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今朝読んだのは日経おとなのOFF №170だ。
P56 荘子編
「やむを得ず」することが最も尊い。
禅の教えは古代中国の老子・荘子の影響を
大きく受けたといわれています。
老荘の思想と西洋哲学との違いは何でしょう?
一番の違いは自然観でしょう。
人為を加えず、自然の変化に従う
「無為自然」を生き方の理想としたのが老荘思想。
これに対して、
人間の意志や人為を肯定して
人間は進歩していく存在だと考えるのが
西洋哲学の主流です。
老荘的自然観は
実は西洋にもソクラテスの時代までありました。
そのギリシャ哲学はキリスト教と合体して
自然から離れてしまいます。
東洋でも同じことで
孔子が現れると
「徳」とは、
自分自身の作為によって磨きあげるもの
という儒家の思想となっていきました。
しかし、これに強く反対したのが老荘でした。
人間が「こうしよう」と考えてすることに、
価値など存在しないという
真っ向から対立する思想でした。
最近になって欧米の思想家の間で
老荘思想が注目されているのは、
老荘思想が
「目標をもって行動することは
得策ではない」という立場をとり、
行き詰まった西洋思想に
逆転の発想を与えるヒントとなっているからです。
つまり、老子や荘子は
こうしよう、ああしようなんて考えず、
「やむを得ず」すれば、
それがもっとも尊い行いだというのです。
秩序や序列は
人間の心に争いを生み出し、
勝ち組と負け組を生み出し、
結局は多くの罪もない人々が犠牲になる。
だから、みんな仲良く序列のない社会をつくろう。
そういう教えなのです。
ハーバード大学の「白熱教室」で有名なサンデル教授は
カント哲学について学生に討論させたあと、
カントのいう道徳性とは、
老荘思想とまったく同じだと説明した。
つまり価値のある道徳的行為とは
「義務の道徳」だというのだ。
それを行うと自分が気持ちいいとか、
人から褒めてもらえるとか、
周りに認めてもらえて
自分の将来の出世につながるとか、
・・そういう見返りやご褒美を求めて行う行為には
道徳的価値がまったくないというのだ。
もちろん、
無償の行為が結果として褒められたり
認められることはあるだろう。
しかし、褒められたり認められたくて
そういう目的で行うことには道徳的価値がないのだ。
カントのいう義務の行為とは、
すなわち老荘の言う「やむを得ず」行う行為だ。
そういう目で周りを見ると、
そういう子どもや大人をまれに見つけることができる。
とても人の役に立っているのに、
褒められるのが苦手だったり嫌いだったりする人だ。
身近な例で言うと、
私の妻がそうだ。
彼女は褒められても嬉しそうな顔をしない。
それでいて常に家族の誰かのために
身を粉にして働いている。
「どうしてそんなに人の為に?」
と私が問うと、
「義務だから」といつも彼女は答える。
私はそのたびに頭の下がる思いなのだ。
そして彼女をだれよりも尊敬している。
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読書を楽しむ
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詳細
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久しぶりの雨。
したがって今朝はサイクリングなし。
車でいつものマックで珈琲&読書タイム。
p181 人に話す記憶術
忘れたくないなら「人に教える」のが一番だ。
他人から得た知識を
あたかも自分の経験から生まれた知識
であるかのように話すことで、
記憶として定着させるというもの。
その名はズバリ!
