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Yちゃんご一家 2019.8.11
隠れ家にカワイイお客様のYちゃんが
お父さんとお母さんを連れて
愛知県からやって来ました。
3年前、偶然わたしの隠れ家にやってきて
仲良しになったお友達(当時7歳)です。
お父さんとお母さんが
夕食の買い出しに行っている間に、
Yちゃんとビーズでトンボのお守りを作ったり、
木のペンダントを作ったりして
楽しく遊びました。
そのあと、
みんなでカレーを作って食べました。
あ、そうそう!
お母さんの作ってくださったサラダ
抜群に美味しかったです。
それからお父さんが持ってきてくれた
純米大吟醸の生酒や濁酒も
サイコウに美味しかったです。
次の日、Yちゃんと
来年も絶対キャンプをしようと指切りをしました。
Yちゃん、また来るんだよ!
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グランピング
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月末にカワイイお客様がやってくる。
その準備のために・・
久しぶりに・・・?
・・でもないが
隠れ家へやって来ると、
昨日の雪のためにふたたび
辺り一面銀世界となっていた。
通路の雪かきをしていて感じるのは
「春の雪だな!」ということである。
つまり・・重いのだ。
今まで降った雪は、
サッと雪かきで払うだけで
ふわふわと舞うように片付けることができたが、
雪かきに伝わる重さときたら
半端ではなかった。
深さ⒑㎝程度なのに
持ちあがらない。
雪と言うより
水を持ちあげている感覚だ。
こういう雪は
本当はほったらかしておけば
1日で溶けてしまうのだろうが、
気になると片付けずにはいられない。
それからテントの中も整理してみた。
カワイイお客様には
ここでグランピングを楽しんでいただく。
グランピングとは
グラマラスキャンピングの略で、
大型テント内に本格的家具や電化製品を持ち込んで
豪華に不便ないキャンプをおこなうことで、
私が長い間実践してきた
「不便さを楽しむキャンプ」とは
明らかに方向が異なるが、
ここ数年、
グランピングという言葉が流行する
ちょっと前から実践していた。
永年実践してきた
野宿や野営というスタイルから
卒業したとは言わないが・・
進級あるいは留学している?
といった感じだ。
でも、いったん自転車やMC旅に出れば
やはりスタイルは野宿が主体となる。
不便さが旅を100倍楽しくするからだ。
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富岡八幡宮公式サイトから転用
昨夜は除雪車の音を聞きながら
テントの中での読書キャンプになりました。
先週にひき続いて
松原泰道全集から
「法華経のこころ」です。
1章 火宅の喩(たとえ)
p53
エゴイズムの信仰はまわりに迷惑である
自分のことだけに夢中になっている間に、
刻々と老・病・死の黒煙が身に迫っている事実を、
「火宅の喩(たとえ)」は教えます。
みんなの幸せを願う「思いやり」の広場に来たまえ!
と、この喩は呼んでいるのです。
エゴイズムの信仰とは、
八幡さまで、あれが欲しいこれが欲しいと
願うような身勝手な信仰です。
そう言えば、
昨日のニュースで富岡八幡の宮司が
元宮司に日本刀で殺害されるという事件が報道されました。
お参りで身勝手な願い事をする人もいれば、
神のつかいである宮司もまた、
身勝手な欲望のかたまりでした。
祈りの効果には、
科学的根拠がありますが、
太古の賢人はこれをみんなのために活かそうと
神道をつくりました。
しかし、神聖な心をもつ人が
この世を去ると
利権のみが残され、
果てしない権力闘争が繰り返されます。
どの宗教もそういう道を歩んでいるようです。
もしも・・・
聖職者たちが汚れ歪んでいるならば、
祈る側の我々が崇高であらねばなりません。
自分以外の誰かのために、
あるいは世の中のために、
ひたすら祈ることにしましょう。
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土曜日の朝は、
テントの中で3時に目が覚めました。
無性にお腹がすいたので、
鴨南蛮蕎麦を温めて食べ、
クラッシック全集の中から
「オーボエ・コンチェルト集」を選んで、
BOSEのスピーカーにつないで聴きました。
オーボエはめったに聴きませんが、
静かなホールに
美しい音色を奏でてくれました。
松原泰道全集を読みながら、
「嗚呼!いいなあ!」と、
心の底から感じました。
以下は、松原泰道「法華経のこころ」より
私は、現代の焼け野原の心に豊かな人間性が、
少しでも早く芽生えるようにと祈願しておりますが、
そのためには、物事を非合理的に深く認識する学習を、
少しでも積む必要性を感じます。
法華経の内容は多義に渡っておりますが、
その教えを一言で言い尽くそうするならば、
「すべてに仏性は宿る」ということです。
法華経は今も昔も、
それを読んだ多くの秀才たちが失望したと言われる書物です。
臨済宗の中興の祖といわれる白隠禅師ですら、
16歳でこれを読んだとき、
いたく失望したと語ってます。
しかし彼が42歳の時、
法華経を読み解く役割を与えられ、
仕方無く読み進めているとき、
彼の耳に、石段の上でコオロギが鳴いているのが聞こえてきました。
それを聞いて白隠は、
初めて法華経の真意を悟ったといいます。
このとき白隠は涙を流しながら
コオロギの
鳴き声に聞き入っていたといいます。
同様のことが日蓮宗の開祖日蓮にも起こったとされています。
二人の流した涙は、
感傷の涙ではなく、
それまで見えなかった本質をみることができた
喜びの涙だったのです。
二人は法華経という「非合理性」の中から
多くの真理を学んだといえるでしょう。
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