新鬼の城yahooブログ版です

ブログはじめました。宜しく。。。

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熱中症で倒れた。。。

7月19日に霞が関で熱中症で倒れた。東京地裁の医務室で点滴を受けて休んでいたら、吐き気・頭痛・眩暈などが治った(と思ったがそうではなかった)。地裁の医師から当分自宅静養を言い渡されたが、翌々日心療内科の定期検診で熱中症が再発した。

今まで、この熱中症に罹ったことはなかったが、実際にそうなるとまず頭が回らなくなる。自宅にいても何もする気がない。コンビニ弁当も買いに行けない。モチベーションションがかなり低下する。本・テレビも見ない。そういう日がここ2・3日続いた。気分は「穴倉」である。もう生きていくのが辛くなる。パソコンでFBを観ているだけだ。しかし、今朝は何とか起きることができた。眠いが朝日を浴びた。朝食もバナナ・野菜ジュースを摂ることができた。これから紅茶とパンでも食べよう。

また、ストップしていた原稿書きを再開しよう。マンションの1階の郵便受けに行きおそらく溜まっている郵便類を整理しよう。シャワーも浴びて気分をリフレッシュしよう。今日の夕方にはゴミ出しをしよう。

ま、無理をせずに何とか夏を乗り切ろうと思う。





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体調が悪い。。。


夜寝ていても深夜覚醒する。怠く頭が重く感じる。風邪ではないが痰が切れない。こう言う体調の悪さと、経済的な理由から「10・8山崎プロジェクト」の8月のベトナム行の参加は中止した。残念だが致し方がない。以下はベトナムツアーの案内です。

「ベトナム・ホーチミン市戦争証跡博物館」展示会ツアーのご案内

戦争から学び、平和を考え、反戦の意志を未来へ!
10・8山博昭プロジェクト企画
「ベトナム・ホーチミン市戦争証跡博物館」展示会ツアーのご案内
今年、10・8 羽田闘争は50周年を迎え「10・8山博昭プロジェクト」は念願の三つの事業が具体化します。1967年10・8羽田闘争と山博昭の死を永年記録とし、反戦の志を引き継ぐための「モニュメント」建立、50周年記念誌発刊、そしてベトナム・ホーチミン市「戦争証跡博物館」での「日本の 1960年代・70年代反戦闘争」の展示会企画です。
そのうちの展示会企画は、2017年8月20日(日)から2カ月間、戦争証跡博物館において、当プロジェクトと戦争証跡博物館との共催で、「ベトナム反戦闘争とその時代」と題し1960年代・70年代の日本のベトナム反戦闘争の歴史に関する展示会を開催することとなりま した。
ホーチミン市戦争証跡博物館は、ベトナム戦争の証跡を展示し、毎年70万人以上とベトナム国内最多の参観者が訪れ、うち半数以上が海外からです。この博物館1階のメイン展示会場で、日本の反戦運動の歴史に関わる資料・写真・物品などを展示します。
8月20日の展示会初日には、ベトナムの政府関係者を含め、多数の来賓の方々をお迎えしてオープニング・セレモニーを開催します。
つきましては、オープニング・セレモニーの参加日に合わせて、下記のとおりの要領で、戦争証跡博物館展示会への参加と、南ベトナム解放民族戦線の兵士が掘った200㎞に及ぶクチトンネル、ベトちゃんドクちゃんで有名な、米軍が散布した枯葉剤の被害者保護・リハビ リ施設、ツーズー病院『平和村』の訪問を含めた、戦争と平和を考えるツアーを当プロジェクトが企画、(株)イーツアーが実施することになりました。この展示会を成功させるために、是非多くの皆様にご参加頂きたいと存じます。
今回は6月23日を締め切りとして最大50名を限度とし先着順で予約受付をさせて頂きですので早めにお申し込みをお願い致します。
なお、本ツアー参加は当プロジェクト賛同人の方のみに呼びかけていますので、賛同人登録が未だの方はご登録をお願いします
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お問い合わせ・申し込み先: 10・8 山博昭プロジェクト ベトナムツアー係
担当:大谷行雄 080-4617-9028 FAX: 03-3573-7189
E-mail:monument108@gmail.com
ご旅行基本代金: 2 名様 1 室ご利用 114,800 円、 1 名様 1 室ご利用 154,800 円
別途、成田または関西空港使用料・ 海外空港税・ 燃油サーチャージが掛かります
旅行代金振込先: ゆうちょ銀行 記号 10130 番号 96337621 口座名義 10・8 山崎基金
他の金融機関から「ゆうちょ銀行」に振り込む場合: 店名(018) 店番(018) 普通貯金 口座番号 9633762
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戦争証跡博物館
3 階建ての展示館が中心となり、敷地内にはベトナ ム戦争で使用された戦闘機や戦車の野外展示の他、コンソン島刑務所 の牢獄を再現した建物が存在。屋内には、大砲や爆弾などの遺物、当時 の報道写真などの各種記録が展示されています。他にも、枯葉剤犠牲者 の写真や、世界中から集められた反戦ポスターを展示する児童向けのコーナーも。ベトナム戦争中に命を落とした戦場カメラマン、報道写真家を 紹介する階があり、ロバート・キャパ等、世界中のカメラマンについての紀 行文と写真が飾られています。彼らがベトナム戦争の惨状を世界に知ら せたことにより、世界中で戦争反対運動を巻き起こす一因となりました。
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クチトンネル
ホーチミン市クチ県を中心とした全長 200km の地下トン ネルネットワークです。ベトナム戦争中に、南ベトナム解放民族戦線によってゲリラ戦の根拠地として作られ、カンボジアとの国境付近までトンネ ルが張り巡らされました。戦時中、南ベトナム解放民族戦線の兵士たちは 様々な工夫をして狭いトンネル内に身を潜めて暮らし、当時の生活の様 子や戦争中に使われた罠の数々が戦争史跡公園として残されています。 トンネルの一部は見学用に開放されており実際に入り体験することが可 能です。
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ツーズー病院平和村
ツーズー病院併設の「平和村」は、ベトナ ム戦争時にアメリカ軍によって撒かれた「枯葉剤」(化学兵器)の 後遺症で苦しむ人たちの保護・リハビリを行っている施設です。ツーズー病院は、結合性双生児ドクちゃんベトちゃんの分離手術が 行われたことでも有名で、現在 36 歳になったドクさんはここの事 務職員として働いています。この施設を慰問、施設スタッフから 説明を受け、実際に院内で子供たちと皆様が持参した知育玩具 (奨励)で接することができます。ドクさんの健康上に問題がなければ、皆様との面談も予定しています。
このオプションツアーは無料ですが、皆様からの本施設への寄 付金および知育玩具の寄贈を募ります。
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その上固定資産税・健康保険・生命保険などが一気にこの時期に納入せねばならない。生活が逼迫する。納豆と、キムチ・インスタントみそ汁の飯で当面凌いで行こう。

