軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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防衛大学校とはなにか

 卒業生の中谷防衛大臣やひげの隊長こと佐藤正久衆議院議員などの活動でいくらかは世の中に知られるようになった防衛大学校は、戦後生まれの人々になじみが薄い。士官学校の一種だといってもなかなか通じない。
 戦後、日本から軍隊が消されてしまったので、軍隊の指揮官の養成は、士官学校(海軍は江田島の兵学校)で行うということ自体が人々の念頭にないからだろう。
 軍隊の指揮官は、戦略や戦術を理解し、少なくとも10名以上の部下を戦闘配置につけて命令をし戦闘に勝つ方法を身につけていなければならない。そのために若いときからそのための教育や訓練を受けさせてそれなりのものを身につけさせる。その教育訓練を行う学校が士官学校なのです。高等学校程度の学問を身につけたものから候補者を選抜して、少なくとも二年間は心身ともに鍛えることで、ようやく最低限のものを身に付けた指揮官として使えるようになる。この最低限の指揮官が小隊長級であり、少尉や中尉の階級を与えられて将校と呼ばれている。工場の現場監督になぞらえることができよう。
 病院でいうと、士官学校卒業まもない学校出たての将校に相当するのが医師ということになる。役所の事務職だと係長クラスといえよう。医師を補佐している看護師は、その下の下士相当といえる。ただ看護師長は係長クラスの身分と考えてよい。警察では中尉は、交番の当面の責任者の警部補や巡査部長よりも、地位が上ということになる。そのため警部は、中尉に相当する英語のルテナントに相当すると考えてよい。
 しかし普通の警察官は採用時は巡査という下位の階級からスタートし、試験で昇進して定年退職時に警部補という場合が多い。一方で東大などを卒業して試験で上級職の候補者として採用されたものは、警部補がスタート階級になる。防衛大学校卒業者も幹部自衛官候補者として自衛隊に採用されるので、警部補に相当する階級から自衛隊生活を始める。しかし多くの国では士官学校卒業時に少尉の階級を与えられている。かつての日本陸軍では、士官学校卒業後に3カ月ほど見習士官を務めてから少尉に任官することになっていた。海軍は卒業後に一年以上の海軍実務を修行し、遠洋航海を経て少尉に任官していた。
 そのような指揮官要員の養成法は、いまでも世界の陸海軍将校の養成法になっている。
 かつて防衛大学校の教官(準教授身分の二佐)として勤務していたときに、息子の進学先として防衛大をすすめられているがという相談電話が親からあったが、自衛隊に入ると全部が一度防衛大で教育を受けるのかという質問から始まったのに、やれやれと思ったものである。自衛隊の将校クラスは下から試験を受けて昇進したものも含めて、15パーセントぐらいである。防衛大卒はその半数にも達しない。そのため学力偏差値は65パーセント以上と考えてよかろう。戦前の士官学校や兵学校の生徒は、中学校(現在の高校)での成績が一割以内の上位の者が多かった。少なくとも東北大や九州大に合格する学力を持っていたのである。これは貧乏士族が多かったため無料の軍学校を受験するものが多かったのとともに、軍人が社会的に高い地位を占めていたからである。当時の中学校への進学率は10数パーセントであったので、その中で上位の成績を得ていた生徒は、皆、帝大に進学できる能力を持つものばかりであった。
 宇宙飛行士油井さんがたまたま受けた防衛大に合格したので、開拓地で農業をしていた父親から防大に進学するように言われたというのは真実であろう。開拓地に戦後に入植した人々は、満州からの引揚者が多いなど、経済的には恵まれていなかった。そのお父さんと同じ世代の私は、陸士出の将校であった父が間もなく結核で亡くなったため、入植していた山裾の開墾地で毎日開墾の鍬を振ることになった。油井さんの立場はよく分かる。ほかにも昭和30年に入学した防衛大には、父を失った多くの仲間がいた。全体の7パーセントぐらいであったろうか。自転車を買えなかったので学生になってからも乗ることができなくて、偵察部隊のオートバイに乗れずに困ったという戦死者の息子もいた。同期生に山崎直子さんの父親もいたが、皆、苦労してその後の子育てもしている。私も名古屋大で博士号を得てアメリカに行った切りになった次女の奨学金を、この齢になってようやく払い終えたという始末である。
 日本の防衛はそのような仲間の手で行われてきた。最近になってようやく自衛隊にもやや陽が当たるようになったが、ふたたび自分たちさえよければという安保反対派が消極的な行動を取り始めている。少なくとも日本に存立の危機が訪れる可能性があるときは、国内で輸送に協力するとか、反日的な行動を抑制したり反日スパイを摘発するするとかの、国民が一体化する動きを見せてほしいものである。
(8/1  追加補足 : イラク帰りの 佐藤正久議員の部下が28人も自殺したと評論批判している評論家などの書き込みがあったが、それでは先遣隊指揮官として佐藤氏が連れて行った部下全員が亡くなったことになる。各地での長い間の派遣のトータルとしての精神発症者の員数であり、書き込みは事実と違う。その後追加派遣された本隊の4百名以上の隊員の指揮官は彼よりも古株の別の一等陸佐であり、その後も派遣期間が半年で入れ替えになっている。その他のPKO派遣なども外国での危険を伴う任務に派遣される隊員は半年ぐらいをめどに交代することになっている。留守家族の支援もできる態勢が作られている。本人の意志も確かめ問題がありそうな隊員は、最初から除外しているが、何年も同じ任務が続くと、ローテーションをしても2回、3回と派遣されるものが増えてくる。道路工事などの技術を持つものは限られているので、適当な時期に打ち切らないと問題が起こる。このような実情を踏まえて、政治家は対策をとって欲しい。派遣場所が増えると現在の員数では対応できなくなる。
 これは自衛隊に限らない。尖閣警備の巡視船はいくらか増強されたが、乗組員の員数が限られているので問題がある。夏山登山者が増えて遭難救助に手をとられる警察官や消防署員も同じだ。国民は実情を知って、例えば消防団員になることを希望したり、登山のときは登山計画を提出するするなど、自分ができることで協力をする必要がある。病気予防で医療費削減に協力するのも、その一つであろう。要求だけ声高にする政治家や評論家はまっぴらだ。)
 
 
 
 
 

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

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