玉、琢かざれば、光なし

このブログでときどき自分の思いをつづります。頻繁に更新はしません。すみません。

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今晩、これから放送される番組です。
深夜1時20分からですので、ぜひ録画を!
わが先輩、是枝裕和さんのTVドキュメンタリーです。




5月18日のブログです。




テレビマンユニオン。
日本最初の独立系プロダクション。
日本のテレビ史に残る話題作を数々制作してきた会社。
たとえば現在放映中の番組でいえば、

  遠くへ行きたい
  世界ふしぎ発見!
  世界ウルルン滞在記
  テスト・ザ・ネイション 全国一斉IQテスト
  食彩の王国
  未来創造堂

などがあり、過去に放送された番組では、

  アメリカ横断ウルトラクイズ
  オーケストラがやってきた
  欧州から愛をこめて
  海は甦える

などは覚えている人も多いだろう。


実は、社会人になって、私が最初に勤めた会社がテレビマンユニオンだった。
「メンバー候補生」ということでの採用だった。
研修期間が終わり、承認が得られれば、
49人目のメンバーになる予定だった。
しかし、私は、採用され、3ヶ月で、やめた。
何千人もの中からせっかく私だけ、たった一人だけを、選んでくれたのに、
私は、退職願でなく、退職届を出したのだ。

本当は辞めたくなかった。
赤坂の、TBS本社ビルのまん前の、石田ビルにあったオフィスに出入りすることや、
テレビマンユニオンのADとして、汗まみれになって働くこと、
殴られても蹴られてもメンバー候補生として鍛えられることは、
正直、誇りだった。
夢がかなって、ボクは、日本のテレビ史に残る名作をつくるぞ、と本気だったから。

なのに、辞めることにした。
赦せなかったのだ。

新人研修ということで、
ボクはある旅番組の担当になった。
佐渡島や小豆島に行った。
そこでさんざんADいびりにあった。
「いびり」というよりも完全に悪質な「いじめ」だった。
肉体的に、精神的に、「暴力」と「言葉の暴力」で、
テレビマンユニオンの下請けの技術会社の人間がADを痛めつけるのだ。
ボクは、辛抱した。
すべての理不尽なことに耐えて、耐えて、耐え抜いた。

しかし、ある時。
テレビマンユニオンの番組プロデューサーが新人研修を“視察”にやってきた。
何が行われているのかをボクは報告した。
そのプロデューサーの前で、いじめが繰り広げられたのにもかかわらず、
そのプロデューサーは、黙殺した。

しかも、その後、数々の「やらせ」を「しこみ」と称して強制したのだ。
危険が伴う撮影を、万難を排すような形で臨もうとしなかった。
「やらせ」を拒み、危険を指摘したボクに待っていたのは、
更なるひどい「いじめ」だった。

こんなことが、かのテレビマンユニオンで行われているのか!

ボクは辞めた。
真相は語らないで、辞めた。

だから、亡くなった萩元晴彦会長にはこう言われた。
「私はユダヤ人だよ」
「契約を重んじろってことですね」とボク。
「そうだ。一方的な契約破棄には絶望したね」 

現会長の重延浩さんには、こう言われた。
「辞表は受け取るよ。ただし、今ここで、お父さんに電話をしなさい」
「どういうことですか? 父には関係がないと思います」
「君のためを思って言っているのだよ」
「何がですか?」
「君は運命の神様を敵にまわしたんだ。この会社から出た瞬間、事故にあうかもしれないよ」

現社長の白井博さんにはこう言われた。
「お前を採用するために、何人もの優秀な人材を落としたんだ」
「すみません……」
「謝るくらいなら、なぜ辛抱しないんだ。二度とおれの前に現れるな」
「もし現れたら?」
「殴り倒してやる!」

現副社長の浦谷年良さんは少し違っていた。
「やめちゃうかなって思えたんで、救おうとしていたんだ」
「残念です」
「一緒に、東欧諸国にロケハンに行ってもらおうと思っていた」
「そうだったんですか」
「師匠(佐藤利明さんのこと)とも相談をしていたんだ」
「すみません。辞表を出してしまいました」
「ま、能力のある奴だから、またどこかで組める。その日を楽しみに待っている」