とにかく、体調の復活が当面の目標である。

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もうすぐ猛暑の夏だ!

腰の痛みがこの低気圧で一層痛くなった。それが先週の金曜日から続いている。外出は定期健診の病院通いと、買い出し、ゴミ出しだ。それ以外には外出していない。整形外科医に聞くと「椎骨圧迫骨折とそれによる神経がやられている」と言うことだ。対策は取りあえず痛みを緩和する薬を服用して様子をみて、どうしようもないと判断した時は椎間板を削るなどの手術を行うしかない、と言う。現状は腰に鉄板があるような感じで腰が重い。

「革共同の敗北」と言う「中核派崩壊宣言」」を水谷保孝さんと共に刊行された岸さんの「送る会」が25日あり、参加する予定だったが腰の痛みで参加できなかった。これは、岸さんが3月に谷川山系で遭難し現在に至るも遺体などは見つからず、そこで取り合えず関係者で「送る会」を行うことになっていた。そこでは、「三里塚のイカロス」と言う映画の上映も予定されていた。革共同の三里塚現地責任者として任務を全うした岸さんにとり、感慨深い映画だと思う。この集まりに参加できなくて残念だ。
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まだ、次女の死を受け入れることができない。しかし、あるカウンセラーは「そういうことはあなた自身が一生背負うことだ」と言われた。そうかもしれない。今後私の生が多分短いと思うが、そこまで背負うということだ。

最近、私は病気を抱えており、抵抗力・免疫力も低下している。部屋にいると横になることが多いのだが、外出せねばならないときは腰が痛くて辛い。まあ、こういう状態であるから長生きはできないだろうと思っている。

ここでの書き込みも折を見て続けて行きたい。今日はまず再開の宣言と言うことです。

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次女の死から3か月以上経った。その間カウンセラーも受けたが、私の落ち込みから抜け出せないでいる。併せて体調も一段と悪くなっている。だが、カウセラーで「そのようなことが1年や2年でどうなるものではない。あなたが一生背負く覚悟が必要だ」との言葉を噛みしめている。

