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山に籠って
新渡戸稲造と「武士道」について
学んでいる。
日本の魂には「武士道」の精神が
根底に存在しているといわれることがある。
しかし、俄かには信じがたい。
では、
「武士道の精神」とはなんだろう?
「武士道の精神」とは・・・
名誉をすべてに優先させることであるという。
では、
「名誉」とは何だろう?
武士道の言う「名誉」とは、
主君への忠誠をすべてに優先させることだという。
戦いで敵将の首を取るより、
主君の前で討ち死にすることの方が名誉だという。
では、
「武士」とは何だろう?
高貴な掟に従う戦士だという。
では、
「高貴な掟」とは何だろう?
①もっとも重要な掟は「忠義」である・・・・・。
②刀を一度抜いたら、相手を切らねばならない・。
③切ることができなければ、お家断絶である・・。
④切ったら責任をとって切腹しなければならない。
⑤切腹は正しい作法に従って行わなければならぬ。
⑥武士の名誉は切腹によって保つことができる・。
では、
「忠」とはなにか?
主君への「忠誠」である。
では、
「忠誠」は何によってささえられるか?
「義」と「礼」である。
では「義」とは何か?
「義」とは卑怯な行動を憎む心である。
では「義」は何によって支えられるのか?
「勇」と「智」と「仁」である。
「勇」とは勇猛果敢さ、
「智」とは知恵、
そして「仁」とは思いやりである。
つまり、
忠義を守る徳目の構造に従うことが
「武士道」の精神であるといえる。
そこで、
最初の疑問にもどる。
そのような武士道の精神が日本人の根底に存在するか?
・・・・ない!
・・・・かな。
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100分de名著・他
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詳細
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「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ
それは・・・
人としてもっとも難しいことだ。
先日、
プロ野球の監督をながく勤められた
星野仙一さんが亡くなられたのは
周知のニュースだ。
彼の人生は一言で言って「怒りの人生」だった。
星の監督が生前に残した名言の一つに
「やさしさは百害あって一利なし」
というのがある。
人は叱られなければ
本来やるべきことをしない
弱い存在だというのだ。
この考え方の基礎を築いたのは
明治大学野球部の名監督とうたわれる
島岡吉郎氏だ。
明治大学をリーグ通算15回優勝に導いた名監督だが
野球経験は小学校までで、
明大在学中は応援団長だった。
島岡イコール熱血指導イコール体罰
として有名な監督で、
多くの教え子をプロ野球に輩出している。
しかし、そんな名選手たちの中で
島岡監督に殴られたことのないのは
ジャイアンツの高田繁氏と
ドラゴンズの星野仙一氏だけだったという。
島岡監督はその理由を
高田は完璧な優等生であり、
星野は理屈で文句を言ってきそうなので
殴らなかったと明かしている。
星野氏は島岡監督から殴られることはなかったが、
島岡監督の熱血指導こそ野球の監督にとって、
最も必要な資質だと悟ったのだろう。
話をアルボムッレ・スマナサーラ氏の
「怒らないこと」にもどそう。
氏が言うには
「怒りは気づかないうちに体を壊す」
のだそうだ。
つまり毒が細胞から体内に向けて発せられる。
ヒンドゥー教によると
その毒は「火」のように体を焼き尽くしていくのだ。
まず先に内臓がやられる。
特に心臓やすい臓や胃が知らず知らずの内に
ダメージを受け、老化が早まり
やがて癌になるというのだ。
アルボムッレ氏の予言通り
星野氏の死因はすい臓癌だった。
恩師島岡監督もすい臓と腎臓がやられたはずだ。
アルボムッレ氏は続けて言う。
「怒る人は幸せの大泥棒」だと。
怒ることによって自分が不幸になるだけなら
自業自得ですまされるが、
怒る人は周りに向かって「毒」を吐き出し、
周りの人の幸福まで奪ったり、
病気にさせたりする。
星野氏の奥さんが
悪性リンパ腫で星野氏より先にこの世を去ったのは
アルボムッレ氏の予言に関係あるのかもしれない。
というわけで、
私はなるべく「怒らない」人生を歩むことにする。
自分だけならいいのだが、
周りを不幸にしたり病気にするというところが
目から鱗だったからだ。
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私は、人間のあらゆる不幸は
たったひとつのことから来ている
という事実を発見してしまった。