退職することを事前に相談した人が、実は、一人だけいたのだ。
それが、1期先輩の是枝さんだった。
是枝裕和。いまをときめく、日本を代表する映画監督だ。
ウィキペディアにはこんなふうに紹介されている。

  是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年 - )は、東京都清瀬市出身の映画監督。
  東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。
  テレビマンユニオンに参加し、ドキュメンタリー番組の演出家をつとめた後、
  1995年映画監督デビュー。
  現在までに5本の劇場映画を監督し、
  多くの国際映画祭に招待されるなど海外での評価が高い。
  若手監督のプロデュースや、CM作品・ミュージックビデオの演出も手がけている。
  現在国内外ともに最も高い評価を受ける日本の映画監督の一人である。
  主な作品として、映画『誰も知らない』『ワンダフルライフ』、
  TVドキュメンタリー『しかし… 福祉切り捨ての時代に』がある。
  書籍にノベライズ『小説ワンダフルライフ』、
  プロデュース作品として西川美和監督作品がある。
  『誰も知らない』ではカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞するなど、
  高い評価を受けた。

ただ単に1年先輩だから是枝さんに相談したわけではなかった。
その当時、是枝さんは、メンバーになって1年目だったにもかかわらず、
たった一人で会社を相手にストライキを起こしていたのだった。
「辞めないで一緒に闘えばいい」
是枝さんはやさしく誘ってくれたが、ボクは辞めた。


その後、是枝さんはひとりで闘い続けて、現場に復帰した。
復帰後、ものすごいドキュメンタリーを作った。1991年のことだ。
フジテレビの深夜枠「NONFIX(ノンフィックス)」という番組で放送された、
『しかし… 福祉切り捨ての時代に』という作品だった。

  水俣病和解訴訟国側の責任者だった環境庁のエリート官僚が自殺した。
  山内豊徳53歳。
  長年にわたり福祉行政に取り組んできた彼が、なぜ自ら死を選んだのか?
  現実社会に押し流されていく時代の中で、
  もがき苦しんだ一人の官僚の生と死の軌跡を辿るー。

番組を偶然見たボクは、このドキュメンタリーが是枝さんの作品だとは思いもしなかった。
淡々としたシーンを丁寧に重ねてゆく番組を見ていくにつれて、
何度も涙を流した。
番組のおしまいに、「演出:是枝裕和」というロールが流れた時に、アッと驚いた!
このドキュメンタリーは、日本ドキュメンタリー史上、最高の1本といっても差支えないと思う。

このあと秀作を何本も連続で発表し、是枝さんは映画監督としてデビューするのだった。
1995年、『幻の光』がそれだ。
第52回ヴェネチア国際映画祭 金のオゼッラ賞
第14回バンクーバー国際映画祭 ドラゴン&タイガーヤングシネマ賞(新人賞グランプリ)
第31回シカゴ国際映画祭 グランプリ(ゴールドヒューゴ賞)
第28回ジョルジュ・サドゥール賞 審査員特別賞
など輝かしい賞を手にするのだった。


ただ本音を言うと、ボクは、是枝さんの映画はあまり好きではない。
映画よりも、ドキュメンタリーの方が好きだ。
是枝さんには、映画よりも、もっとドキュメンタリーを制作してほしいと思っている。



是枝さんが制作したドキュメンタリーが今夜放送される。
遅い時間だ。
なかなか起きていられる時間じゃない。
でも、是枝さんが制作したドキュメンタリーなのである。
これは、どうしても見たい。見てほしい。

