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東大が5年後から秋を学期はじめとする方向を打ち出した。旧帝大系の大学で同調する動きが出ているようだが、外国の傾向に右へならえをする必要があるのだろうか。確かに国際化のなかで、留学生を受け入れ易くする点では望ましい方向かもしれない。しかし国内の制度は、明治10年4月に東大が発足したとき、11月から始まる半年を1期として、学部により3年または4年(医学)の修学後に行われる卒業試験に合格すれば、卒業できる仕組みになっていた。その他の学校も同じで、尋常小学校4年、その上の高等小学校が3または4年の小学校教育が、同じように半年を1期にしていた。とうじは学制ができたばかりで、4月入学が小学校から確立していたわけではなかったからであり、導入した西欧の制度がそうであったからといえよう。
まもなく四季の変化などの関係で明治19年に、4月を会計年度の始まりとした(それまでは現在のアメリカと同じように6月)ことが、小学校・中学校で4月の学期始まりが定着した理由であろう。とうじも地方の公立学校教育は、中央からの予算で教員の給与の一部をまかなっていたからである。
明治19年に日本でたった一つの大学であった東大が帝国大学を名乗り制度がいくらか変わったが、大学の学年の始まりが9月になりはしたものの、医学を除き教育期間が3年であることはそれまでと同じであった。大学では専門科目を学ぶ前に、外国語や数学などの基礎科目を付属の予科で2年または3年間学ぶことになっていたが、その教育も時代や専攻学科によりいくらか違うものの、9月から12月の間に始まっている。この予科に当たるものがのちに旧制高校(第一高等学校など)になってからも、それまでの名残で、大正7年の改正のときまで、帝国大学とともに秋入学が普通になっていた。
筑波大前身といえるお茶の水の高等師範学校は、森有礼の明治19年の教育制度改革のとき4月入学を採用したが、まもなく地方の師範学校をはじめとして、全国の中学校も小学校も4月入学に足並みをそろえるようになった。主要な教員を養成する各県の師範学校(地方国立大学の母体になっている場合が多い)の頂点に、お茶の水高等師範学校が位置していたからであろう。
東大をはじめとする帝大系の大学が秋入学を主張しているのは、国際化のためだけではなく、このような過去のしがらみもあってではないか。サラリーマン養成ではなく、研究者や官僚を育てるのが帝国大学の目的だとする伝統的な考え方も影響していると思う。もともとヨーロッパの大学は、そのような思想のなかで発達してきているので、教育よりも研究に重点がある。京都・九州・東北などの旧帝大もその流れの中にある。それに対して師範学校や実務者養成の旧制専門学校を母体にしている国立地方大学は、小中学校教育の延長線上にあるので、サラリーマン生活とのつながりを考えれば、4月入学のほうが好ましい面がある。当時は専門学校であった私立の大学も同じだ。
士官学校や海軍兵学校のような軍将校の養成校は、旧制専門学校相当とされ軍事専門家を養成する学校であった。しかし大正期に、帝大予科といえる旧制高等学校が入学期を4月にし、中学校卒業一年前の4年修了生を採用して2年ではなく3年間の基礎教育をするようになったので、軍側の中学校卒採用生徒の質が低下した。軍は帝大系の流れに対抗して、明治時代と同じように、中学校での成績が上位の生徒を軍学校に入学させようと、明治の初め以来の秋の入学制度をやめて4月に繰り上げている。同時に中学4年修了生も受験できるように規則を変えた。
軍人があこがれの対象であった時代であったので、改正のおかげで軍学校側は、質が良い生徒を採用できたことはそれまでと同じであったが、ただ困ったことに、基礎学力に欠けるものが入校してくるようになった。そのため、その後の教育に苦労して、教育期間を延長している。
それ以前の卒業者である日露戦争の参謀秋山真之は、明治時代に東大予科から海兵に転じている。最後の連合艦隊司令長官として知られている小沢治三郎も、鹿児島の旧制7高に入学後に海兵に転じている。軍人養成校は旧武士の流れをくむ人にとっては、貧乏していても行けるあこがれの高等教育校であった。恵まれた青春時代を過ごし、受験用学力は高くても精神的に鍛えられていないものが東大を出て、世間のリーダーになっているのが現在ではないか。この視点で世間を見ると、秋入学が学力面でも精神面でも帝大系大学の学生の質の低下を招き、将来の日本を好ましくないものにすることもありうると思う。東大の秋入学方針で、そのような事態がこれ以上進むことを恐れている。
研究者養成を内部向けの大義名分にして、国際化を口実にした表向きの改正をしてもらいたくない。帝大系の大学が、秋までの半年間を実務を含む基礎的な教育を行う予科として活用するのなら、研究者の育成のために秋入学も意味があろうが、その場合は、その必要がある者のみを4月入学とし、残りの半数程度の者を、国際化も考えて、秋入学にするという二本立てのシステムにすべきであろう。教員側は教育に時間を取られるとして、二本立てには反対するだろう。しかし大学は教育をする場でもある。教員の都合だけで方針が決められてはたまらない。
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新設大学や学部の粗製乱造で、大学生の数は1985年は185万人だったのが2010年には288万人に、25年間で100万人も増えています。猫も杓子も私立大学へ進学。私立はAO入試や推薦入試でほぼ無試験で入れますが、そんなに都会で大卒の仕事が正社員であるわけありません。大卒者が10人いたら正社員の椅子はそのうちの6人分のみしか物理的に存在しないのが今の現実です。私立の推薦AOは必ず春に入学しますから秋入学の履歴が一般入試組であることを証明する就活エリート証明書のような位置付けになれば、大学秋入学制度は成功するとおもいます。今、早慶でも学力の低いAO出身卒業者を排出し世間の大卒の価値が暴落しています。旧帝大は迷惑していますからおそらくそれが秋入学を企てる旧帝国大学の目的のはずです。東大の主張する留学生うんぬん…は嘘なのです。旧1期校だけでも大卒の価値を社会的にとり戻すのが目的なのです。しかしもし私立大学が秋入学に参入し、さらに一般入試だけでなくAO推薦の無試験入学組までも秋入学にするようにしたら、秋入学制度の意味がなくなり、旧1期校のもくろむ秋入学制度は失敗に終わるでしょう
2012/1/28(土) 午後 4:31 [ やまだ ]