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あれから、全て無かったかのように過ごしてはいても時より思い出して夜になると
フッと思い出しては、泣いてしまう事があった。
アパート住まいだった享子家族は、6畳に3枚の布団を敷いて親子4人が寝ていた
が隣で寝ている母親が享子が泣いているのを知ってか知らづか慰められた事は無
かったのでした。
小学生から
そんな日々の中初めて、心を許せる人が出来た小学校1年生の担任の先生であ
った八木先生だった。
優しく見守っていてくれ母親のような安らぎもいだいていたが、2年になると事は一変
してしまうことになったのです。
2年生の担任の先生は、柏崎先生だったが享子が必死に宿題をして行ってもなぜ
か毎々全問バツになってしまい日に日に前日の分と合わさり宿題の量が増えて行っ
たのだが、幾らして行っても丸を貰える事がなく宿題を見てくれた母にも叱られ学校
に行っても担任の先生に叱られるようになって行った。
ある日、担任の先生に享子は聞いたのでした。
「どこが悪くてバツになるの?」
担任の柏崎先生が「縦に問題はするもの!横にやるからでしょう!!」
冷たい視線とともにこう言い放って、教室をさって行ってしまった。
家に帰った享子は、そのことを母に話すと母は、「私は、小学校もちゃんと出てない
から分からなかったし、あんたが初めからちゃんと聞かないからでしょう!!」
そう、享子の母は戦後の中学校に行けずにち小さなころから他人の家の下働きとし
て働いていたのでした。
今では、信じられない事でしょうしかし、そのころはそうした子供たちが沢山いたので
した。
そんな事を言われても小学2年生の子供には、言われたことの意味を理解出来る
はずもなく母からの言葉と先生からの言葉だけで悲しい思いで支配されているだけ
にすぎなかった。
そんな2年生夏休み前に担任の先生が産休に入ると聞いた赤ちゃんが生まれるの
だと聞いたが、享子にとって願ってもない事でした。
少なくともあの先生と会わなくて良いのだ!
家でだけ我慢したらいい!と思うのでした。
しかし、そんな時は短くまた柏崎先生が帰って来ることをこの時は知らなかった。
夏休みも終わり秋が終わりを遂げた時またしてもあの顔が教室に帰ってきたのだ
毎日が苦痛でたまらなかった。
家では、母の目線を気にし学校では担任の目線を気にして、全てが自分が悪いから
だと思って過ごす事でしか居場所が無くなってしまっていたのだった。
家では、母の「なんで出来ないの!!」
学校では担任の「なんで〜!?出来ないかなぁ〜!?」
の繰り返しで、享子は自分は、出来ない子・・・いちゃいけない子と思う事で今ある
状況から逃れたいと・・・
だんだん大人だけでなく同じ同級生にさえ心を開く事を拒み始めていたが
幾ら夜泣いていても気づかれてはいけないから泣き声を出さずに涙だけ流す事を
覚えるようになり、幾ら枕が染みになっていても何も聞かれる事がないから心の
シャッターを下ろしてしまうのでした。
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