軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を見ている人は多いと思います。毛利家家臣、特に幕末から山口藩の時代に曾祖父が一応の活躍をした熊谷家の末裔として、ドラマを見て感じたことを述べたいと思います。
 曾祖父熊谷直三郎(明治になってから良三と改名)は、毛利一門の右田毛利家1万6千石の側役を務めていた23歳のときに、鳥羽伏見の戦いに参加したらしい。そのときに着用した陣羽織が残っている。毛利軍の総指揮官は右田毛利家の若殿様である毛利藤内内匠であり、熊谷直三郎は側役として秘書室長(自衛隊では指揮官の副官役)のような立場にあった。そのため長州藩の実質的な現地指揮官である参謀の山田顕義(のちに中将、伯爵、日大創設者)とは、それ以前からの関係もあり、昵懇の仲であったらしい。杉孫七郎(幕府の欧州使節の随員で後に長州軍参謀、子爵)や井上馨とも懇意にしていて、直三郎死去のときは、熊谷家の後継ぎ修三が孫七郎から弔い状をもらったのが私の手元に残っている。井上は、後に直三郎が山口藩庁や山口県庁の幹部職員として服務するようになってから仕事の上で付き合いを深め、直三郎(当時は良三)の定年退官時に、高輪にあった毛利公爵家の財産課長に推薦した。
 長州藩の明治維新は足軽、平民によって行われたという説があるが、ここで名を挙げた山田、杉、井上たちは、代々の毛利家中堅の家臣の家柄であり、そのような説には当てはまらない。「花燃ゆ」は小説であり、松下村塾の人々を中心にして描いているので、画面からは下級の人々が中心になったという印象を受けるが、山県有朋も伊藤博文も、画面で維新の活躍をするころには下士身分に上昇していた。そのため奇兵隊などで指揮官役を務めることができたのである。下士身分になったのは、人材発掘の長州藩の政策の中で働きぶりを認められたからである。伊藤博文は下士身分になっていたおかげで、藩から英国への密留学の機会を与えられたのであり、中堅家臣であった井上馨と肩を並べて留学生として行動することができた。つまりは上級家臣たちが献策した人材発掘とその根本にある洋式化を受け入れた藩主の敬親が、偉大であったからと見ることができよう。女性主人公の義兄、小田村改め楫取素彦も兄で長州藩に洋式海軍を導入した松島剛蔵(元藩の鍼医でオランダ語を学んでいたおかげで、長州海軍創立者になり、幕府軍に敗れて恭順中に獄中で斬られた)の意志を継いだのであり、このあたりを詳しく画面に描くことは難しい。吉田松陰の妹でドラマの主人公になっている「みわ」も、明治以後楫取の後妻になったのは確かであるが、ドラマに描かれているとおりであったわけではない。
 
 高杉晋作はお坊ちゃん育ちであり、比較的高録の藩の有力者である父親に庇護されながら自分勝手な気ままなふるまいをしている。その彼が多分父親の差配で奇兵隊の初代指揮者になることを藩から命じられて奇兵隊を編成した経歴があったたために、幕府への恭順の藩論を転覆させる足がかりとして奇兵隊を使うことに成功したといえよう。藩の組織は基本的には藩主を頂点とした有力家臣たちの指図で動かされている。奇兵隊などの諸隊に平民が加わっていたのは事実であり、かれらはドラマが描いているとおり、平民から武士への身分上昇が働きの一つの動機づけになっていたというのは事実であろう。そのなかで山県などは大きく出世したが、藩の中での人材発掘策がなければ、後に総理大臣になるような機会は与えられなかったのは確かである。それでも出発点で何も持たない平民の隊士よりは、有利な立場にあった。下級の足軽ともいえる長州藩独特の中間(ちゅうげん)身分が出発点であったからである。
 長州藩は関ヶ原の敗戦でそれまでの100数万石から37万石に減らされたため、藩士数は三分の一、残った藩士それぞれの石高も大きく減石された。親藩と呼ばれるような他藩の藩士と比べて、同じような役職の者の石高は、半分でしかない例が多い。そのため藩士の中で、防衛の意味も考えて藩内の地方で農業をしながら生活しているものも多かった。他藩の郷士と同じではなく、れっきとした藩士である。そのため、幕末のような状況では、農民兵として編成されたもののなかにも、彼らに教えられて武に関心を持つものも多かった。そのような特殊な事情を知らないと、なぜ長州藩が幕府に勝てたのかが分からない。また多士済々の人物が登場するので、長州の維新史は分かりにくい。これが「花燃ゆ」の視聴率が伸びなかった大きな原因ではないかと思っている。
 いずれにしろ明治になってからも、そのような特殊な事情は尾を引いている。曾祖父が毛利公爵家の財産を預かるようになってからも多くのドラマがあった。小野田セメントを立ち上げたとき、資金を融通するのにかかわった曾祖父は、若いころに藩の海軍学校で学んだ知識を生かして会社の埠頭を作るにあたって図面を引いている。当時は会社の重役を兼ねていたからである。このようなことを書くときりがないので、当面はこれで筆を置くが、藩主敬親が残したものは大きかった。ドラマを小説としてでもよいので、皆さんが理解され、それが日本の近代化を進めたということを理解していただきたい。

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

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熊谷追伸 半藤一利・保坂正康の「賊軍の昭和史」という本が出ているが、石原莞爾、米内光政などの軍人指導者は、維新の結果西洋から制度を導入した軍学校で学んでいる。長州の革新政策が出発点になっていることを理解してほしい。

2015/9/23(水) 午前 11:38 [ kuh*c*i3*4 ]


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