人間は部屋の中にじっとしたままでは
いられないということだ。
人はじっとしたまま
自分について考えるとき不幸になる。
なぜなら人間は弱く、
死を運命づけられているからだ。
(パンセ断章139)
年をとると、
たったひとつ不安なことは
体が自分で動かせなくなって、
旅に出かけたり趣味に没頭できなくなることだ。
そのときだけは
自分の運命から遠ざかることができる
大切な時間が奪われることだ。
パスカルの言うとおり
部屋でじっとしていたら
考えるのは自分の死のことだけかもしれない。
生きているのが辛くなるだろう。
さらに自分のことすら認識できくなったときのことなんて
考えたくもないが、
必ずそのときはやってくる。
人間にはやはり信仰心が
必要なのかもしれない。
体がまったく動かなくて
天井を見つめただけの人生でも、
感謝の日々を送っている人々は
間違いなく信仰心に支えられているのだろう。
そう思えないパスカルは
やはり無神論者と言わざるを得ない。
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今朝は、
ラッセル、ヒルティーと並んで
世界3大幸福論と称されるアランの「幸福論」について、
NHKの番組を要約しながら、
お話させていただきます。
以下はNHK教育テレビより
アランは人の幸福を妨げている最大の要因は
「情念」であると言っています。
その「情念」を克服することが、
人が幸福を得るチャンスとなるのです。
では、「情念」とはいったい何なのでしょう?
アランの尊敬するスピノザは、
数多い人間の「情念」を集約していくと、
「喜び」と「欲望」と「悲しみ」の
3つの感情に分類できると言います。
アランはこれらの「情念」は、
人間にとって切り捨てられぬことが厄介だと考えます。
なぜならこれらの3つの情念は、
必ずしも対象が目の前にある必要がないからです。
つまり自分にとって理解不能で、
自分の自由にならないという点で厄介なのです。
例えば「恐怖」「嫉妬」「憎悪」といった情念も、
自分の意のままにはできず、
勝手に膨らんでしまうという性質を持っています。
では、これらの「情念」に打ち勝つには、
いったいどうすればいいのでしょうか?
アランは言います。
「情念」とは「やぶだらけの荒野」であり、
そこを自らの「意志」という力で耕す必要がある。
つまり、「意志」と「努力」と「行動」によって
「情念」と闘い続けることによって、
「幸福」という「実り」を収穫できる。
結局のところアランは我々に、
「何かを成し遂げたいという強い意志をもって行動し、
行動の中に生まれてくる困難に立ち向かい続けること、
それ自体を幸福という。」
そう言っておられるのではないでしょうか。
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今、村上和雄氏の
「人は何のために祈るのか?」を読んでいます。
にわかには信じがたいことですが、
「祈りにはすごい力が秘められているp18」のだそうです。
とても筑波大学の名誉教授のお言葉とは思えませんが、
「祈り」が眠っていた好ましい遺伝子の
スイッチをONにするといわれると、
あながち信じないわけにはいかなくなってきました。
われわれが「祈り」という言葉を使うと、
宗教的行為の専売特許みたいに思ってしまいますが、
宗教と関係なく科学的実験を積み重ねた
結果にもとづく事実のようです。
もし疑いもなく真剣に祈れるとしたら、
それはその人の持つ願いが、
純粋で真剣である証拠となります。
その思いや願いの強さがが、
その人の目的や願いを実現するための
エネルギーとなることは誰にも察しはつきますが、
それに加えて、
好ましい遺伝子のスイッチがONになって、
その人のねむっていた能力が活動を開始したとしたら、
願いは「祈り」によって益々現実味を帯びてきます。
「祈り」が通じたということは
そういうことを指すのかもしれませんね。
よく、一流のスポーツ選手が試合の前や後に、
「祈り」をささげている姿をテレビで目にします。
そういう選手はたいてい本番に強く、
火事場の馬鹿力を出して勝ってしまうことがあります。
でも、
日本人で試合前に祈る人はほとんどいません。
だから本番に弱い。
能力があるにもかかわらず、
大試合で力を発揮せずに負けてしまう選手を
われわれは幾度となく見てきました。
もしかしたら日本人は人前で「祈る」という行為を
心の底で馬鹿にしているのかもしれません。
神様の力を借りて勝とうとしている弱い人間に
見られるのを恐れているのかもしれません。
この本には、
どのように「祈る」べきかが書かれています。
興味のある方はぜひ読んでみるといいでしょう。
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