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今年も8月6日(月)に風の子学園跡地の残る三原市小佐木島(現在島民7名)に追悼に行ってきました。 今年の参加者は私も含めて3人。
高速船から見ると島にも西日本豪雨の爪痕が・・・
島に到着して高速船から下りると
今年も区長の奥さんが出迎えてくださいました。
「暑い中ごくろうさまです。」
しばしの立ち話
![]() 「今年もお世話になります。断水大変でしたね。」
「断水解消しても3日間くらいは白い水が出てね。。。」
(西日本豪雨の影響で島では断水が続き,その間,市の職員の方が水を運んでくださったそうです)
・・・
「島にもカフェができるんよ。今度遊びに来んさいや」
・・・
区長さんにもあいさつを済ませ,跡地に歩いて向かいます。
跡地に向かう道すがら豪雨の爪痕が・・・
今年はとにかく暑い
![]() ![]() ![]() 蝉の鳴き声も異常に響きます
![]() ![]() ![]() 2人が亡くなったコンテナを前に,黙祷の後,献花をして静かに手をあわせました。
例年,高速船の待合所に戻ると
島の方々がおのおの出てきてあいさつを交わしたり,会話を楽しむのですが,
今年は異常な暑さのせいか,誰も家から出てこられる様子もなく,静かなひとときでした。
今年も追悼に行くことができたことに感謝です。
ありがとうございました
![]() ※「風の子学園事件」とは
1991年7月29日,三原市の小佐木島の「風の子学園」において, 園長の坂井幸夫により, 当時14歳の少年と16歳の少女が,喫煙の戒めとして, 学園内のコンテナの中に手錠でつながれて,44時間監禁状態にされたために 脱水状態に陥り,亡くなった事件である。 当時,不登校の子どもたちは,治療矯正の対象としてとらえられ, 学校不適応として差別されていた。 ありがとうございます ![]() |
雑感
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今年も7月25日(火)に風の子学園跡地の残る三原市小佐木島(現在島民7名)に追悼に行ってきました。
島に到着して高速船から下りると
区長の奥さんが出迎えてくださいました。
「あら。。。2人???」
だんだん人数も減り,今年の参加者は私も含めて2人だったのです。。。
区長さんにもあいさつを済ませ,跡地にゆっくり歩いて向かいます。
暑い
・・・蝉の声が耳に鳴り響きます。2人が亡くなったコンテナを前に,黙祷の後,献花をして静かに手をあわせました。
高速船の待合所に戻ると
島に帰省されていたおばあさんと区長の奥さんも加わって
島の話,当時の風の子学園の話になりました。
「あのおっさん(坂井元園長)ええ人じゃ思うたがのう」
・・・
「ときどき生徒が園から抜け出して泣きながら訪ねてきたことがあったんよ」
・・・
「そこの桟橋の柱に抱きついて帰りたいゆうて泣きょうた子もおったんよ」
・・・
生々しくも貴重な話をいろいろと聞かせていただきました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
三原港行きの高速船が到着
「もうそろそろいんじゃない」
と追悼もそろそろ止めてもいいのではないかと言われてた奥さんが
別れ際に
「また来年もいらっしゃいね」
そんな区長の奥さんのふとした言葉にジーンときました。。。
ありがとうございました
![]() また来年も参ります!!
