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6月末、熊谷市の知人が、熊谷氏一族の縁でつながる気仙沼に、地元の歌舞伎団をつれて慰問に行き、私も同行した。以前に訪問したときは仙台から海岸沿いに列車で行ったが、海岸の鉄道線は津波で破壊されて不通のままなので、新幹線の一関から大船渡線で、1時間20分かけて到着した。このローカル線は、山間を縫うように走るので、時間がかかる。それに気仙沼市の中心に当たる湾岸沿いは、500㍍幅で全滅しているので、人口が少なくなり乗客も少ない。そのためか1時間半に1本という運転本数が、ますます乗客を少なくしているのだろう。
気仙沼への途中、古い住宅が半壊して残っているのを見たが、全体的には、とりあえずの後片付けは終わっているといえよう。市内の津波に洗われたところは瓦礫、特にコンクリートなどの鉄くずが集積され、水溜りができたりしているものの、一応の片付けは終わっている。漁船が10隻ぐらい漁協の岸壁付近につながれ、いくらか漁がはじめられているのが印象的であった。しかしそれいがいの生産活動はもともと少ないところなので、商工組合や市の関係者は悩んでいた。誘致した工場は
津波被害を受けなかったところに数軒のホテルが残っているが、工事関係の宿泊者主体の営業なので、一部屋に多くの訪問団が入ることになったのはやむをえないだろう。それでも市長以下の主だった人々は、復興のためにこの行事も生かしたいと、張り切って挨拶をしていた。そのことばを裏書きするように、歌舞伎が演じられた市民会館の客席は、立ち見が出るほどの盛況であった。市の中心部は4軒に1軒が熊谷姓なので、熊谷さんで犠牲になった人は多い。それよりも多いのが小野寺さんだそうだ。どちらも室町期に栄え、この地方では戦国時代に滅びていった氏族なので、一般の人でその後裔を名乗ったり、実際にその子孫である有力者もいて、両姓が多いのであろう。
その後、資料収集のため、疲れた体で横手と鶴岡を回ったが、新幹線ができていくらか便利になったとはいえ、仙台から北は本数が少ない。遠くからの観光客の出入りが少ないローカル線利用の両市は、昔の雰囲気を多く残していて藤沢作品の時代劇のロケにはよいところだが、観光客の受け入れが雰囲気として一般の人に定着しているとは言いがたい趣だ。整備新幹線や地方高速道の整備がどれだけ地元の振興に役立つのか、効果の見積もりをしっかりするとともに、併行して、地元の人が地元の将来をどのような形にするのかを十分に合意を得て、協力していくことが必要だろう。これは気仙沼にも言えることだ。
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