貨、 などなど、さまざまな出土品が展示されています。 上の写真は、市内の色々な遺跡で出土した古代の墨書土器。 こちらは、新聞報道もされた、 太白区富田にある鍛冶屋敷A遺跡で出土した、平安時代の砥石。 表面に文字が刻まれていて、 「謹解 申請稲事 合□□」などの漢字が記されているそうです。 こちらは、奈良時代や平安時代に、文字を書くために使用された道具。 左上のまるいものは、墨をするための硯(すずり)です。 ちょっと前までは、文字を書くのにも墨をすったり、鉛筆を削ったりといった、事前準備が必要でした。 文字情報が大量に氾濫している現代ですが、 文字を「書く」という行為そのものが、少しずつ減少してきています。 今ではキーボードを打つ、そしてタッチパネルで画面に触れて、文字を「書く」時代になりました。 そのうちSFのように、言葉を「思う」だけで文字を「書く」ことができるような時代も来るのでしょうか? そして、文字情報がデジタルばかりになったら、このように発掘で出土する文字が存在しなくなる時代、物質文化的な「無文字」化時代が来たりするのでしょうか? 学校の教科書さえ電子化が検討される今、人と文字の歴史を考えるこの展示はとても意味があると思います。 展示は11月16日(日)まで。 最終日は午後1時から、国立歴史民俗博物館准教授の三上喜孝先生の講演会も開催されます。 |
もう先週のことですが、 10月18日(土)に東北大学川内北キャンパスで行われた、 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第15地点現地説明会に行ってきました。 この日は快晴。 東北大学埋蔵文化財調査室長の阿子島先生の挨拶のあと、 調査員である藤沢先生から調査内容について説明がありました。 調査区は以前プールがあった場所で、この地区の中でも遺構面の残りが良い場所でした。 後方に見えるサークル会館建築の事前調査では、屋敷の建物を構成するとみられる多数のピット(柱穴)が発見されたそうです。 調査では溝によって分けられた4つの区画(屋敷地)がみつかりました。 溝は区画の他に排水の機能を持ち、写真手前にある沢跡に合流します。 屋敷地は区画ごとに平らに造成されており、写真左上の区画と右上の区画で高低差があるのがわかります。 現在丘陵地で造成される、ひな壇状の宅地と同じような構造です。 調査の結果、2つの屋敷地の大きさが復元されました。 その大きさはおよそ1000坪。 伊達氏一門や片倉氏などの重臣を除けば、仙台藩でもかなり上級の家臣たちの屋敷です。 調査では、左の写真にあるような塀跡(掘立柱列)の他は、屋敷を構成する建物跡は見つからりませんでした。 屋敷を区画する溝の内側は、ある程度の面積を生垣や屋敷林占めていたため、遺構の見つからない空間があるのではないかと考えられています。 木々に囲まれたお屋敷が並ぶ、当時のたたずまいがしのばれます。 出土遺物の見学コーナー。 平箱で30箱ほどの遺物がみつかりました。 17世紀の遺物として、織部の皿や信楽焼とみられる四耳壺のほか、中国・漳州窯系の皿がありました。 他には18世紀の肥前の碗皿や大堀相馬の皿など。 上級武士のくらしを想像させます。 【参考文献】
東北大学埋蔵文化財調査室 2014 「仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第15地点現地説明会資料」 |


