軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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世界柔道の精神問題

 世界柔道連盟から山下理事が議席を失い、同選手権大会でも日本勢が振るわなかったことが問題になっている。武道(杖道、居合道、剣道ほか)を長くやってきて、アメリカ人をはじめとする多くの国の同好者と接してきたものの体験をつうじてこの問題を眺めてみると、世間の評論とは違うものが見えてくる。
 柔道は世界の格闘技のひとつになってしまい、各国の指導者がそれぞれの立場で指導をしている現在、日本の柔道連盟が主張している武士道に淵源がある精神的なものは、世界で通用しなくなっている。
 私は、日本の武道指導者自身が、どのていど精神的なものを追及し理解しているのかいつも疑問に思っている。正座をして挨拶をし、師や先輩を敬うことを形式的にしているだけで、それが武士道だと思ったら大きな間違いであろう。昔、武士ではなくその下風に立っていた相撲取りの世界では、実力が大切で、地位が上がれば、場合によっては先輩が、その付き人になることもある。そのような相撲界の伝統体質が朝青龍の勝手気ままな行動を許し、相撲協会が慌てふためくという結果をもたらしているのであろう。しかし江戸時代の武士の世界は、実力主義ではなく家柄主義であった。そのため教わっているときは師に対して礼を尽くすが、城中では、家の格が低い師のほうが格が高い弟子に頭を下げなければならなかった。そうすることで秩序が保たれていたのであり、場所によって態度の使い分けをしていたのである。しかし今の人たちはそのようなことを知らない。会社での序列を私生活に持ち込むか、趣味の上での関係を会社勤務に持ち込むかどちらかである。相撲取りの世界は土俵の生活が全てなので、実力主義で問題がないのかもしれない。しかし相撲協会という組織との関係でいうと、相撲取りは横綱であっても地位が比較的高い社員の立場になる。そこで使い分けが必要になるが、日本人力士なら社会が変わったとはいってもいくらかはそのことが理解できるであろうが、モンゴル人の朝青竜には理解できないところがあり、問題行動を起こすことになるのであろう。それと同じで外人、特に西洋人に武士道に基づいて武道を考えることを要求しても理解してもらえない。もともと風俗習慣が違うことも、その原因の背後にある。
 日本の文化に詳しい西洋人で武道を習いたいという人に、武道を教えたことは何度もある。その際私は、下手な英語でいくらかでも武士道精神や武道の原理を教えようと努めている。しかし一般的にいうと日本人が西洋人に武道を教える場合は、言葉の問題もあって、見て覚えさせることになりがちである。日本に来たのだから日本語の説明がわかるようになれと、無理なことを言う指導者もいる。柔道も初期に日本で学んだ西洋人が、精神的なものを教えられることなく技だけを身につけて帰国したことが、精神的なものを理解してもらえない発端だったのではないか。そのうえ最近は、日本人武道家自身が精神的なものについて表面的にしか理解していないために、柔道着は白でなければならないという類の主張しかできなくなっているのではないか。歴史的に見ると剣道では、藍も使ってきたのであり白とはかぎらない。
 私はできるなら、鎖国をして、島国としての特殊な文化を育ててきた日本の精神的な伝統をつぶすことはしたくない。しかし柔道については手遅れである。世界の場では単なる格闘技のひとつに過ぎなくなっているので、商業主義で動かされることを止めることはできまい。それはそれで割り切ってしまい、日本国内で新しく、精神的なものを含む柔道を発足させるのが必要なのではないか。しかしそのためには柔道にかぎらず武道家自身がもう少し日本文化や伝統を研究して身につけ、武士道とその背後にある儒教や禅の精神の理解と体現をすることが望まれる。
 
 

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閉じる コメント(4)

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私は子供の頃から剣道を習っておりますが、その環境は現在“剣道”を取り巻くものと違い、私の先生は警察や消防、自衛隊のように職務に付随した形で行っている方と違い、“剣道”を職業にしている方で、しかも剣道と称して行っている練習も、特異なものばかりで、諸手、片手の反面、突きに始まり組討、足払い、打ち、投げ、締め、極めを併用しつつ、刀を使った居合、抜刀術、剣術など過去の流派剣術を元とした技術を“剣道”として行っています。その中で感じたことは、こうした練習に意味を持たせる方が多く、その延長として試合や昇段など目に見える形で他者との位を決め、その中でまた競争を煽る現代剣道の貪欲さと、勝負に固執するあまり自身の剣道に対する初心を忘れて、柔道のように体が壊れたら、もしくは年齢が、気力が、と今度は辞める算段をする恥知らずの多いことです。

2007/9/23(日) 午前 3:56 [ benimaru0413 ]

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私は武道という言葉あまり使いたくありません、それ程剣道は武道と称程成熟しておりませんし、逆に剣道のこと自体解っていらっしゃらない方が多いほどで“武道とは?”と問いかけたとしても「精神が・・・」などと言う方が大半な事は明白で、そんな教本や雑誌に書かれているような物言いでは、私は納得できません。自身で辛く、厳しい練習を重ね、這いずり回り、みっともなくても、かっこ悪くても、自身の信念が揺らぐことなく、歩みも止めず、そうした中で何かを見出した方の真の声しか信用できません。そもそも誰かに認められるために同じ土俵に立つという考え自体が時期尚早と言わざるにはいられません。そうした流れは柔道に限らず剣道にも少なからず存在していて、そうした要らぬ考えを持つことこそが剣道や柔道の本質を汚し、実際この前に世界選手権での日本の敗退や、剣道人口の減少に繋がっていると思います。

2007/9/23(日) 午前 4:00 [ benimaru0413 ]

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又、柔道や剣道などとは離れた場所でもこうした減衰の兆しが見え隠れしていると思います。昨今の殺伐とした世の中の出来事に代表される日本人らしからぬ言動、行動など“人の質”の低下も誤った道筋への牽引力になっていると思います。学校では授業中に立ち歩く子供、目標を達成出来ない集中力の欠如、自分の行動を戒められない我慢の心など、ごく当り前の人道自体が揺らいでいます。又そうした子供の親も同様に自己中心的な言動、行動が多く、これに自身の経験が加味されて、もう正気とは思えない事も要求する程です。そして社会でも利己主義でお互いに支えあう、真心のある行動、立ち振る舞いを出来る方が少なくなる一方で、大人としての自覚は下世話ですが子供を作る位にしか思っていないようです。

2007/9/23(日) 午前 4:03 [ benimaru0413 ]

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私が子供の頃はこうした偏重をきたした社会は存在しませんでした。新聞を見ても少なからず事件、事故はありましたが、そうした事件や事故は、起すべくして起す様な方達が行っていましたし、殺人も、傷害も、限られた人が起すいわば“出来事”の様なものでした。それが現代では毎日のニュースのネタに事欠く日はないほどの荒れ様で、子供が親を殺す、親が子供を虐待、そして殺し、どちらも自分に非がないような理由を立てている醜さ、そしてちょっとしたことに腹を立て、暴力にい止めもない人や、目の前の弱者を見て己の欲求を晴らす行為を平気で出来る人など、武道がどうとか云える状況ではなく、人の質が落ちるということは武道の質もそれに付随して落ちていっているわけです。この負の連鎖を何とか打開しない限り、問題が解決しないのではないかと私は思います。長々と勝手なことばかりを書いてしまいましたが、こうしたお話をしても理解して頂けると確信して書かせて頂きました。それでは失礼致します。

2007/9/23(日) 午前 4:03 [ benimaru0413 ]


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