  TBS系『報道の魂』
  5月18日放送「村木良彦さん追悼『あの時だったかもしれない』」
  サブタイトルは、「テレビにとって『私』とは何か」だ。

是枝さんは番組ホームページに次のように書いている。

  2008年1月21日。
  メディアプロデューサーの村木良彦が亡くなった。
  村木は1959年にラジオ東京(現TBS)に入社。
  1966年に萩元晴彦とドキュメンタリー番組「あなたは…」を共同演出する。
  街頭録音形式で17の同じ質問を
  次々と一般の人にぶつけて行くという斬新な方法が当時大きな反響を呼び、
  その後のテレビドキュメンタリーに大きな影響を与える作品となる。
  二人の演出する番組の根底には、「テレビとは何か?」という本質的な問いが常にあった。
  その後、萩元は「日の丸」を制作。
  政府から「偏向番組」と批判を受け、
  放送界全体を巻き込む大きな事件となる。
  村木が演出した「ハノイ・田英夫の証言」も反米的過ぎると政府から批判され、
  田英夫がキャスターを辞任、
  村木本人も制作現場を追われることになった。
  番組では、1968年前後のテレビの青春時代に、
  自らの青春を重ね合わせながら
  テレビと真摯に向き合おうとした二人の制作者に、スポットを当てる。
  生前の彼らへのインタビューを中心に、
  テレビの分岐点となった40年前の”事件”を問い直すことによって、
  テレビが『今』と向き合おうとするあまり疎かにしてきた自己検証を、テレビを通して行う。

     ディレクター:是枝裕和(テレビマンユニオン)


テレビにはいろいろな顔がある。
最近の顔つきはボクはあまり好きではない。
なんだかヘラヘラしているからだ。
年がら年中騒いでいて落ち着きのない顔つきだからだ。
時々こちらの顔をうかがって言動をはたらく姑息な顔をすることもあるからだ。
是枝さんとはむかし、テレビの話以外の時には、
ライカというドイツ製のカメラの話ばかりしていた。
古いレンズを手に入れては、
そのレンズの軟らかい描写のことなどを延々と電話でおしゃべりしたものだ。
是枝さんは、人がせわしなくしている最中でも、
ふと立ち止まることのできる人である。
人が忘れさろうとしたものでも良さを見つけ、良さを引き出し、大切にする人である。
テレビに対して真っ直ぐに立ち向かっている人だと思っている。
是枝さんが作るドキュメンタリーを見てもらえば、
あ、こんな真っ正直な顔をテレビってすることができたんだ、
って思ってもらえるような気がする。
すこしだけまたテレビが好きになるような気がする。

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私の好きな番組ばかり・・・(映画は見ていませんが)
歳も同じなのか。
今回は見逃してしまったけれども、是非見たいです。
視野が広くて、冷静な目でものを見る人なんだろうな。
演出っていうくらいだから、見せ方もうまいのでしょう。
限られた時間内で、正しく、見る人に訴えるように作ること、
難しいでしょうね。
これからもやらせ無しの正直番組を期待します。

見る側の取捨選択も、難しいのよ・・・。 削除

2008/5/19(月) 午後 0:45 [ しの ] 返信する

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見た目きれいで、華やかな世界ほど、やらせ、予定調和が多いのかもしれない。
だけど、しごきと称するいじめもお同じなのかもしれないけど、鍛えることとは違うよね。
「出る杭は打たれる」というけれど、どうしてなんだろう。
どうして、出てきた杭を伸ばそうとしないのだろう、とおもう。
昔義母が言っていた、「ケツの穴の小さい奴だ!」
おもわずそういいたくなる。了見の狭い奴、硬直した心の持ち主だ。
平均化した、同類でないと安心できないのだろうか?

ひび割れた地面が、思い浮かぶ。

2008/5/19(月) 午後 6:52 [ cob*le*5*0 ] 返信する

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心が痛みました。
でも、希望も頂きました。

ありがとうございます。 削除

2008/5/19(月) 午後 10:16 [ Blue Shell ] 返信する

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しのさん
昨日の番組で、是枝さんが「やらせ」のことを軽く触れて終わりにしているところがありました。
詳細はここで記しませんが、私は、それを耳にして、
「変わっていないないなぁ。スノッブだなぁ」
と自分が付いていけない感じを持ちました。

どうもやっぱり見たいテレビは増えていきそうにありません。
まだ「どっきりカメラ」のほうがいいや。

2008/5/19(月) 午後 10:46 [ kugel_149 ] 返信する

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cobble5560さん
自分たちは選ばれた人間であるという思い込みがどこかにあると、平均化した、同類でないと安心できない心理が生まれてくるのかもしれません。

