久しぶりに沖縄本島の北の入り口にある名護市から、戦跡が集まっている南の糸満市まで資料収集のために歩いてきた。主としてバスを利用したので、文字通り毎日10キロ前後を歩く旅になった。この10年間で政府の投資により道路が整備され、那覇市周辺はビルも新しいものばかりになったので、昔と違って沖縄らしさを感じることが少なくなった。農業も砂糖黍やパインアップルの生産は下火になり、花や瓜類など換金作物が主体になってきている。独特の亀甲墓はビルの建設時に邪魔者扱いされ、工事場から掘り出されたらしい遺骨がまとめて他家の墓地の一角に放置されているなど、沖縄らしくない事件も起きている。
糸満の戦跡も整備されたのは結構なことだが、会津の戦跡と同じような観光地になってきており、戦後60年以上も経つと戦跡が明治維新の戦いと同じようなレベルの扱いしか受けなくなっているといえよう。靖国神社が日本人にとっては戦没者を祭る特別な場所であることが忘れられているのもこれと同じで、世代の交代による自然の流れかもしれない。
普天間基地の移設で揺れているキャンプシュワーブの滑走路建設予定地を見て、周辺の人たちともこの問題についての話を聞いてみた。普天間では地主や基地勤務者の数が多いので移設は賛否半々のようだが、シュワーブは騒音問題が主であり、それもはっきりしたことは見当がつかない状態なので、地元の辺野古100軒ぐらいの人たちはなんとなく反対の方向に動きがちである。それでも交付金には関心があり、基地が大きくなることで収入増になることへの期待もある。沖縄の人々の基地に対する感情は複雑である。ここから10キロ近く離れている名護市街の人々は直接の利害関係が少なく、態度がはっきりしない。基地問題は複雑な要素を抱えており、本土の人々の感情で決定されるべきものではあるまい。写真はシュワーブの飛行場予定地とその海岸の地元慰霊碑、それにマブニの総合慰霊碑に参拝する米兵のもの。
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