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クニの発生

 弥生時代はバトルロワイヤルの時代だといいました。それらのバトルをする主体はクニと呼ばれる各地に出来た小国でした。さて、なぜ日本の各地でそのような小さな武装勢力が合い争うことになったのでしょうか?その原因は農耕と貧富の差にあるといわれています。狩の獲物を追いかけたり木の実を取っていた縄文時代と違い、弥生時代になると渡来人たちによって水稲耕作が伝わります。農耕には地の利が極めてものを言うでしょう。例えば、山と山に挟まれた日が良く照らない場所、土地の質が農耕に適さず雨量も少ない場所、河が遠くて上手く水が引けない場所、こうした場所はおそらく農業に適さず良い作物も育たないでしょう。一方、河から近くて日当たりも良く、地質が良い実りを与える場所である場合、そうでない場所と比べてはるかに良い収穫が見込めるはずです。日本中の全部がそうした豊かな実りを与えてくれる様な環境だったら問題ないのでしょうが、当然地域や場所によってそうした差異があったはずです。 もしあなたが余りよくない土地に住んでいて、十分でない収穫しか上げられないとしたらどうでしょうか?コンビニでおにぎりをかってくるだとか、マックでハンバーガーを買ってくるだとかいうことが当然不可能なこの時代、農地や集落の周囲には延々と森や山や野原だけが広がっており、食料など手に入れるすべが他にあるはずもないでしょう。土地や作物の問題は死活に関わるものだったことは安く推測できるはずです。また、良い土地悪い土地といった風に、土地や場所に価値の有無がもしかしたらこのときに生まれたかもしれません。こうしたシビアな問題から土地をめぐる争いが起きるようになったのではないかと僕は推測します。
 またこの時代の集落には、防衛を目的とした設備が設けられたり武器があったりしたといいます。こうしたことは、この時代がいかに戦闘が身近だったかということを物語っているでしょう。
 そうした集落同士の戦いがその地域最強の集落により統一され、さらのその大きい集落が周辺の大きい集落同士のあらそいで更に大きい集落へと統合されていくというプロセスを経てクニというより大きなコミュニティーが生まれたのでしょう。

 この時代になると、中国や朝鮮半島など海外の先進国ともアクセスするようになります。中国や当時中国領土だった平壌(『楽浪』とよばれていた)に使節を送ったりしました。また九州にあった奴国(なこく)という小国などは皇帝に使いを送って、『お前は日本の王様だ』というお墨付きの印鑑をもらったりもしています。これなどは、争いあう国々と関わるにあたり、より自分の優位性を示しすためにそうして中国の皇帝からお墨付きを出してもらったのでしょう。これなどは、今で言えば内乱中の国で、武装勢力の一つがアメリカの支持を取り付けて、他より有利な立場になろうとするようなものでしょう。こうした激しい内乱の末に、日本の国が築かれていったのです。
 

閉じる コメント(2)

こんばんは。よく考えてみると、人間ほど縄張り意識の強い生物はいませんね。現代の日本人も、領土問題について真剣に考えていかないと、下手をすると戦争になりかねないということを、こうやって過去の歴史から学べるわけですね。

2005/10/17(月) 午前 0:33 [ ユウ ]

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あー、確かに自分も書いていてそんなことをつくづく感じてました。争いが絶えないのかなぁ?見たいな事を。でも本当はそんな教訓じみた内容書くつもりじゃなかったのですが・・・w 個人的には楽浪郡と日本との関係にえらく関心があります。

2005/10/21(金) 午前 6:42 [ ksb*on*8 ]


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