武田家の一族

日常をなんとなく綴ってまいります!

史跡探訪

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高遠史跡めぐり

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長野県の高遠へ行って来ました。まず高遠城址(写真1本丸跡)へここは諏訪一族の高遠頼継が治めていた城でその後信玄公が高遠氏との戦で奪取し上伊那支配の拠点とし又遠江と信濃と甲斐の交通路を押さえるための城として山本勘助に改修させ(写真2勘助曲輪)勝頼公が城主を務め信玄公の五男、仁科五郎盛信公(写真3)が武田家最後の城主になった城です。その後近くの高遠町歴史博物館に立寄り絵島生島事件の絵島囲み屋敷(写真4)を見学し、建福寺にて勝頼公の母君、諏訪御料人の墓所(写真5.6)でお参りをし、五郎山にて仁科五郎盛信公の祠(写真7.8)にもお参りしてまいりました。

岩村城址と信玄塚

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昨日、岩村城址(写真1〜3)と信玄塚(写真4)に行って来ました。岩村城は別名を霧ヶ城といい、天然地形を利用した要害堅固な山城で海抜717メートルに位置し日本三大山城の一つと案内板に書かれていました。またこの城は遠山氏が治めて居ましたが織田信長の叔母が女城主の頃、武田家家臣秋山信友が攻め落とし入城と再び織田方に奪還されるまでの一時武田家の城であった所です。現在も地元では女城主の城として町興しに一役かっています。その後山を越えて売木村の温泉に立寄り根羽村の信玄塚にお参りして来ました。
夕方にも拘らず何組もの方が見学に来られていました。余談ですがこの近くには信玄民宿という宿があるので機会があったら泊まってみようと思いました。
信玄塚の案内板には信玄公が野田城攻めの後鳳来寺にて肺肝の療養をしていたが病状回復せず甲斐国へ引き返す途中元亀四年四月十二日根羽の上村において他界その折軍旗を横にしたのでこの地を横旗というと記されていました。

武節城址と長岳寺

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昨日、愛知県内にある武節城(武田勝頼公が長篠合戦後敗走する際に立寄り一夜の宿した。)城跡を見学その後少し足をのばし長野県下伊那郡にある長岳寺(信玄公が野田城攻めの最中に病が重くなり三河からの帰途、元亀四年4月12日信州伊那の駒場山中で落命長岳寺裏山にて火葬)を参拝、拝観(境内には信玄公灰塚供養等、馬場美濃守供養五輪塔などあり)、このお寺のご住職は旧温会の参与をされているとのことで、旧温会会員としてご挨拶させて頂きました。ご住職の法話を伺い、ご住職の案内で宝物殿での展示物(信玄公着用兜の前立て等)の解説を受けました。ご住職の法話などとても心に染入るものがありましたのでお近くに行かれた際は参拝、拝観をお勧めいたします。

昨年の武田史跡めぐり

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昨年は、多くの武田史跡めぐりを致しました。今回はその一部をご紹介したいと思います。まずは甲府の要害山、その麓にある信玄公誕生の地とされる積翠寺、勝頼公が最後に築城した新府城址、甲斐武田発祥の地武田八幡宮、願成時では武田家家臣招魂の碑なるものを発見、写真の整理をしていて気が付いたのですがこの碑には旧温会会長の文字が・・・不思議なご縁を感じてしまいました。それから川中島八幡原公園、典厩寺、海津城址(後の松代城)、諏訪では赤彦記念館で諏訪法性兜を拝見し、ありきたりですが諏訪大社と内容盛りだくさんでした。また写真撮影は許可されていませんでしたが昨年限定で山本勘助の墓が公開されていましたので参拝させて頂きました。今年の分は近日中にUP致したいと思います。

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