※「風の子学園事件」とは
1991年7月29日,三原市の小佐木島の「風の子学園」において, 園長の坂井幸夫により, 当時14歳の少年と16歳の少女が,喫煙の戒めとして, 学園内のコンテナの中に手錠でつながれて,44時間監禁状態にされたために 脱水状態に陥り,亡くなった事件である。 当時,不登校の子どもたちは,治療矯正の対象としてとらえられ, 学校不適応として差別されていた。 ありがとうございます ![]() |
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8月1日(月)に追悼集会をするため学園跡地のある三原市の小佐木島(現在島民8人)に高速船で向かいました。
参加者は私を含めて5人。
今年は毎日新聞広島支局の記者も取材のために同行しました。
島に到着するといつものように区長さんと奥様に挨拶。
やはりいつものように「ご苦労様です。その子らも喜んどるよ。」
と笑顔で迎えてくださいました。
いつものようにホッとする瞬間です。
取材を受けながら歩くこと約10分・・・いつもの光景が広がります。
2人が亡くなったコンテナを前にすると
草刈りを済ませ
全員で黙とう・・・
一人一人花と線香を手向けて祈りをささげました。
やはりいつものようにホッとする瞬間です。
その後・・・ゆっくりと港に戻ると
小佐木島再生を手掛けるNPO法人の方とお話をさせていただくことができました。
週末には子どもたちを集めて漁業体験等を企画しているらしく
暑い中準備をすすめていらっしゃいました。
学園跡地については
ゆくゆくコンテナを撤去し供養塔を建てる考えのあることを聞きました。。。
非日常であった事件がいつのまにか日常化していたことを改めて感じました。
また非日常になり風化してしまうのか。。。
複雑な想いを抱きながら島を後にしました。
今年も区長さんの奥様がいつものように笑顔で見送ってくださいました。。。
※「風の子学園事件」とは
1991年7月29日,三原市の小佐木島の「風の子学園」において, 園長の坂井幸夫により, 当時14歳の少年と16歳の少女が,喫煙の戒めとして, 学園内のコンテナの中に手錠でつながれて,44時間監禁状態にされたために 脱水状態に陥り,亡くなった事件である。 当時,不登校の子どもたちは,治療矯正の対象としてとらえられ, 学校不適応として差別されていた。 ありがとうございます ![]() |

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8月6日8時15分・・・仕事に向かう車中
平和式典の中継ラジオから『黙祷』の鐘の音が鳴り響いた
運転中で黙祷はできなかったが
1分間心の中で鎮魂の祈りを捧げた
・・・・・・・・・・・
70年前の1945年8月6日
祖父は当時警察官
翌日7日に広島入り
原爆が投下された惨劇を目の前に職務に当たったと聞いた
若くして白血病(?)で亡くなったが
被爆によるものとの特定はなかったという
そんな方も数多く存在されたのではないだろうか
祖父が生きていたなら話を聞いてみたかった
そんな想いが沸々と沸き上がる
・・・・・・・・・・・
広島市長のあいさつ
子ども代表のあいさつ
それに比べて安倍総理のあいさつの何と中身のないことか
非核三原則の言及もなく坦々と言葉を積み重ねただけの心ないあいさつに思えた
被爆国の立場からの具体的な想いや施策が伝わってこなかったのだ
これも風化なのだろうか。。。
安保関連法案によって『戦争』という言葉が身近に感じられるようになった昨今
法案が成立すれば
正当化された他国の戦争にどう加担していくのだろうか?
危うい舵をどう切るのだろうか?
そんな法案を私たちはどう受け止めるべきなのだろうか?
『戦争』=『大量殺人』であることを決して忘れてはいけない!!
心の風化が言葉の風化をも生んでゆく。。。
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7月27日(月)に
毎年恒例となっている風の子学園事件跡地での追悼集会を行うため
三原港から朝10時40分発の高速船で小佐木島に向かった。 小佐木島は三原港から約5kmのところに浮かぶ島民7人の小さな島。
参加者は私を含め4名。またこの地に来ることができた。
島の区長さんにあいさつに行くと,「ごくろうさまです」と今年も笑顔で迎えてくださった。
港から約10分歩くと高台から学園跡地が見えてくる。
あれから24年・・・年々風化も進んでいく。。。
そしていまだ現存する2人が亡くなったコンテナ前に到着した。
コンテナの周囲の草刈りをしようとすると,
スズメバチの羽根の音が響き始めたので,
花と線香をコンテナの前に手向けることは断念し, 跡地脇の道路からコンテナに向けた黙祷のみとした。 今年は島にとって大きな転機の年となった。
三原市と公益財団法人ポエック里海財団の共催によって
小佐木島を舞台に絵画等の特別展示会が3月28日〜5月5日に開催されたのだ。
日本画家『千住 博』氏が小佐木島をイメージして描いた作品『タイドウォーター』や,
小佐木島の古民家を改修した『ビオハウス』(柳 幸典・八木 健太郎設計)などを中心に,
島特有の自然環境と一体となった作品の展示が行われた。
期間中,初日には約200人,トータルで約2000人の方々が島を訪れたそうだ。
このイベントによって島の景色は明らかに変わった。。。
変化は風化を進めるのか
変化は風化を止めるのか
風化できないものがある
風化させてはいけないものがある
記憶の風化はそこにない また来年もその場に立ちたい。。。
※「風の子学園事件」とは
1991年7月29日,三原市の小佐木島の「風の子学園」において, 園長の坂井幸夫により, 当時14歳の少年と16歳の少女が,喫煙の戒めとして, 学園内のコンテナの中に手錠でつながれて,44時間監禁状態にされたために 脱水状態に陥り,亡くなった事件である。 当時,不登校の子どもたちは,治療矯正の対象としてとらえられ, 学校不適応として差別されていた。 ありがとうございます
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・・・蝉の声が耳に鳴り響きます。


