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都庁の豊洲の魚市場移転地問題は、都議が関係し都の担当者も加わったと思わせられる伏魔殿(石原慎太郎元知事の表現)のような問題になりつつあるようだ。ベスト新書の『江戸300年「普通の武士」はこう生きた』によると、日本の役人や政治家は、江戸時代の支配者であった武士の組織の習性をそのまま引き継いでおり、アジアの他の国ほどではないにしても、目立たない形で役得を得るのが習性化しているそうだ。自民党の国会議員としての経験で議員や役人のある程度の裏を知っていたはずの石原にそう言わせるほど、このような習性は根が深いものといえよう。
旧防衛庁の航空自衛官身分の研究教育職の配置が長かった私は、そのような裏にある程度通じている。ただし幼年学校や士官学校で信義誠実、清廉潔白な生活をするように習慣づけられた帝国陸軍正規将校の伝統をいくらかでも引きついでいる防大出の自衛官は、私自身が裏道に引き込まれることを避けて来ただけでなく、級友たちも一般の役人に比べて清廉潔白に行動してきたと思っている。ただ所属が陸海空各自衛隊のいずれであったかによりいくらかの違いが見られるし、中央勤務が多かったか、末端の部隊指揮官として定年を迎えたかでも違いがある。
帝国海軍は幼年学校(13歳、14歳で入学)を持たなかったので、海軍の正規将校の海軍兵学校出の士官は、多くが旧制中学を上位の成績で卒業した理数能力に秀でた人たちであった。その伝統を引き継いでいる海上自衛隊の防大出士官たちは、精神的には陸自の幹部自衛官とはちがって技術者的なものが強い。それでは航空自衛官はというと、両者の中間であり、米軍に教わった戦時マニュアルに従うとともに、警察官僚的な役人に盲従する面も強い。細かいことは厚い本にしなければ語りつくされないが、これまでに私が熊谷直の名前で書いた本(左のプロフィールから経歴表を見ると掲載してある)などを見ていただけるとある程度の見当がつくであろう。
前掲のベスト新書の内容は、熊谷直実以来の武家の伝統を引き継いでいる我が家の家訓や、実際に私が研究した長州藩の歴史と維新活動の実際(曽祖父は鳥羽伏見の戦いの長州指揮官付き)などに照らして疑問に思う点も多いが、大筋では真実に近いと思われる。議員や役人だけでなく、東芝のような松下幸之助氏という苦労人が作り上げた組織や三菱のような大ブランドの組織が崩壊している現状を見ると、時間の経過とともに役得主義という日本的なものがはびこってきているという感じが強くなってくる。
そのため、上の者には子分的な人が無批判に従い、上のほうでは上級以上の管理職が組織の横の連絡をすることがないので、組織が一体感を持って活動しない結果になり、三菱自動車社のように現場の勝手な判断処置が行われ続けて誤りが修正されないことになるのであろう。福島の原発事故やナトリウム事故により開発が停止した敦賀のもんじゅの研究所でも同じことが行われてきたと考えている。大学病院の患者死亡事故も同じだろう。
日本的なこの問題を解決するためには、ドイツの参謀制度に基がある全体の計画・統制・調整を担う組織を作って組織を一体のものとして動かしていく必要がある。しかし形式的にその制度を導入した帝国陸軍でさえ、日露戦争では導入時の香りが残っていたが、昭和に入ってからは参謀たちが参謀総長を中心にして一体のものとして活動するのではなく、少佐時代の辻正信や中佐時代の石原莞爾のように中央との連絡なしに勝手に出先の部隊を動かす組織になってしまっていた。海軍も陸軍に対抗して参謀制度を作ったが、ドイツ的ではなく、国内が一体化した活動をするための参謀組織になっていなかった。そのため海軍参謀は出先の司令官の命令を手足として補助はしても、海軍中央とも陸軍中央とも、まして他の役所とのすり合わせの連絡調整もできない、権限のない技術者の集まりの組織でしかなかった。山本五十六のミッドウェー海戦の敗戦原因の一つがこれであろう。
大企業のトップたちが日本的なメンバーであり続けると、企業が組織としての一体化された動きをすることができないという現実は容易に改められることはあるまい。まして役人からの天下りのような組織の全体像が分からない人が組織を率いると、ミッドウェーの二の舞をすることになるだろう。これは航空自衛官という陸海のどちらにも偏らないが、同時に文官的な立場も与えられて、陸海空統合の分野で教育研究という職務を果たし、自衛官としての現場でも統合的な職務を果たしてきた私の経験からの未来予測である。これからの自衛隊だけでなく日本の組織が問題を解決して望ましい道を歩んでいくことを願っている。
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