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中国チベット自治区の暴動と武力鎮圧にたいして世界的に大きな反響があった。中国は歴史的にみて基本的に漢民族の国であり、周囲の異民族を東夷北狄西戎南蛮と呼んでさげすんできた。日本や琉球も東夷の国であった。かつて日本人が満州と呼んでいた地域も北狄の国であったが、元王朝や清王朝の時代には、漢民族がそこの出身の政権にひれ伏していなければならなかったことが、他の異民族とのかかわり方とは違っている。チベットは清王朝時代の中国の領域拡大に伴い清王朝に服属したが、清政権が倒れてからは、独立的な存在になっていた。清時代には中央政府の役人や軍隊が送り込まれていたが、漢民族の居住地になっていたわけではない。共産党政権の中国政府は、1951年に侵攻したチベットで、チベット仏教の指導者で国王的な存在のダライ・ラマと、現状を認める協約を結んだ。しかし1959年にチベットが特別の存在であることを嫌う中国共産党政権が漢民族のチベット移住を進め、反対する地元民との間で紛争が起こった。結局紛争が暴動になったのをきっかけにして、共産党政権はチベットに軍隊多数を送り込んでダライ・ラマを国外に追放してしまった。現在のチベット暴動は、そのときの続きだといってよかろう。
新疆省でもこれまで、似たような暴動が起こっている。ここは回教と言われてきたイスラム教問題がからんでいる。漢民族が西方に進出することで地元民との摩擦が大きくなるのであり、単なる経済格差の問題から暴動が起こっているわけではない。
漢民族中心の中国政府の立場からすれば、国防上はヒマラヤ山脈がインドとの関係で重要な防衛ラインになるので、そこに接しているチベットを手放すわけにはいかない。新疆省についてはロシアなど西の国との天山山脈を挟んでの防衛問題もあるが、重要資源がこの地域に眠っていることが重要である。
かつてソ連のスターリンが、自分の政権に反抗的なロシア人多数を強制的にシベリアに送り込み開発に従事させて、国の経済発展を図るとともに現地民の同化政策を進めた。そのため日本の北方4島にもロシア人が住み付き、日本との返還交渉上の問題を大きくしている。中国共産党政権もそのようなソ連流に習ったのか、旧満州地域を手始めに辺境といわれた各地に漢人を移住させて、漢民族化を進めている。距離的心理的に北京と遠かったチベットでもそのような政策を進めたことが暴動の背景にある。
このような政策は後々に禍根を残す。イスラエルの現状がその典型的な例である。自然発生的ではあったがコソボでも民族問題が紛争解決を難しくしている。民族が同一かどうかを判断する要素の一つに宗教がある。その点で漢民族とは違っているチベット人を漢民族と同化させる政策を進めることは、将来に大きな禍根を残すことになるのではないか。
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チベット独立を支持します
2008/3/17(月) 午前 11:45