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広島安佐地区の大雨被害は、予想の範囲外であったらしい。50年ほど前に、現地の三入にある先祖の熊谷氏高松城遺跡関係の史料をもとめて、現地に入ったことがある。そのときは、稲田が広がる中にポツンポツンと農家が点在しているだけであった。しかし災害関係の空中写真を見ると、平地と山裾は完全に家並が続く住宅地になっている。訪問時にお世話になった方の多くは亡くなり、こちらも高齢になったのでほとんど連絡が取れなくなっているが、子孫の方に異常はないかが気になっている。
映像にたびたび踏切が出てくる可部線にも何度か乗り、終点の三段峡登り口から中国山地を北に横切って、日本海の浜田まで歩いたこともある。古代には鉄の原料が採れたので、人が往来する尾根道も四通八達していた痕跡が、当時も残っていた。しかし報道されているとおり花崗岩が土砂になった道であり、歩きやすくはあったが雨に流されやすい道でもあった。
最近の新しく住民になった麓の人たちは、このような山を歩くことはあまりしないであろう。瀬戸内海と島根県の日本海の街を結ぶ自動車道の整備を要求してはいるらしいが、世の中が変ってしまった。天災だけでなく、もし日本海側に敵性国のゲリラが上陸してきたら、日本海側の住民が瀬戸内海側にどのような方法で避難するのか、自衛隊がどのように、防衛のために日本海側に進出できるのかが気になっている。ヘリコプターの輸送力は限られており、地上では避難民と自衛隊の車両がお互いに、道路での行動を妨げることになるからである。このような人災にも、平時からの対応のための配慮をしておく必要があろう。
50年前の三入(現在の広島市安佐北三入) 。
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今や広島のベッドタウンとして、地形がまったく変わってしまった町なんでしょうね。国土防衛の観点からも考えるべきとは、勉強になります。
2014/8/25(月) 午後 11:44