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さて関係のない方々にはどうでもいい記事をガンガン更新する謎の方針のブログ。
ま、私の中でライフラインとして使うことのなくなった「ブログ」は今では「日記」「ネットでの交流」なんていう枠からはとっくに外れ「備忘録」「自己満足」程度としか思わなくなったので友達の方には不快になられるかもしれないのですが自分で決めた(というか成り行き)方針なんで変える気はないです。
私には父がありません。
三歳の時に死んでいるのです。
しかし悲しいことに幼かったために父との記憶はどんどん薄れていきますし、第一に覚えていないということが多いです。
ですが9歳くらいのころに父の仏壇がある部屋に親から「コーヒーを持ってってやってくれ」と言われたので座敷の扉を開き仏壇に置いた後、私は泣きました。
「そこでお父さんが座ってて名前を呼んでくれた気がした。お父さんは生きていればそこにいたのに」と。
急に小さかったころの記憶がフラッシュバックしたのかよくわかりませんでしたが、あの日は不思議とそんな感覚がしました。
さて前置きがだいぶ長くなりましたが「死」というもの
この表現は一重に「人の死去」という意味では捉えなくなった私
去年の今頃は思いもしませんでしたが、「中学校卒業」から「高校入学」の間に自分の心は完全に「死にました」
昔から見てたアニメやドラマ。主人公やそれを取り囲む人
その中に一人はいる「高校生」
遠い存在であり、憧れであり、恐れの対象でもありました
が、色々な思想を考えるうちにいつか自分がそれになる番
求めていた訳ではないですがなるというなら心身の準備が必要
中学校の仲間はいなくとも自分で頑張るという心
しかしそれはすべてかき消され理想の色のない白い飽和した現実でした
例えば無性にイライラしてて人を殺したとします
一時はいいかもしれませんが後に待っているのは「虚しさ」のみです
例えば嫌いな授業の先生が体調を崩し授業が自習になったとします
初めは良いかもしれませんが後に残っているのは「飽和した空間」「無秩序の守られる時間」でしょう
人によりますが環境の変化のもたらすものはすごいということです
特に私はこの中学卒業から高校入学間で周りに、近くにいた人がどんどん死んでいった感覚です
無論、比喩的表現にすぎません
長いところで言えば13年近く
短くとも3年は同じ学び舎、義務の場を共にすごしました
その仲間が急にふと消えてしまう
その声が聞こえなくなる
そのぬくもりが冷めていく
その記憶も薄れていく
視 嗅 聴 触
感じられない
そこにいない
あの子は私の中から死んじゃったの?
だから久しく会う仲間は「死人がよみがえる」ようで怖くてたまらない
そしてまた・・・
今日も死人が増えていった・・・
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