武田家の一族

日常をなんとなく綴ってまいります!

断腸亭日乗

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来週は甲斐国へ

来週3月10日の日曜日に甲斐国府中にて用向きがあり前日の9日から甲斐国へ上がります。
昨年は当日の早朝に出かけたのですが用件に遅参し食事をして帰宅するだけという失態をしてしまったので・・・
でも・・・・今年は・・・・いろいろご説明しなければ・・・・今年初めての甲斐上洛ですが・・・早く騒動が沈静化してくれないかな(´Д` )
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疲れました〜

よくこのブログを見ていただいてる方は多分何を言っているかわかると思いますが・・・
昨日の朝から現在までいろいろな対応に追われてました・・・・
私が管理しているあるブログの訪問者数がこの2日間だけで24万超えになり自宅に転送されたメールが100通近く
取材申し込みがテレビ局、写真週刊誌、など5社ありましたがやっと終息に向かっております。
ネット社会の恐ろしさを実感いたしました。(´Д` )
 
昨年12月から戦ってまいましたが完敗(´Д` )
やはり大画面の誘惑に負けてipad miniを購入
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これで暫くは物欲との戦いは無くなると思っていたんですが・・・
 
今度はこれが・・・
        ↓
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トライクという乗り物で扱いは側車付き自動二輪らしいです
私が愛馬(愛車)にしたいのは200cc〜250ccで
普通免許で乗れてヘルメットの着用義務が無いもので
最高速度は80キロ〜100キロ程度の三輪車です。
これなら用途が広がるとは考えてはいるのですが・・・
販売店に聞くとかなり不安定な乗り物で転倒し易いとの事
暴れ馬のごときものとのこと・・・悩む・・・

法螺貝購入(*゚▽゚*)

前々から法螺貝吹けたらな〜って思ってはいたのですが、如何せん楽器というものが子供の頃から大の苦手・・・・でも・・・吹いてみたい・・・
ネットで購入することも出来るようですがそれだと音が出にくいとか
いろいろ不都合があると法螺貝師の友人に伺っていたので、その友人にお願いして法螺貝の取扱店まで付き合ってもらって吹き易い初心者向け??の物を選んでもらいました。(^O^)法螺貝師のガンちゃんどうもありがとうございました。m(_ _)m
(ちなみに網は加工が必要とのことで後日郵送していただけるとのこと)
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でも・・・・どこで練習しょう(´Д` )
 
ディスカバージャパンの「武士道」はわかりやすく武士道について解説されています。その中に武士道は幼児教育からとの記述があり、今年の大河ドラマ「八重の桜」の舞台である会津藩の「什の掟」(什とは会津藩士の子どもの小共同体)が紹介されていました。
 
会津藩「什の掟」
1.年長者のいうことにそむいてはなりませぬ。
2.年長者にはお辞儀をしなくてはなりませぬ。
3.虚言をいってはなりませぬ。
4.卑怯なふるまいをしてはなりませぬ。
5.弱い者をいじめてはなりませぬ。
6.戸外で物を食べてはなりませぬ。
7.戸外で女の人と言葉を交わしてはなりませぬ。
8.ならぬことはならぬものです。
 
現代人に少なくなったものがこの「什の掟」には詰まっている。
私の子どもの頃は家庭や学校でも教えていたと思うのですが・・・
自由、尊重、個性などの言葉に隠されて大切なものを失ってしまっているでは思いました。
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さて話は変わりますが、ある方から
会津若松は武田家臣子孫と関係が深いです。とお知らせ頂きました。

NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公の会津藩士の娘の山本八重は、
山本勘助の子孫になります。
「山本家の遠祖は甲州武田信玄に仕えた山本勘助である。系譜をたどれば会津藩祖保科正之につかえた武田家ゆかりの山本道珍なる人物にゆきあたるが、道珍の祖先が山本勘助だというのである。
保科政之は徳川二代将軍秀忠の第四子だったが、信州高遠の藩祖保科正光の養子にむかえられ、寛永八年(一六三一)信州高遠藩三万石を相続、五年後に出羽最上藩に移封となり、さらに寛永二〇年(一六四三)会津藩二三万石の藩主となり、会津松平家の藩祖になった。
道珍は保科正之が信州高遠藩主だったころ、遠州流の茶師として江戸で召し抱えられている。
八重の山本家は道珍の次男の系列にあるのだが、いずれにしても先祖は藩祖保科正之の移封にともなって高遠から出羽最上へ、そして会津へとやってきたのである。」

戊辰戦争で会津若松城を攻めた板垣退助は甲斐武田家臣板垣方の子孫です。
乾氏(板垣氏) 乾家の初代加兵衛正信は、甲斐の武田晴信(信玄)に仕えた
部将板垣信方の孫である。正信の父板垣信憲がゆえあって改易されたのちに誅された事件があった為、籠居して乾氏に名を改めた。正信は長じて小田原征伐に陣借りして奮戦しその功によって山内一豊が遠江国掛川に封ぜられた天正18年に召抱えられた(掛川衆)。
江戸時代代々土佐藩士で、家格は馬廻役(上士)。家紋は、「榧之内十文字」
(戦国時代末期〜明治時代中期)、「土佐桐」(明治中期以降)を用いた。」

鶴ヶ城(会津若松城)の築城には、甲斐武田家臣とされる曽根内匠が関わっています。
「蒲生氏郷が文禄元年(1592)に家臣の曽根内匠らに命じ、甲州流の縄張を用いて郭を築き、天守閣・櫓を建て、馬出などを作った。竣工は文禄2年(1594)のこと。なお、このときに建てられた天守閣は、現在の白亜5層の天守ではなく、
秀吉が建てた大阪城と同じような黒い7層の天守であった。
近年の発掘調査で蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)
宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土している。」
 
歴史って面白いですね!

 
 
 
 

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