「受け売り記憶法」です。
考えてみれば私のブログも「受け売り」が多い。
人に向かって発信することのねらいは、
人にわかってもらうことではなく、
むしろ自分が理解したいため。
今度の新しい学習指導要領では
アクティブラーニングの考え方が取り入れられたが、
この目的もまさに「受け売り記憶法」のことだ。
インプットした知識を
他人に説明(アウトプット)することによって
自分自身の理解を深めることがねらいなのだ。
アクティブラーニングとは、
ズバリ!受け売り記憶法のことだ。
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今朝も中野孝次の続きだ。
p28 トルストイからの引用
人々が夢中になって騒ぐもの
それを手に入れるために躍起になって奔走するもの
そうしたものは
彼らになんの幸福ももたらさない。
奔走している間は
その渇望するものの中に
自分の幸福があると思っているけれども、
それが手に入るや否や、
彼らはふたたびそわそわしはじめ
まだ手に入らないものを欲しがり、
人が持っていれば羨ましがる。
こころの平安は、
いたずらなる欲望の充足によって生じるものではなく、
反対にそうした欲望の棄却によって生ずるものである。
もし、それが真実かどうか確かめたいと思うなら、
そうした空しい欲望を満足させるために
君が今まで注いできた努力の半分でいいから、
それらの欲望からの脱却に注いでみるがいい。
そうしたら君は間もなく
そのことによってはるかに多くの
平安と幸福とを獲得できることを発見するだろう。
トルストイ「文読む月日」より
今も昔も洋の違いを問わず、
人類は渇望しそれを追い求め
幸福とは反対の方向に向かって進む。
持っているものをいつまでも大切に使うことが
幸せってことなのかな?
車を買い替えるのをやめます!ハイ!
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昨日の早朝サイクリングは
久しぶりにチャオルの森まで上がった。
前日見つけた巨大オニフスベはそのままだった。
いったいなんの目的であんなに大きくなったのだろう?
世の中には不可解なことが多い。
ところで今日はあいにくの雨。
サイクリングはお休みだ。
それで今朝は、のんびりと
バッハの無伴奏チェロ組曲を聞きながら
仕事をしていた。
もうすぐ科学作品展なので、
それまでに出品目録を作成して
本部に送らなければならない。
また作品も1点ずつ展示できるように
板で補強してひもで吊るせるようにしたしたり、
作品の良さを紹介するコメントを
考えたりなければならない。
少しずつ進めていくことにしよう。
さて、今日読んだのは、
人生相談ですっかりおなじみの
加藤諦三先生の「思い込みの心理」だ。
p36 あなたの敵にも味方にもなる自意識
48歳の女性からの相談である。
3年前にご主人をなくして、
いまは一人である。
10年前からある男性とつきあっている。
その男性も離婚して今は一人である。
彼女はこの男性と結婚しようとした。
ところが、その男性には
自分以外にもうひとり好きな人がいることが分かった。
その男性も事実を認めた。
もうひとり好きな女性というのは
幼なじみの女性であるらしい。
彼女はこの男性と女性が許せない。
彼女は苦しくて、
泣いても泣ききれないという。
くやしくてしかたないから
それまで貸していたお金を
返してもらうだけでは気が済まないという。
できれば、相手から慰謝料をとりたいという。
彼女には、
結婚しているにもかかわらず
男性とつきあっていた自分が加害者である
という気持ちがまったくない。
自分がこの男性の奥さんから
慰謝料を請求される立場にあったこということが
どうしても理解できない。
彼女の考え方は、
周りの人が自分に何かをしてくれるのは
当たり前なことで、
自分が何かしてあげることは特別なことなのである。
したがって、
常に自分を被害者の立場に決めて話をする。
ある占い師が言っていた。
女性を見たら、
「あなたは損をしていますね」と言えば、
コロッとまいってしまうと。
うーん、
以前紹介した本にも書いてあったが、
神経症の人は他人への要求が激しい。
ああしてくれなかった。
こうしてくれなかった。
そういう話しか人に言わない。
今日は、それに加えて
神経症者には自分が加害者である意識が
まるでないということがわかった。
・・・と、このように書くと
加藤先生は神経症者や悩んでいる人を
厳しく批判しているように思われるが、
実はそうではないことが分かっている。
加藤先生が問題視していることは、
すべてかつての自分自身を分析した結果なのだそうだ。
つまり、
自分の症状を自分できちんと把握し
整理することが
負のスパイラルから脱するための
最善の策だと言いたいのかもしれない。
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