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昔、江上波雄(字が合ってるかちょっと微妙ですが・・)の騎馬民族征服説ってのが騒がれたことがありました。どんなものかというと、日本の国を作った大和朝廷が実は大陸から来た騎馬民族で、日本は大陸から来た騎馬民族が原住民を征服して作ったという説です。今ではそんな実証性がないとされているみたいですが、これも真実の一端を示して入るのでしょう。ちなみに自分は中学生のころ、モロにその説に傾倒していました(笑
ここから日本国家の成り立ちについて扱っていこうと思うのですが、まず『日本』とは何かということを考えて見ましょう。日本とは、これは若干正確さに欠けるかもしれませんがものすごく簡単に言ってしまえば、3世紀から4世紀に天皇家の先祖が奈良県に作った地方勢力が日本列島全体に拡大したものといってしまってよいでしょう。そもそも、かつては東北に蝦夷、南九州に熊襲と隼人という様にどうやら異民族と思しき集団がいたことから、日本が元々は均一化された集団ではなかったことが分ります。北海
道などは今でもアイヌ民族がおり、同じ民族とはいえ沖縄県も100年程前までは別の国でした。これ
ら複数に分かれていた地域、島々を一個に結びつけた『日本』というものは、ひとえに古代の奈良県に
成立した大和朝廷に端を発するのです。
簡単に言えば『他民族が暮らしていた島々を、日本という一つの地域に統一したのは大和政権である』と言うことです。
さて、ではさっきから散々出てきている大和政権とは一体何者で、いつどのようにして出来たのでしょうか?実ははっきりとしたことは分っていません。ただ、3世紀から4世紀のころには出来ていたらしいこと、大陸の影響を強く受けていたことだけは確かです。
前回、日本各地に小国が分立して内乱状態だったこと、それからそれらの小国について中国が歴史書や書物にその記録を残していたことは述べました。だいたいそれらの記録から2世紀ぐらいのことまでは分るのですが、3世紀から4世紀の間は何も記録が残っていないのです。ところが、4世紀につくられた中国の碑文に『日本が朝鮮半島に攻めてきた』という記録が登場するのです。このことは、2世紀の小国分立時代から4世紀までの間に、大陸に軍隊を派遣するだけの強力な統一勢力が作られたことを示します。大和政権が成立したのも3世紀のころの様です。そんなわけで、3世紀は日本の考古学ではなぞのブラックボックスとされているみたいです。
さて、この時代前後の朝鮮半島についてちょっと言及せねばなりません。古代の朝鮮半島は、今のように一つに統一されてはおらず、複数の国家や民族が入り乱れた状態になっていました。代表的なものとして高句麗(中国東北部から主に北朝鮮にかけての地域)、百済(朝鮮半島南部の西側)、新羅(朝鮮半島南部の東側)加羅(百済と新羅にはさまれた地域にあった連合国家)とがあげられます。で、この中で高句麗と百済というのはプヨ族という騎馬民族が作った国でした。また新羅の建国神話では、初代国王のパク・ヒョッコセが馬にまたがって現れたとあります。馬が出てくるあたりが何とも騎馬民族とのかかわりを連想させます。これらの国以外にも、ワイ族、ハク族なども北部東部に勢力を築いていました。このように当時の朝鮮半島は、北の満州から多くの騎馬民族が南下してきていたのです。
日本には中国以外に朝鮮半島からも多くの移民が来ましたが、こうしたことを考えると騎馬民族の影響も大いに受けていた可能性があるといえます。例えば、馬に関する器具、装飾品などがそうです。ガラや形状にその影響が見られるそうです。それ以外にも、この時代の服装が強く影響がある風に見えます。騎馬民族の服装というと、モンゴルの民族衣装に見られる詰襟の肩で服を合わせるスタイルのものが浮かびますが、神話の時代の人が着ているあの白い服は(ここら辺、図を載せたいのですが良い資料がありません・・)同じ詰襟の肩で合わせるタイプの服なのです。このように、日本の古い時代は朝鮮半島経由で騎馬民族的影響を受けていたといえるでしょう。
さて、大和政権が具体的にどのように成立したのか分っていないということは上でも述べましたが、古事記や日本書紀にそれを推測する手がかりが載っています。これらの書物によると、天の神の子孫である初代天皇の『神武天皇』は九州の大分県(日向の国)にあった高天原(たかまがはら)というところから東に遠征して、大和の地に基盤を築いたといいます。つまり、九州にいた天皇家の先祖が東方に勢力を広げて奈良に勢力基盤を置いたと書いてあるのです。もっとも古事記、日本書紀を鵜呑みにすると神武天皇の時代が縄文時代にまでさかのぼってしまい、おそらく史実とは異なる記述が多くあると思われます。というのも、これらは後世になって天皇家の正当性を証明するために書かれたものだからです。とはいえ、これも何か史実や真実の一端を表しているといえるでしょう。少なくとも、九州から奈良に向かう何らかのベクトルがあった可能性があることをしめしているでしょう。九州北部は朝鮮半島に近く、韓国のテレビやラジオの電波が届くことがあるそうですし、対馬などは天気の良い日はプサンが見えることがあるといいます。極めて朝鮮半島と縁の深い地域だといえます。こうしたことから、朝鮮半島から九州に騎馬民族が侵入した、そしてその騎馬民族が奈良へと勢力を広げたという様なイマジネーションも生まれるわけです。
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