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東日本大震災に続いて台風12号による災害と、日本列島は立て続けに災害に見舞われている。紀伊半島に降った雨は過去に例がない降雨量であったというが、列島温暖化の気候変動の中で、これからも繰り返される可能性がある豪雨ではなかったか。
私は30歳代前半のころ串本の大島レーダー基地で勤務していたことがある。昭和42年10月に紀伊半島に上陸した台風34号は串本地方に豪雨をもたらしたが、まもなく温帯低気圧に変わり風による被害は小さかった。しかし本土側の5軒の官舎に住んでいた幹部級のメンバーは、夜中の床上浸水で目を覚ました。足元を見ると畳が浮き上がり汲み取り式の便所の汚物が流れ込んでいる。湿地であったところに応急に建てられていたので床の一方が沈んでいて、そこが先に浸水したのである。あわてて妻を起こし赤ん坊を溺れないように押入れの上段に寝かせるのがやっとであった。崖下の水はけが悪い所に建てられていたので下水管が詰まり、浸水したのである。
夜明けとともに御亭主たちは大波の中を島に渡り、基地の被害の後始末をしなければならなかったので、共同で住宅の後片付けをしたのは官舎のご夫人たちであった。それからひと月は畳なしの生活が続いた。私は地元の災害派遣で、部下たちを引き連れて道路の復旧などに追われた。
このような被害をもたらした豪雨であったが、熊野川や古座川流域で今度のような災害が起きたとは聞いていない。もちろん一部でがけ崩れがあったり、水があふれたりしたしたことはあったが、紀伊半島はもともと年間降水量が大きいので、一応の対策はできている。熊野川上流にある300メートル長、水面から50メートルの高瀬の吊り橋は、踏み板の幅が50センチぐらいで、歩くと大きく揺れるので地元の人以外は渡れないぐらいであったが、それも地元の人が自分たちで作ったものであった。新宮那智大社からの熊野古道が尾根を通っているのは、交通路を確保するための古代人の知恵であったろう。古道は私も歩いてみた。吊り橋も渡ってみた。
そのような紀伊半島の交通網がズタズタになったということは、雨量が今までになく極端に大きかったということを意味している。那智大社ご神体の那智の滝さえ、岩が崩落するなどの被害を受けている。原発事故に目が向いてしまって地球温暖化による異常気象のことは忘れられているが、これからも目をそらしてはいけない。すでに生物の居住北限が、少しずつ北に移動していることが知られている。つくつく法師が鳴く時期も遅くなっている。串本付近が北限であったサンゴにも異常が表れている。
原発を増やす方向で施策が行われたのは、地球温暖化に対応するためであった。当面は、原発をゼロにすることができないことが分かっている以上、その安全性をどうして高めるかが論じられなければならない。火力発電を一時的に復活させるのはやむを得ないが、そちらも二酸化炭素の問題があるので、増やすことはできない。政府も国民も感情的にならず、冷静に論理的にこれからの対応の方針方策を検討し、日本の将来に適した方針方策を決めてほしい。その際に必要なのは、国民の意見を掬いあげることと、縦割り行政組織を横につなぐ制度を充実させることであろう。わかりやすく言えば、だれかに旗振り役をさせ権限を与えて、国全体の意思疎通を図り、そこから生まれる施策を速やかに実行にうつすことである。本来は首相がその役を果たすべきであろうが、複雑でグローバルになった世の中で、あらゆることを首相や閣僚が処理することは不可能だ。一党一派に偏らない首相直属で、国会への根回しもできる有能なリーダーを選任すべきであろう。リーダーは知識に偏重した実行力に乏しい人物よりも、総合判断力、融通性、親和性がある調整力がある人物であることが望ましい。
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