それと、次女の死を追悼するホームページがあり、そこを見るとその死と言う現実を受けざるを得ない。ここでそれを紹介する。
 
 拝啓、時下益々御清祥のこととお慶び申し上げます。
 
2017118日、娘・山村奈央子永眠の際はご鄭重なる御厚志を賜り有難く厚くお礼申し上げます。お陰をもちまして37日「七生院妙施日煌信女」四十九日忌法要を相営みました。
 
 
 
亡娘、山村奈央子は10代の時より月経性随伴性気胸にかかり月に2回位ずつ気胸を起こしておりました。本来なら手術をして治療出来る病気でしたが、麻酔が出来ない為、手術が不可能で止むを得ず付き合っていくしか有りませんでした。毎月、痛みや息苦しい症状と戦って頑張っておりましたが、奈央子の肺に対するダメージが強く、この様な結果と成ってしまいました。きっとウールリッヒ病だけであれば、今も皆様とお会い出来ていたことでしょう。ウールリッヒは肺にダメージを受けがちな病気であるのに、残念な事に別の病いを肺に抱えてしまったのが原因でした。奈央子はウールリッヒが原因で亡くなったわけではありません。それだけはお伝えしたかったのです。手術が出来ない体であったことが残念です。
 
 
 
 奈央子とのお別れの時が近づいている事は、お世話に成った先生方より一年以上前から聞いておりました。お別れという言い方ではなく、いつ緊急事態に成ってもおかしく無い状態であると言う言い方でしたが。先生方とは、その様な事態になった時どのようにしてほしいかを話し合いました。私だけ参加のつもりでしたが、本人の意志で奈央子も同席し人体模型やコピーした図入りの資料を使い説明を受け、本人の意志もお伝えました。
 
 奈央子は毅然とした様子でした。しかし病室に戻った時の後ろ姿がとても辛そうでしたが、その時でさえ一言も泣き言を言いませんでした。主治医の先生の気持ちを読み取れたからと言って気管切開も望まず、呼吸器で対応できない時が自分が生を全うする時と覚悟をしたようです。それでも一縷の望みをかけて、良いと思うことを探し試しました。先生方も奈央子の生きる望みの為にあらゆる手を差し伸べて下さいました。
 
 奈央子のウールリッヒに対する最後のお勤めとして、118日に亡くなり4時間後に臓器を研究に活かしてもらう為に献体させて頂き、午後に自分の部屋に戻りました。帰りは沢山の病院の皆様に見送られました。大好きだった病院なので家族に見送られるような気持ちで奈央子を連れて帰りました。「本当によく頑張ったね」と声をかけながら帰って参りました。
 
 
 
奈央子はウールリッヒの治療が進む事を強く願っておりました。自分のしたかった事が有り過ぎながら叶わない思いと、この辛い症状を後から生まれて来るお子様に味あわせることが耐えられないと申しておりました。これは本人が味わっているからこその思いだと思います。高校生の頃、私は奈央子から「今に自分の体を献体に出してこの病気の研究に生かしてほしい」と言われたことが有ります。私は、「そんな事受け入れることは出来ないかも?」と返事をしておりました。しかし、常日頃の奈央子の生き方を見ていると真剣に考えていることが伺われ、家族としては辛い気持ちもありましたが最終的には献体に提供させて頂き本人の希望を尊重させる事にしました。
 
 
 
 生前、お世話になった皆さまありがとうございました。私は勿論のこと、奈央子の姉も会のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。今後とも、よろしくお願い致します。
                                                   敬具                    
                                                                                                                       (母)山村 秀子
 

【葬儀のご報告】

 
 
 
 
 
奈央子の好きなピンクや白のお花を選びました。
          祭壇も奈央子の好きなカラーにしました。
         サンリオが好きだったので、そのイメージで         
         作ってもらいました。
ギャラリーを作り仕事や趣味の作品を飾りました。
名刺やポスター等のデザイン作成、英国の生地リバティを使ったオーダーメイドのお店の運営を仕事として行っておりました。
趣味は沢山あり、晩年は折り紙や小物づくりに熱中しておりました。
 お菓子作りも晩年の趣味で、沢山作っては友人や家族にプレゼントしていました。
 サンリオが大好きで、特にマイメロが好きだったので式場の至るところにマイメロを配置しました。
沢山の供花、電報を頂きました。
 
 沢山の友人に見送られ、奈央子らしい葬儀を行う事ができました。生前から、葬儀は沢山の友人を呼び盛大に行って欲しい!と申しておりましたので、きっと本人も満足のいく式であったと思います。
 
 お世話になった皆さまありがとうございました。

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