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正月が終わるので、お墓の話題を持ち出してもあまり苦情は出ないだろう。
海への散骨や公園のように整備された土地への樹木葬が話題になっているが、問題は火葬後の遺骨が骨壷に入れられて家族のもとに帰ってくることにあるだろう。現在は火葬場の火力が強くなっているので、技術的には骨まで完全に焼きつくすことが可能だと聞いている。焼き尽くして何も残らないのであれば、火葬場で参列者が手を合わせて後生を祈り、それで終わりにすることができる。
明治以後は衛生観念の普及で、自治体の条例により土葬を禁止するところが多くなった。現在は土葬が残っているのは、離れ島など特別の土地だけである。火葬後の骨壷であっても、狭い墓地に 3代、4代と代が重なると、個人または夫婦の墓を建てて祀ることは難しくなるという事情もある。また日常の墓参の関係もあって、遠い田舎の一族墓に、亡くなった連れ合いの遺骨を納めることは意味がないと思われるようになってきた。また寺院墓地に祀るためには、少なくとも30万円、多いときは数100万円をお寺に納めることを要求される。壇家の納付金でお寺を維持していかねばならない住職にとっては、これが必要最小限度の要求であっても、遺族の立場から言うと「ぶったくられた」ということになり、壇家をやめるという例が増えている。
お寺が戸籍を管理していた江戸時代のなごりで今は、檀家制度が何とか残っているが、あと100年もたつと、お寺と民衆の関係は、観光的な御利益にすぎないものになってしまうのではないか。
現在はそのような移行時期にあるので、葬式というと仏式でというのが普通であるが、やがて葬儀の場に僧侶が登場することは珍しくなるのではないか。特に遺骨を祀らなくなると、葬式当日、見せかけのキリスト教結婚式の導師が式場に登場するのと同じように、短時間だけその場にあらわれるのがせいぜいになるだろう。7年忌とか13年忌に僧侶に来てもらうということは、とくに都会では珍しくなるだろう。せいぜい2代目までの一族が、法要を口実にして親睦の場とするぐらいになるのではあるまいか。
私は30年前に、そのような将来を考えて、現住居の近くに分骨墓を買い求め、郷里から一部の先祖の遺骨を分骨しておいた。しかし350年前からの郷里の旦那寺との関係はそのまま続けている。こちらで法要をするときは、同じ宗派から臨時の僧侶、いわばアルバイト僧を派遣してもらって済ませている。旦那寺には昔の位牌が位牌堂に安置されており、毎年のお布施と呼ぶ付け届けによってご住職により管理されている。墓地は寺院内ではなく、江戸時代の住居に近いところに当家が設けた御堂の敷地内にあるが、明治維新の戦乱の後は、寺院とは無関係の土地になっている。いわば私有墓地である。
もう少しさかのぼって出雲の須佐高矢倉城の頂上には、戦国時代当時の先祖の城主夫妻の墓が残っていて、お参りしたことがある。広島安佐北の高松城近くには、その前の先祖の墓地もある。明治維新まではすべて土葬である
東北地方には、死亡後の遺骸を放置して置く谷間が、埋め墓と呼ばれ、屋敷内に詣で墓と呼ばれる位牌を墓石にしたようなものを設けたところがあったようだ。両墓制と呼ばれるこの方式は東北に限らず各地にみられたようである。沖縄では亀甲墓と呼ばれる大型の中国式墓内の前庭に遺骸を放置して腐らせ、骨だけになったところで泡盛で洗骨して甕棺に納めていたが、もともとは崖の途中に置いた遺骸が白骨化してから、1か所にまとめて置いていた風習が、福建省方式の影響を受けて変質したらしい。
このように先祖供養の方法は、全国まちまちである。時代とともに変質しても不思議ではない。世界的にみると砂漠の乾燥地帯ではミイラにすることが当たり前であったようであり、これもまちまちである。葬式や墓の制度にこだわる必要はあるまい。
しかし死者を丁寧に供養するのは、類人猿にも見られる風習であり、亡くなった肉親を押し入れの隅に放置していたり、それどころか遊ぶ金欲しさに親殺しをしたりという最近の風潮は、親や周囲が子供たちに、教えるべきことを教えなかったり、近隣の人と挨拶さえできなくしてしまったしつけ不在からきていると思わせられることが多い。子どもに個室を与えて親は干渉をしないというおかしな傾向は、今の50歳代から60歳代の人たちが、バブル経済の中で身につけたものとも思われてくる。皆で反省して、助け合いの精神を取り戻したいものである。
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お国のためになることなら、インターネットでのお付き合いを厭うものではありません。> s4n*j65*i0a*さん
2015/1/22(木) 午前 11:51 [ kuh*c*i3*4 ]