2008/5/19(月) 午後 10:47 [ kugel_149 ] 返信する

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Blue Shellさん
Blue Shellさんのコメントが心にかかってしまっています。
心の痛み、大丈夫でしょうか。

2008/5/19(月) 午後 10:48 [ kugel_149 ] 返信する

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昨日の番組を見ました。
テレビ史としてみる分には面白いと思いましたし、
全く同じ話を研修で聴かされた者としては懐かしさもありました。
でも。
どうしても、でも、とか、しかし、とか言ってしまう自分がいました。

遅かれ早かれ、テレビマンユニオンには、私は、いられなかったなぁと思いました。

是枝さんが何をどう言おうと、
私は、上から人を見下すような雰囲気、
あるいは番組を作る上で協力してくださった人たちを、実験物のように扱っているように感じる“何か得体のしれない空気”に、
嫌悪感を覚えました。

私は頭が良い人間ではないので、
頭の良い人たちは、あぁでもない、こぅでもない、と
つっつきまわして番組を作っているのも再確認できた気がします。

もっと違う作り方があることを、
その後、私は知り得ましたし、
その作り方の番組の方が、
私には受け入れられ面白く感じました。

しかし、そういった番組すら、
最近ではあまり見かけなくなってしまいました。

2008/5/19(月) 午後 10:56 [ kugel_149 ] 返信する

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その、もっと違う作り方っていうのが、私も知りたいなあ・・・。
真贋を見極める心眼が欲しい。なんちって。

『世界ふしぎ発見』は、大好きな番組なんだけど、
時々商業的過ぎることもあり、それがちょっと・・・
「ああ、あの映画をやるからか・・・」と思っちゃったりね。
やらせがあるのかどうなのかは、さっぱりわかりません。 削除

2008/5/20(火) 午後 0:49 [ しの ] 返信する

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曖昧なコメントで誤解を与えてしまい、
申し訳ありません。
予想以上の 暴力 に心が痛んでしまったのです。
でも、黒い雲の間から見える光のように
希望を与えてくれる人がいることに希望を頂きました。
そんな光を絶やさない様にしていきたいです。 削除

2008/5/20(火) 午後 9:59 [ Blue Shell ] 返信する

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管理者様

この記事、読んでいて胸が締め付けられる思いです。
なぜなら、私も数年前、同じ会社でADをしていたからです。私も数ヶ月ほどで辞めました。

私も、ある番組のDにひたすら怒鳴られたのがいまだに思い出されます。しかも二週間ぐらい家に帰らずにぶっ通しでいじめ続けられました。私も当時は、ものすごいやる気で、担当Dに食って掛かりましたが、毎日何百回も恫喝され、次第にDの声を聞くだけで体が震えるようになりました。先輩のADもグルで、二人に徹底的にいびり倒されました。

一度も教わっていない作業を「出来なかったら殺す」と何回も脅されました。毎晩、絶対に終わらない量の仕事を出され、「出来たら寝てもいい」と指示され、朝まで何回も連続で徹夜をしました。四日目のスタジオで、睡眠不足と疲労のため、失神しました。

そんな状況にも関わらず、その晩の飲み会に強制参加させられました。意識は拘泥し、ふらふらになりながら、参加しました。 削除

2008/6/14(土) 午前 7:22 [ taro ] 返信する

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退社した後も、一日中怒鳴られていた時のことがフラッシュバックし、何度も夜中に目を覚ますこともありました。

私は、今でも中年男性と話す機会があると、何もしていなくても恫喝されるのではないかと思い、びくびくしてしまいます。

今でも癒えることのない心の傷になっているんだなあと、改めて最近認識することが出来ました。
あのときのDのことは一生忘れないでしょう。

その当時は、それが業界として当たり前なんだと思っていましたが、今から考えると、明らかに密室を利用した悪質ないじめに他なりません。

その後についたDは、私を一人の人間として扱ってくれ、たった数ヶ月しか居ないのに、送別会まで開いてくれました。
そういう人が居ることも確かですが、圧倒的にいびり倒される人が多いのもまた事実です。

今まで、誰に言ってもこのひどさを理解してもらえなかった思いが、共有できる人がいて、大変うれしく思っています。 削除

2008/6/14(土) 午前 7:22 [ taro ] 返信する

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