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アキレスと亀をめぐって
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明日は民主党代表選である。 海江田氏優勢とのこと。 その理由は小沢が海江田氏を支持するからである。 これほどどうでもいい選挙はない。 しかし問題は、この選挙の勝者が次期総理大臣になるということである。 ため息しか出ない。 小沢は政界を去れ。 現在小沢は民主党の党員資格停止処分を受けている。 つまり今の時点で民主党員ではない。 したがって当然今回の代表選の選挙権も有していない。 その小沢の決定に従う小沢グループとは一体何物なのか。 小沢教信者としか言いようがない。 小沢教信者も政界を去れ。 ドングリの背比べではあるが、一応筆者は鹿野氏が一番ましだと思う。 むろん小沢の傀儡にならないという大前提つきだが。 |
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東日本大震災で未曾有の原発事故が起きた。 この原発事故をめぐっては、以下のような議論がある。 今回の原発事故は悲惨なものであるが、いまだ死者はいない。 それに比べて他の現代技術――車、飛行機等――は、年間多くの死者を出している。 而して我々はこれら車や飛行機をなくそうという議論にはならない。 原発事故だけ「脱原発」のような議論になることはおかしい。 原発事故は、(少なくとも死者の観点からは)大したことではない。 以上のようなものである。 筆者は、この議論を初めて聞いたとき、「なるほど」と思った。 そういう考え方もあるのか、と。 しかしこの議論には大きな欠陥がある。 今回の原発事故は放射性物質を放出するものであって、 この放射性物質が人体にもたらす影響が、不明瞭なのである。 この点が上述の他の事故と決定的に異なるのである。 問題はそれだけではない。 放射性物質というものが持つ日本特有の意味を考えねばならない。 それは単純化すれば次のような図式である。 放射性物質(放射線)=放射能=核=原子爆弾 つまり、放射線という言葉は、日本においては広島・長崎のあの惨劇を連想させるものなのである。 それはすなわち、放射線という言葉を聞くと「なんだかこわいもの」という感覚を惹起させる。 このような感覚は、言わば戦後教育の所産であるとも言えるだろう。 このような日本特有の意味を我々は認識せねばならない。 |
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いま話題のこれらのテーマについて、縷々述べてみたいと思う。 国家の威信をかけて完成された中国の高速鉄道。 事故を起こしたあと、衝突した事故車両の先頭車両を穴に埋めるという信じられない行動にでた。 まぁ全世界が見ているなかでよくもそんなことができるもんだと思う。 今日のニュースによると、再び穴から掘り起こしたようであるが。 埋めるべきは車両じゃなくてカンだろうと言いたくなる。 ノルウェーからも衝撃的なニュースが飛び込んできた。 小さな島での銃乱射事件の方が大々的に報じられているが、 その数時間前に政府庁舎へのテロが行われたことも忘れてはならない。 どうやら犯人はイスラム教への強い反感、移民政策への不満があったようである。 ノルウェーという国に抱いていた漠然としたイメージからは程遠い今回の事件。 犯人の青年は、多くの人命を奪うという点で決して起こしてはならない事件を起こした。 しかし誤解を恐れずに言えば、この青年の思いに大いに共感するところがある。 それは、やむにやまれぬ思いでこのテロを起こしたということである。 有り体に言えば、やむにやまれぬ思いであってもテロはやってはいけない。 言論によって、民主主義によって政治を変えるべきある。 しかし推測だが、この青年は、そういった綺麗事では自分の思いを達成し得ないと思った。 そんな悠長なことは言ってられない、と。 そして、自分がやらねばならないという強い使命感があった。 その点において、日本にもこういう人が現れてくれたらいい、と思ってしまう。 とはいえ、こんな悲惨なテロは起こしてはならない。 例えば五・一五事件のように、特定少数でいい。 ノルウェーの政治状況は全く知らないが、おそらく日本より何倍もましだろう。 日本のこの政治の没落ぶりは、民主主義の限界を示すものである。 戦後教育の集大成でもある。 その意味で、たとえ管直人がいなくなっても、政治の没落ぶりはしばらく続くだろう。 およそ民主党などに期待できないことは、政権交代前からわかりきったことであった。 自民党の方がまだましである。 自民党末期の政権(安倍・福田・麻生)が、何か致命的な失政・失策をしただろうか。 民主党になってからのそれは、挙げればきりがない。 この状況で暴動一つ起きない日本は一体何なんだろうか。 それでも民主主義しかないのであれば、民主主義を疑うところから始めなければない。 それが保守という態度である。 |
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土用丑の日に食べれなかったうなぎをようやく昨日食べた。 また次の丑の日たらふく食べよ。 今日は朝生の雑感を書きたいと思います。 原発をテーマに、政治家なしで行われた今回の討論。 朝生はいつもカオスで、田原総一郎の司会がそれを助長するんだけれども、 今回は比較的ましだった。 推進・維持派と、反対派に分かれて行われたが、 圧倒的に推進・維持派に説得力があった。 反対派のなんと苦しいことか。 顔つきからして信用ならない顔ぶれだった。 とりわけ飯田氏と後藤氏は、議論で圧倒的に推進・維持派の石井・奈良林の両氏に負けていた。 左翼的な顔つきをしている飯田氏は、最後の発言が印象的だった。 正確ではないが、「民主主義が機能すれば、原発は消えていく。」といった趣旨のことを述べていた。 これはドイツやとりわけイタリアにおいて国民投票で脱原発が決まったことを指して、 「民主主義が機能」している、と言っているわけである。 なんと乱暴で稚拙で軽薄な主張であることか。 日本でも民主主義は機能している。 その成果がいまの政治のザマである。 政権交代を成し遂げて、「日本で初めて民主主義が機能した」といったたぐいのことを言っていたのは、 左の側の人間ではなかったか。 今日はもう深く立ち入らないが、私は民主主義は嫌いである。 現在の政治の状況、地に堕ちたという言葉では足らない状況が、 民主主義の限界ないし必然的帰結であるとするならば、 民主主義を疑うところから始めなければならないだろう。 そういったことを気付かせるために民主党はわざとやっているのではないか、 というのは私の友人の言であるが(むろん皮肉である)、 たとえそうだとしても、とっくに限度を超えている。 |



