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ブンブンアレンとプリン社長のひとりごと
犬と猫と双子とキャンピングカー(仮想クラブ: アレンオーナーズクラブ)・・・・昭和レトロもネ!

書庫−★シリーズ日本橋

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自称、町内一日本橋に詳しい(範囲狭っ!)私が、自信を持って紹介する「絵はがきに見る20世紀の日本橋」と題しレポートにまとめました!
 
明治・大正・昭和初期の近代建築を中心とした絵はがきのコレクターでもある私が、最も多く所有しているのが、この「日本橋界隈」の絵はがきとなります!
 
ただ、絵はがきに写っている写真って、いつ頃撮られたものなのか、当時明記されているのは希です・・・・
 
それならば、写っている建物や風景で、年代を調べよう・・・・って思いついたのが約8年前でしたが、やっと日の目を見させてやることができました!厳密に言うと未完成なんですが、これ以上は他力に任せるとして!
 
これを一度でも目を通して下されば、きっと・・・・たぶん・・・・もしかしたら(弱気)日本橋に興味を持たれるのではと思います!
 
長編となりますので、部屋の明かりをつけて、先にトイレに行ってからお読み下さい・・・・
 
また携帯端末等で見られるか方は、文字が細かく途中気分が悪くなっても、当方への苦情・八つ当たりはご遠慮下さい!
 
なお、個人で調べ上げた内容ですので、ご指摘は常時受付ますので、興味のある方や専門知識の豊富な方は、ご遠慮なくご教授下さいませ!(誤字はうまく読み替えてやりすごして下さいネ!)
 
それでは・・・・
 
 
 
 
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以上「元の日本橋に蘇らせたいけど首都高は便利だしどうしたらいい会」の埼玉本部長のレポートでした!
 
たぶん?最後までお付き合い下さりありがとございました!(大汗)
今回もGWの研修の合間に第19代日本橋について探訪しました!
 
一般的な話は他のブログの方が詳細に記載されておりますので、インターネットでは中々お目にかかれない内容を中心に紹介します!
 
第19代日本橋ができるまでは以前のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/kscatakubi/8618907.htmlを参照して頂き、今回もマニアックな視点から現在の第19代日本橋と照らし合わせ抜粋して紹介致します!
 
現在も国道の「道路元標」となっておりますが、第19代日本橋が架け替えられた時には、シンプルな「道路元標」と市電の架線を固定する「電柱」を兼ねたものでしたが、1920(大正9)年の道路法施行令後、東京市にて道路元標を欄干に合わせた燈柱(とうちゅう:第19代日本橋施工時の正式名称)を模して、路面電車の燈柱も兼ねて建て替えられており、京橋図書館所蔵の1961(昭和36)年頃の第19代日本橋の写真を見ると、「東京市道路元標」とハッキリ読み取れるため、「東京市」のまま使用されていたことがわかります。
 
都電の廃止の1967(昭和42)年後の1972(昭和47)年4月1日に「道路元標」をプレート化し時の総理大臣「佐藤榮作」氏により書かれた文字で第19代日本橋中央に埋め込まれ、燈柱の複製が「道路元標地点」として高速道路間に設置されております。
 
 
 
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そして私が一番気になっていた第19代日本橋の「橋銘板(はしめいばん)」です!
「橋銘板」とは、橋の欄干など両脇に貼り付けられている橋の名前を書いた看板のことですが、現在ではその様な決まりごとがあるか調べきれませんでしたが、国道については「道路元標」に向かって左側(上り車線側)が「ひらがな表記」で、右側(下り車線側)が「漢字表記」と決められておりました。
 
以前ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/kscatakubi/10019625.htmlで紹介し、最近架け替えられた地元の「戸井橋」もこの法則に従い、欄干に貼り付けられておりましたので、恐らく現在でもその様になっているのだと思われます。
 
それでは、日本橋の表記はどうなっているのだろう?
 
 
 
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なるほど・・・・っと言うか、よくよく考えれば、日本橋の真ん中に「道路元標」があるのだから、当たり前と言えば当たり前でしたネ!
 
そして知る人ぞ知る、橋銘板に「日本橋」、「にほんばし」と書かれた文字は、当時東京市長だった、尾崎行雄氏から依頼され、江戸幕府最後の第15代将軍であった「徳川慶喜公爵」にて書かれた文字でした。
 
そしてここからがネット上では中々見られない貴重な、当時の徳川慶喜公爵の写真と実際に書かれた文字となります!・・・・っと言っても明治時代の本の写しですがっ!
 
そして橋の欄干の上にある燈柱の四方に装飾されている東京市の徽章を手にした4頭の「獅子」は奈良県の手向山八幡宮にある狛犬等を参考に、左右欄干中央の燈柱には4頭の「麒麟」作られておりますが、「狛犬」同様向かって左側は口を開け、右側は口を閉じております(意味は同じらしいです)・・・・何故か「麒麟」も同じようになっております?
 
 
 
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そしてこれもまた中々お目にかかれない、妻木頼黄」氏監修の元、彫刻家の「渡辺長男」氏による「獅子」と「麒麟」の原型の写真と、それを元に彫刻家で渡辺の義父の「岡崎雪聲」氏による鋳型および鋳造にて製作中の写真となります。
 
 
 
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普段見慣れている方もいるかと思いますが、こんな感じで掘り下げると違った目線で見ることができます!
 
今回も第19代日本橋のかなりマニアックな部分でしたが、まだまだ第19代日本橋にまつわる話がありますのでいつの日か紹介致します!
こんばんは!
 
ここからは、更にマニアックな世界となりますので、興味がない方は、本当にスルーして下さい!
 
プロ友の 「じのもんたさん」 の 「隧道」 の 「石積みのアーチ構造」 の記事から、私の趣味の中のひとつであります 「近代建築」 で、更にマニアックな 「第19代日本橋」 の「石積み」 についての話となります!
 
「近代建築」 に興味を持ち始めたのは、さかのぼること4歳となります!
 
私は福岡県博多区の出身で、身近に 「旧日本生命九州支店」 の煉瓦造りの建物がありました!
 
製図機器関係の商社に勤めていた父親の書籍の中から、その建物の建築家が 「辰野金吾」 さんと小学2年生の時知り、そこからは本当にはまりました!そしたら 「東京駅(中央停車場)」 や 「萬世橋駅」 や 「新橋駅」 など、色々な作品があることを知りました!
 
今だから言えますが、その時には既に宮城県仙台市に引っ越していて、小学3年生の時に、どうしても 「辰野金吾」さんが設計した 「東京駅」 が見たくなり、お金もないので電車を降りず (ゴメンナサイ) に仙台駅から東京駅までひとりで見にも行きました!(これが私の初めての一人旅となります!)
 
そして時が流れ 「日本橋」 の絵はがきに、必ずと言って登場する 「帝国製麻」 もこの 「辰野金吾」 さんの設計と知り、埼玉に引っ越してきて、「旧帝国製麻」のビルを見に行くため、自転車で「日本橋」に行きましたが、その時は既に、「旧帝国製麻」 のビルは解体後の状態でした・・・・(悲)
 
せっかくここまで来たので、「日本橋」 を眺めていたら、いつの間にか 「日本橋」 の虜になっておりました!
 
長い前置きはこれくらいにして、「第19代日本橋」 が完成するまでの写真を、「日本橋記念誌」 から無断で抜粋して説明していきます!
 
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以上が恐らく貴重な写真となりますが、興味がない方にとっては、「それが?」 って感じの写真となると思いますので、本当にスルーして下さいネ!

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