軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 ニュースはオリンピック一色だが、私は日本人の活躍に関心はあるもののテレビの前に座りっぱなしというのは苦手だ。オリンピックに限らず、たまたまなにかで時間をもてあましていない限り、他人の競技をじっと眺めていることはしない。結婚直前のトウキョウオリンピックの会場に、婚約者と足を運んだのは例外だ。人生は短いのでそれをするぐらいなら、その時間を自分の運動時間に当てたい。もっとも年を取り体が動かなくなってきたので、散歩や木刀の素振りていどがせいぜいで、その後は机の上の作業にもどるか疲れを取るための昼寝をするかのどちらかだ。
 オリンピックで国としての勝ち負けをうるさく言うようになったのは、ナチスドイツの政権下でのベルリンオリンピックからであったというが、北京オリンピックはその傾向を強めた。1980年のモスクワオリンピックは計画段階からソ連軍のアフガニスタン侵攻事件のために政治色が強くなり、アメリカ主導でボイコット運動が起こった。そのため日本選手も涙を呑まざるを得なかった。オリンピックに人生をかけてきた選手たちには残酷な処置であり、その報復として、その次のロスアンゼルスオリンピックはソ連を始とする共産圏各国がボイコットしたため、選手個人としてだけでなく世界のスポーツ界に8年間のブランクが生じた。
 今回バドミントンの試合で、中国、韓国、インドネシアのチームがわざと負けたとして世界バドミントン連盟が失格にしたのは、勝敗にこだわりすぎるようになった各国選手団への警告と受け止めるべきだろう。確かに組み合わせ次第で、優勝できる実力を持つチームが入賞さえできないという制度に問題はあろう。しかし選手宣誓でよく口にされる「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦います」という精神は、大切にしなければなるまい。専制国家ではオリンピック選手を国が養成しているので、勝てば、帰国後に地位と富を約束される代わりに負ければ囚人ということもあるようだ。しかしそれは、昔の戦争でそれぞれの国の代表の騎士を、戦場で皆が見ているなかで戦わせ、勝ったほうの国を戦争の勝者として領土の一部を手に入れるようにしていたのと変わりはない。マルクス理論でいうと、発展していない国がそのような古めかしい処置をするのであり、オリンピックという世界的な場で批判されて、考えを進歩させるのは人類発展のために悪いことではないといえる。
 昔、日本の選手がトラック競技で一周以上おくれて一位の選手に抜かれそうになったとき、コースを譲ったことが武士道精神として讃えられたことがある。日本には禅の精神に裏打ちされ武士道という形で尊ばれてきた精神がある。これは、選手としての名誉を大切にし、常に全力を出し切るこころである。武士道精神に基づくこの思想は、一世代前まではアマチュアスポーツ界に受け継がれていた。高校野球にはまだいくらかその精神が残っている。
 いっぽう大相撲が八百長を内々で認めてきたのは、これが金銭や地位に淡白な武士的なものではなく、興行であったからであろう。オリンピックに商業主義が取り入れられ、専制国家では勝者に地位と賞金が与えられるのでは、興行と変わりがなくなる。選手の薬物チェックをしていることもオリンピックが、そのような危機的な状態にあることを示している。少なくとも武士道の国日本の選手や監督たちは、そのような誘惑にかられることなく、正々堂々を貫き通してほしい。それが未来の世界のスポーツ界のあり方であろう。
 

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